◆【井上陽水の歴史】はこちら!
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第22位は『神無月にかこまれて』です
1972年12月に発売されたセカンドアルバム『陽水II センチメンタル』。そのA面に収録されている『神無月にかこまれて』は、派手なヒット曲の陰に隠れがちですが、初期の陽水ならではの突き放したような視線が強く印象に残る一曲です。
周囲の賑やかな流行に迎合することなく、ただ冷たい風の中にぽつんと一人で佇んでいるような、逃げ場のない静けさが漂っています。今回は、この曲が持つ独特の空気感と、聴く者の心をざわつかせる言葉の鋭さについて、じっくりと考えてみたいと思います。
『神無月にかこまれて』の世界をひもとく超訳
人恋しさを抱えたまま、十三夜の淡い月を見上げる。
渡り鳥たちは列をなして去り、残された者だけが冷たい風の中に立ち尽くす。
神無月の夜、虚しい口笛が青い闇に消え、生きものたちは息をひそめて冬を待つ。
まずはYouTube動画でお聞きください
こちらのYouTube動画で、当時の瑞々しくも張り詰めた空気感をお聴きください。
下の画像をクリックして下さい。

クレジット
歌:井上陽水
作詞・作曲:井上陽水
編曲:星勝。
1972年12月10日発売『陽水II センチメンタル』収録、CD・配信では7曲目、LPではB面1曲目に相当します。
2行解説
十三夜、渡り鳥、冬隣りの風景を、孤独な一人称の冷えた視線で描くスタジオ録音版です。
星勝の編曲によって、フォークの骨格にバンド的な陰影が加わり、歌詞の「青い夜の空気」が硬質に立ち上がります。正規アルバム版。 公式歌詞として一般に流通している「人恋しと泣けば十三夜」から始まる版で、2018リマスター音源も配信されています。
次はライブバージョンです。下の画像をクリックして下さい。

クレジット
歌:井上陽水
作詞・作曲:井上陽水。
1982年3月7日のNHKホール公演のライブ録音。
2行解説
ライブ版。 1曲目の『陽水II センチメンタル』収録のスタジオ版とは違い、客席を前にした1982年時点の歌唱・演奏です。
(※現在、インターネット上に存在する井上陽水氏の音源は、公式による配信ではないものが大半を占めています。そのため当ブログでは、著作権上の配慮に基づき、動画の直接埋め込みではなく、独自に用意した画像から外部サイトへリンクする形式を採用しております。)
初期・陽水文学の最高峰としての『陽水II センチメンタル』
井上陽水という不世出のアーティストを語る際、ミリオンセラーを記録した『氷の世界』が金字塔として語られることが多いのは事実です。しかし、その前年に発表された『陽水II センチメンタル』こそが、アンドレ・カンドレというモラトリアムの時代を脱ぎ捨て、表現者として完全に覚醒した瞬間であったと僕は考えています。

このアルバムの空気感は、どこか張り詰めていて、それでいて脆い。その象徴とも言えるのが、この『神無月にかこまれて』です。
- デビュー作『断絶』に見られた荒々しい初期衝動
- 三作目『氷の世界』で開花する、ファンクや歌謡曲をも飲み込む強靭なポップネス
本作はその狭間に位置し、アコースティック・ギターの繊細な響きと、私小説的でありながらも冷徹な客観性を持つ、極めて純度の高いフォーク・ロックを展開しています。
「神無月」という言葉が内包する孤立感
タイトルにある「神無月」とは、旧暦の10月、現在の11月頃を指します。出雲に全国の神々が集まるため、それ以外の地からは「神がいなくなる」とされる月です。

