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第7位は、「時代おくれ」です。
「時代おくれ」は、阿久悠が作詞、森田公一が作曲し、1986年に河島英五が歌って世に出た作品です。同年4月21日発売のアルバム『時代おくれ』にも収録され、河島英五を代表する一曲となりました。
森田公一&トップギャランIIも、後にこの曲を自ら歌っています。今回のminiBest7では、河島英五の名唱とともに、この旋律を生み出した森田公一自身が歌う「時代おくれ」にも耳を傾けてみたいと思います。

同じ曲でも、歌い手が変わると表情まで変わって聞こえます。
河島英五が歌えば、一人の男が自らの生き方を語るような重みがある。一方、森田公一版からは、自ら書いた旋律と言葉を淡々と運んでいくような味わいを感じます。
超訳
一日二杯の酒があればいい。
格好などつけず、不器用なまま、人にはやさしく生きていく。
世間の流行に合わせるより、自分が大切にしてきたものを信じたい。
少しくらい時代に遅れても、そんな男でありたい。
💡 あわせて読みたい: 公式の原曲歌詞はこちら (外部サイトへ移動します)
まずは、森田公一が歌う「時代おくれ」をお聴きください。
(※公式動画ではないため、画像にリンクさせています。画像をクリックしてお聴きください)

クレジット 作詞:阿久悠/作曲:森田公一 2行解説 時代の流れに無理に合わせず、不器用でも自分らしく生きていく男の矜持を描いた一曲。 飾らない言葉の一つひとつに、やさしさと孤独、そして昭和の男の美学がにじみます。
河島英五の歌であり、森田公一の曲でもある
クレジット 河島英五「時代おくれ」Official Lyric Video 作詞:阿久悠/作曲:森田公一/Illustrator:柳田まち © Sony Music Labels / MUSIC Liverary 2行解説 飾らず、焦らず、人とのつながりを大切にしながら生きる男の姿を描いた、河島英五の代表曲。 阿久悠の言葉と森田公一の切ない旋律が重なり、時代を越えて胸に残る男の生き方を静かに映し出します。
「時代おくれ」と聞けば、多くの人がまず思い浮かべるのは河島英五でしょう。低く太い声と、酒場の匂いまで感じさせるような歌唱。この作品が河島英五の代表曲となったことにも頷けます。
それでも、森田公一のminiBestを作るなら、僕はこの曲を外したくありませんでした。
阿久悠の言葉を受け止める森田公一の旋律があって初めて、一つの歌として形になっているからです。
言葉を前へ押し出さないメロディー
この曲のメロディーは、歌詞より前へ出ようとしません。大きな跳躍や派手な展開で耳を奪うのではなく、言葉の歩幅に合わせるように進んでいきます。旋律を追いかけるというより、一人の男の話を聞いているような感覚になります。

しかし、決して平板ではありません。穏やかな流れの中に小さな起伏があり、最後に曲名へたどり着いたとき、それまで描かれてきた生き方が一つにつながります。
森田公一は阿久悠の言葉を音で説明するのではなく、その意味が自然に胸へ入ってくる流れを作っているように思います。詞とメロディーが互いを邪魔せず、一緒に進んでいくところに、この曲の強さがあります。
森田公一の旋律にある、昭和歌謡そのものの響き
僕にとって森田公一には、「昭和歌謡そのもの」と言いたくなるような響きがあります。
それは単に昭和に活躍した作曲家だから、という意味ではありません。メロディーを聴いた瞬間、あの時代の空気や人の暮らしまで一緒に動き出すような感覚があるのです。
そして森田公一の曲には、どこか切なさがあります。悲しい曲ばかりという意味ではなく、明るい曲でさえ、その奥にほんの少し寂しさが潜んでいる。僕の琴線に触れてくるのは、むしろその部分です。
明と暗のどちらか一方に振り切らず、その間にある人の感情をメロディーにしてしまう。それが、僕が森田公一に惹かれてきた大きな理由だと思っています。
森田公一を聴くと、大学時代の部屋を思い出す
ここからは「時代おくれ」そのものではなく、森田公一という音楽家についての僕の記憶です。
僕が大学へ入ったのは1977年。「青春時代」が発表された1976年の翌年で、森田公一とトップギャランの音楽は、僕が学生生活を始めた頃の空気と重なっています。
大学時代、一人で暮らしていたアパートで音楽を聴いていた頃のことを思い出します。今のように好きな曲をいつでも簡単に呼び出せる時代ではありません。一枚のレコード、一つの曲と過ごす時間は、今よりずっと長かったように思います。
大学から帰り、誰もいない部屋でレコードをかける。音楽が始まれば、それだけで部屋の空気が変わる。森田公一のメロディーを聴くと、そんな二十歳前後の自分まで一緒に思い出すことがあります。

