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【9月7日】は山本コウタローの誕生日。『岬めぐり』をご紹介!
1948年9月7日、東京都千代田区生まれ。本名は山本厚太郎。
東京都立日比谷高校を卒業後、上智大学経済学部を経て、一橋大学社会学部へ進みました。
大学在学中からフォークグループ「ソルティー・シュガー」で活動し、1970年に発表した『走れコウタロー』が大ヒット。第12回日本レコード大賞新人賞を受賞します。
競馬実況を取り入れた早口のナレーションと、コミカルな展開が強烈な作品でした。山本コウタローと聞けば、まずこの曲を思い出す人も多かったでしょう。

ところが、その4年後に登場した『岬めぐり』は、『走れコウタロー』とは驚くほど表情の違う作品でした。
1974年、森一美、板垣秀雄と「山本コウタローとウィークエンド」を結成。同年6月1日にデビューシングル『岬めぐり』を発売します。作詞は山上路夫、作曲は本名の山本厚太郎、編曲は瀬尾一三。オリコン最高5位を記録し、売上は約39万枚。『走れコウタロー』と並ぶ代表曲となりました。
その後は歌手だけでなく、ラジオやテレビのパーソナリティ、司会、執筆、講演など幅広く活動。
白鴎大学では社会学や地球環境問題などを教え、音楽とは異なる分野でも長く活躍しました。
残念ながら、2022年7月4日、73歳で亡くなりましたが、『岬めぐり』は1970年代の日本のフォークを代表する一曲として、今なお聴き継がれています。
今日の紹介曲:『岬めぐり』
明るく開放的なメロディーだけを聴けば、青い海を眺めながらバスで岬を巡る爽やかな旅の歌にも聞こえます。
しかし歌詞を追うと、主人公は本来なら大切な人と二人で訪れるはずだった岬を、一人で旅しています。観光旅行を楽しむ歌ではありません。かなわなくなった約束を、自分一人でもう一度たどる旅が描かれています。
超訳
かつて二人で行こうと約束した岬へ、いま僕はひとり向かう。
窓の向こうに青い海が広がっても、胸に残るのはあなたとの記憶ばかり。
幸せそうな人々を眺めながら、かなわなかった未来を静かに思う。
この旅が終わったら、悲しみを抱えたまま、それでも僕は日常へ帰っていく。
💡 あわせて読みたい:『岬めぐり』の歌詞はこちら (歌ネットへ移動します)
まずはYouTube動画をご覧ください!!
※公式動画ではないため、画像からYouTubeへリンクしています。画像をクリックすると別タブで動画が開きます。
共通クレジット
曲名:岬めぐり
アーティスト:山本コウタローとウィークエンド
作詞:山上路夫
作曲:山本厚太郎
編曲:瀬尾一三
オリジナル発売:1974年6月1日

🎵 動画①クレジット
山本コウタローとウィークエンドによるテレビ歌唱映像
映像:テレビ番組での演奏映像
※YouTube上の非公式投稿
【2行解説】
山本コウタローを中心に、メンバーがギターを手に歌うテレビ出演時の映像。
本人たちの演奏する姿や表情から、当時のグループの雰囲気まで伝わってくる貴重な記録です。

🎵 動画②クレジット
山本コウタローとウィークエンド
音源:『岬めぐり』
※YouTube上の非公式投稿
【2行解説】
1974年のヒット曲『岬めぐり』を、楽曲そのものを中心に楽しめる動画。
爽やかなフォークサウンドと、かなわなかった恋を抱えて旅する主人公の切なさとの対照が際立ちます。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
| My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
| 曲のリリース年 | 1974 | ||||||||
| 僕が聴いた時期 | ● |
僕が『岬めぐり』を初めて聴いたのは、高校1年生、15歳の頃でした。山本コウタローには、小学校6年生の頃に聴いた1970年の『走れコウタロー』という強烈な印象が残っていました。
競馬を題材にした賑やかでユーモラスな曲から一転して、今度は青い海と岬を描く美しいフォークソング。その違いに驚くと同時に、景色が目の前に浮かぶようなメロディーにとても惹かれたことを覚えています。
あれから50年以上が過ぎました。今聴いても心にしみる、とても良い歌です。僕にとって、忘れることのできない一曲になっています。
明るいメロディーの中にある切なさ
『岬めぐり』の大きな魅力は、歌詞が描く悲しみと、曲の明るさが鮮やかな対照を見せていることです。主人公は深い喪失を抱えています。二人で訪れるはずだった場所へ一人で向かい、幸せそうな人々を眺めながら、失った相手への思いを胸の中で確かめています。

それなのに、山本コウタローがつけた旋律は湿っぽくありません。アコースティックギターを軸に、曲は軽やかに前へ進みます。バスは走り、車窓の景色は次々と変わる。そして主人公も、旅を終えたら街へ帰ろうとしています。
僕には、この明るい旋律自体が「悲しみを抱えていても人生は進んでいく」という物語の一部に聞こえます。
実は、最初は違う曲調だった
この明るさが生まれた背景には、興味深いエピソードがあります。『岬めぐり』では当初、南こうせつに作曲が依頼されていました。
ところが出来上がった作品は、歌詞の悲しさを反映したマイナー調でした。
スタッフは山本コウタローのイメージには合わないと判断し、その案は採用されませんでした。そこで山本自身が新たに曲をつけます。生まれたのが、現在知られている明るく爽やかな『岬めぐり』でした。
悲しい内容に同じ色合いの音楽を重ねるのではなく、青空を思わせる旋律の中へ喪失を置く。この組み合わせが、作品を単純な失恋歌では終わらせなかったのだと思います。