陽水が描くこの曲の世界では、まさにその「神仏の加護すら届かない、見捨てられたような空間」に、主人公である「僕」がぽつんと取り残されています。
「神無月にかこまれて」
このフレーズは、単に季節の移り変わりを告げるだけのものではありません。自分の力ではどうにもできない大きな時の流れや、抗えない孤独の壁に、周囲をぐるりと取り囲まれてしまったような、息苦しいほどの閉塞感を表現しているのです。
日々の生活の中で、どれほど慌ただしく社会の波に揉まれていても、ふとした瞬間に足元に広がる深い闇のような孤独を感じることが誰しもあるはずです。陽水は、20代前半という若さで、その人間の根源的な寂寥感を、この「神無月」という言葉に見事に結晶化させていました。
渡り鳥の列に見る「脱落者」への冷徹な視線
曲の中盤、冬の到来を前にして北から南へと移動する「渡り鳥」の描写が登場します。
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ここでの陽水の言葉選びは、凡百のフォークシンガーとは一線を画しています。自然の美しい営みとして渡り鳥を描くのではなく、そこから「逃げる様に」去っていく群れとして描写し、さらにその群れの列に「ついてゆけない者」へと視線を注ぐのです。
- 集団と同調して、要領よく季節を渡っていくマジョリティ
- そこからこぼれ落ち、次の春が来るかどうかも分からないまま取り残されるマイノリティ
周囲と同じ方向を向いて走り続けることを求められる社会において、その列に加われない者、あるいは加わることを拒んだ者の行く末を、陽水は憐れむでもなく、ただ「ひたすらの風まかせ」と突き放します。この突き放し方の冷たさこそが、陽水が「冷徹な観察者」と呼ばれる所以です。
視覚と聴覚を同時に凍らせる、安田裕美のアコースティック・ギター
この楽曲の持つ静けさを決定づけているのは、星勝の緻密なバンドアレンジの中に一本筋を通している、名手・安田裕美によるアコースティック・ギターの音色です。

イントロの最初の一音が鳴り響いた瞬間から、部屋の温度がスッと下がるような錯覚を覚えます。激しくかき鳴らす当時のフォークのスタイルとは真逆の、一音一音の響きを厳選したかのような、極めて抑制された爪弾きです。
- 音を詰め込まず、響きが消え入る瞬間までを計算に入れたアンサンブル
- 陽水の言葉が持つ冷たい手触りを、さらに研ぎ澄ますギターの存在感
この硬質なアコースティック・ギターがアンサンブルの核にあるからこそ、聴き手はただ流れていく音楽を聴くだけでなく、まるで自分自身が神無月の寒空の下に立たされているかのような臨場感を味わうことになります。
「冬を待つ」という行為に隠された静かな覚悟
歌詞の締めくくりに登場する「息をひそめて冬を待つ」というフレーズは、この曲の核心部分です。ここで描かれる「冬」とは、単にカレンダーの上の季節ではなく、人間関係の断絶や時代の熱狂の終わりといった、自分ではコントロールできない過酷な現実そのものを指しています。
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陽水は、その冬の到来を嘆くでもなく、激しく抵抗するでもありません。ただ「涙も見せず笑いも忘れ」と、感情の起伏を一切排除してじっと耐え忍ぶ姿を描き出しています。
この「息をひそめる」という行為は、決して単なる逃避や諦めではありません。むしろ、抗えない現実を前にしたときに人間が取る、もっとも合理的で強固な防衛手段のように思えます。
群れからはぐれ、次の春が保証されていない状況だからこそ、無駄なエネルギーを一切使わずに爪を研ぐ。20代前半の陽水が書き置き、安田裕美の硬質なギターが支えたこの姿勢は、安易な慰めよりも遥かに現実的であり、冷徹なまでの生活の知恵が宿っているのです。
終わりに
『神無月にかこまれて』は、ミリオンセラーを連発する前の、まだ何者でもなかった若き日の井上陽水が残した、一瞬のきらめきのような作品です。
過剰な演出や、安易な共感を誘う言葉はここにはありません。しかし、だからこそ1972年のリリースから半世紀が過ぎた今なお、時代の変化に風化させられることなく、聴くたびに新鮮な緊張感をもたらしてくれます。

リスナーの好みに合わせて自動で曲が流れ続けるような、効率的な聴き方が主流になった現代において、このように楽曲と正面から向き合う時間の持つ意味は、むしろ大きくなっています。たまには部屋の明かりを少し落とし、この初期の傑作が湛える静かな凄みに、じっくりと耳を傾けてみるのも良いものです。

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