曲だけではなく、その頃の時間まで覚えている
昔よく聴いた音楽には、その曲とは直接関係のない記憶まで結びついています。部屋の様子や季節、夜の静けさ、その頃考えていたこと。僕の中では、それらと音楽がきれいに分かれてはいません。
だから森田公一は、単に「好きな作曲家」という言葉だけでは収まりません。学生時代のある場所に彼のメロディーが流れていた。そのことが、何十年たった今でも森田公一の音楽を特別なものにしています。
「時代おくれ」は、その記憶より後の曲だった
「時代おくれ」が河島英五によって発表されたのは1986年。大学時代からすでに何年もたち、僕は社会人になっていました。
それでも今この曲を聴くと、森田公一らしい切ないメロディーの向こうに、もっと若かった頃の記憶まで重なってきます。
一人の音楽家の作品が、長い時間を隔てながら、自分の人生の異なる時期につながっている。そこにも、音楽を聴き続ける面白さがあるように思います。
1986年に「時代おくれ」と歌った意味
「時代おくれ」が発表された1986年を振り返ると、この題名はとても象徴的に感じられます。日本はバブル景気へ向かう時期にあり、新しさや華やかさ、豊かさを象徴するものが次々と注目されていました。
そんな時代に阿久悠が描いたのは、世間の中心に立とうとする男ではありません。目立とうとせず、自分を大きく見せようともせず、酒を飲み、友を大切にし、家族には愚痴をこぼさない。時代の華やかさとは対照的な人物です。

時代についていけない男ではない
だからこそ「時代おくれ」という題名には、単なる自嘲とは違う響きがあります。時代についていけないのではなく、ついていかない部分を自分で決めている。
僕には、そんな意志を持った言葉として聞こえます。
世間がどちらへ向かおうと、自分まで同じ方向へ走る必要はない。しかし、世の中を否定して背を向けるわけでもない。その距離感が、この主人公を単なる頑固者にしないのでしょう。
格好よさを語らない男が、格好よく見えてくる
この歌に登場する男は、自分の美学を声高に宣言しません。
周囲に認めさせようともせず、自分に似合わないことには手を出さない。人との付き合いにも、自分なりの節度を持っています。
ところが、その姿を最後まで追っていくと、不思議なことに強い男に見えてきます。強さを誇示しないこと自体が、一つの強さになっているからでしょう。
長く生きてきたからこそ分かる難しさ
人前で必要以上に自分を飾らない。家族に不満をぶつけない。昔からの友人を大切にする。周囲との競争ばかりに心を奪われず、大切な人を変わらず思い続ける。
言葉にすれば簡単です。しかし、長く社会の中で生きていると、それを貫く難しさも分かってきます。若い頃なら古風な男の歌として通り過ぎたかもしれない言葉が、今では違う重さを持って響いてきます。