1974年、日本のフォークが変わっていた頃
社会から、暮らしや個人の感情へ
『岬めぐり』が発売された1974年は、日本のフォークが新たな段階へ進んでいた時期でもありました。1960年代後半には、反戦や社会運動、若者の反抗などを前面に出したフォークが大きな存在感を持っていましたが、1970年代に入ると、恋愛、別れ、暮らし、故郷、孤独など、一人の人間が経験する身近な出来事を描いた作品が増えていきます。
1974年には、グレープの『精霊流し』、かぐや姫の『赤ちょうちん』や『妹』なども登場しています。大きな社会的主張より、若者の日常や別れ、家族、孤独を描く歌が広く支持された時代でした。『岬めぐり』も、その流れの中に位置づけることができます。
主人公は、失った相手を取り戻そうとしない
歌詞を読み直して気づくのは、主人公が失った相手を取り戻そうとしていないことです。
相手に会いに行くわけでも、復縁を願うわけでもありません。二人で話していた岬を自分の目で見て、悲しみを胸に収め、やがて街へ戻ろうとします。
旅によって過去を変えるのではなく、過去を抱えた自分が再び日常へ戻る。15歳で聴いた僕は、もちろんそこまで考えていませんでした。しかし年齢を重ねた今では、この結末が以前とは違って聞こえます。

岡田斗司夫さんが読み解く『岬めぐり』
この曲を少し違った角度から解説しているのが岡田斗司夫さんです。
岡田さんの話で興味深いのは、『岬めぐり』だけを一曲の失恋歌として見るのではなく、1960年代から1970年代へ向かうフォークの変化と結びつけていることです。
社会や政治を大きなテーマとして扱っていた歌から、個人の生活や恋愛、孤独へ。フォークが扱う題材が変化していく中で、『岬めぐり』を捉えています。
そして、この歌の主人公は最後に「街へ帰る」。岬に残るのではなく、旅を終えれば再び日常が始まります。その視点から聴き直すと、『岬めぐり』は失恋そのものを美しく描くだけの作品ではなく、ひとつの喪失を受け止め、再び自分の生活へ戻っていく人の歌にも聞こえてきます。
『岬めぐり』の「岬」はどこなのか
この曲を聴くと、ひとつ気になることがあります。「この岬はいったいどこなのだろう?」
山本コウタローは作曲した際、足摺岬や知床半島のような雄大な場所を思い描いていたそうです。僕自身がこの曲から想像する景色も、どちらかといえばこちらに近いものです。

ところがレコード発売後、山本が作詞者の山上路夫に尋ねると、山上が思い描いていたのは三浦半島の城ヶ島付近だったといいます。
作詞家と作曲家が、それぞれ別の岬を頭に浮かべながら、一つの作品を完成させていた。これは『岬めぐり』らしい、とても面白いエピソードです。
歌詞には具体的な地名が登場しません。そのため聴き手は、自分が知っている海岸線や、自分なりの「岬」を重ねることができます。
僕が15歳の頃に頭の中で描いた岬も、山上路夫や山本コウタローが思い描いた場所とは、きっと違っていたのでしょう。
半世紀を越えても、バスは走る
『岬めぐり』が発売された1974年から、すでに半世紀以上が過ぎました。
15歳だった僕も、今ではまったく違う年齢からこの歌を聴いています。それでもイントロが流れると、海岸沿いを走るバスと、車窓いっぱいに広がる青い海が自然に浮かんできます。

若い頃には「悲しい恋の歌」として聴いていた作品が、今では「悲しみを抱えながら、それでも自分の生活へ戻っていく歌」として聞こえる。
人は年齢を重ねれば、かなわなかった約束も、戻れない場所も、もう会えない人も増えていきます。それでも人生は続いていきます。
『岬めぐり』のバスが、青い海を横に見ながら走り続けるように。
1974年に15歳で聴いた僕と、半世紀を越えてこの曲を聴いている僕。同じ一曲なのに、そこから見える景色は少し変わりました。けれども、「やはり、いい歌だな」と思う気持ちは変わりません。
9月7日、山本コウタローの誕生日。今日は『岬めぐり』を聴きながら、自分の記憶の中にある「岬」を訪ねてみたいと思います。



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この曲に関する逸話は覚えています。そして今
「走れコウタロー」のメロディーがウマ娘の影響で世界的に有名になっています。先日もアメリカ人の友人が 「走れ走れウマ娘」と歌ったので、元歌を披露しました。( *¯ ꒳¯*)
Ellieさん、いつもコメントありがとうございます。
とても励みになっています。
これは知りませんでした! 「ウマ娘」という名前も今回初めて知りました。僕は漫画も読まないしゲームもしないので、まったく縁のない世界だったようです(笑)。
山本コウタローの「岬めぐり」から「走れコウタロー」を思い出して紹介したのですが、まさかそのメロディーが半世紀以上たった今、「走れウマ娘」となって海外にまで知られているとは!
1970年の「走れコウタロー」が、こんな形で若い世代や外国の人たちにつながっているとは興味深いですね。アメリカのお友達の前で元歌を披露されたというお話にもびっくりしました。楽しい逸話を教えていただき、ありがとうございました!