作曲者が歌うと、何が変わるのか
河島英五の「時代おくれ」には、歌い手自身の人生まで背負っているような重量があります。声の太さ、言葉の置き方、酒を歌ってきた歌手としての存在感。そのすべてが作品と重なり、河島英五と歌の主人公が自然に結びついて聞こえます。
森田公一版で見えてくる「作曲作品」としての姿
森田公一版では、その印象が少し変わります。歌そのものを劇的に演じるというより、メロディーと詞をまっすぐ運んでいく。
僕にはその歌い方によって、河島英五の強烈な存在感の奥にあった「作曲作品としての輪郭」が見えやすくなるように感じられます。
これは、どちらが優れているという話ではありません。同じ詞と旋律が、歌い手によって異なる表情を見せる。その違いを聴き比べられることも、「時代おくれ」という作品の面白さです。
歌手であると同時に、作曲家だった森田公一
森田公一には、「青春時代」などをトップギャランとともに歌った歌手としての顔と、多くの歌手へ作品を提供した作曲家としての顔があります。「時代おくれ」は、後者の仕事を考えるうえでも印象深い一曲です。
しかも、森田公一自身の歌唱も残されています。他の歌手によって広く知られた作品を作曲者本人が歌うと、単なるカバーとは少し違って聞こえます。自分の手を離れて育った曲に、作曲者自身がもう一度向き合っているように感じられるからです。
河島英五が歌ったことで「時代おくれ」は彼の代表曲となりました。それでも、旋律の源には森田公一がいる。歌い手と作り手、それぞれの個性が重なって一つの作品が長く残ってきたのだと思います。
阿久悠と森田公一――言葉と旋律の組み合わせ

森田公一を語るとき、阿久悠との組み合わせは避けて通れません。「下宿屋」「青春時代」など、二人が組んだ作品には、人間の少し格好悪いところや、思い通りにならない人生を見つめる視線があります。
青春を歌った二人が、大人の男を描く
「時代おくれ」にいるのは、青春のただ中で迷っている若者ではありません。さまざまなものを背負いながら、自分なりの生き方を選んでいこうとする大人です。
阿久悠は、その人物を立派な成功者として描きません。森田公一も、英雄のように聞かせる旋律にはしません。
二人の感覚が重なったことで、「時代おくれ」は説教にも人生訓にもならず、一人の男のささやかな願いとして胸に残るのだと思います。
僕が第7位に置いた理由
今回のminiBest7で「時代おくれ」を第7位にした最大の理由は、歌手・森田公一と作曲家・森田公一、その両方を感じられる一曲だからです。
「青春時代」など、自ら歌った作品で親しんできた森田公一。その一方で、別の歌手へ提供した曲にも、僕が惹かれてきた切ないメロディーが流れています。「時代おくれ」は河島英五の代表曲でありながら、作曲家・森田公一の魅力を改めて意識させてくれました。
さらに、作曲者自身の歌唱まで残されている。同じ作品を河島英五版と森田公一版で聴けることによって、一つの曲が持つ表情の広さまで味わえます。森田公一を振り返るminiBestの入口として、第7位に置く意味のある作品だと思っています。
終わりに
「時代おくれ」は、河島英五の歌唱によって多くの人の記憶に刻まれました。しかし森田公一のminiBestとして聴き直すと、阿久悠の言葉を受け止めるメロディーの巧さが、改めて見えてきます。
僕にとって森田公一は、大学時代の記憶を呼び戻す音楽家です。そして「時代おくれ」は、その頃より後、社会人になってから発表された作品。今振り返れば、どちらにも僕が好きな森田公一らしい切なさが流れています。

目立つことを競わない。似合わないことを無理にしない。人を妬まず、焦らず、自分が大切だと思うものを守っていく。そんな生き方は、本当に「時代おくれ」なのでしょうか。
僕にはむしろ、時代が変わっても簡単には古くならないものを歌っているように聞こえます。河島英五の名唱から、森田公一自身の歌唱、そしてその根底にある旋律へ。そこまでたどってみると、この曲を「僕の勝手なminiBest7【森田公一編】」第7位に置いた理由が、よりはっきりしてきます。

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