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第21位は『ワインレッドの心』です
1983年の日本のヒットチャートを振り返ると、それまでの歌謡曲の文脈とは明らかに異なる、新時代の匂いが街に満ち始めていたことに気づかされます。
その象徴として、洗練された都会派のラブソングの形をとりながら、またたく間に日本中を染め上げたのが安全地帯の『ワインレッドの心』でした。(この曲は1983年11月25日に安全地帯の4枚目のシングルとしてリリースされたものです。オリコンでは初の1位獲得となり、翌年1984年の年間チャート2位に輝く大ヒット曲となりました。)
しかし、この楽曲の真の凄み、あるいはゾクッとするような深淵は、セルフカバーとして陽水自身が歌い直したヴァージョンにこそ宿っています。
玉置浩二氏がロマンティシズムの極致として情熱的に唄い上げた名曲を、作詞者である井上陽水は、まるで舞台の裏側からすべてを見通す観察者のような視線で解体してみせました。

今回、僕の勝手なBest30において、このあまりにも有名な楽曲を21位に据えたのは、この歌が内包するスマートな駆け引きの奥にある、剥き出しの人間心理をもう一度じっくりと読み解いてみたいと考えたからです。
超訳:歌詞の世界観が描き出すもの
好き勝手に恋を楽しむより、忘れられない記憶ごと全部消えてしまいたい。
あなたの奥に眠る、消えかけたワインレッドの心が本物なら、私をもっと深く愛してほしい。
泣き言や別れの言葉に酔うくらいなら、何度でも抱きしめて、今夜だけでも確かめ合いたい。
私は、あなたの中で燃え残っている情熱を、もう一度この夜に差し出してほしい。
まずはYouTube動画でお聞きください
下の画像をクリックしてください。(Yotube動画にリンクしています)

『ワインレッドの心』(セルフカバー・ヴァージョン)
作詞:井上陽水 / 作曲:玉置浩二 / 編曲:星勝
※1984年リリースのアルバム『9.5カラット』に収録された、陽水自身による金字塔的セルフカバー。安全地帯のオリジナル版が持つ都会的な哀愁とは一線を画し、気怠さと妖艶さが同居する唯一無二の音響空間が構築されています。
他にも、時代の変遷とともに異なるアプローチで披露された貴重なライブ音源が存在します。それぞれの夜に陽水が注ぎ込んだ、異なる色合いの「ワインレッド」を聴き比べてみてください。
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『ワインレッドの心』(1992年・『Guide Time』ライブより) 90年代初頭の空気感を纏ったアレンジ。抑制されたバンドサウンドの中で、陽水のボーカルはよりフラットに、しかし確実に聴き手の耳の奥へと侵入してくるような、引き算の美学が冴え渡るステージです。
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『ワインレッドの心』(2000年代・アコースティックライブ) 年月を経て、さらに深みを増した陽水の歌声が堪能できるヴァージョン。装飾を削ぎ落としたアコースティックな響きの中で、言葉のひとつひとつが重く、そしてより艶やかに空間を支配していくスリリングな名演です。
(※現在、インターネット上に存在する井上陽水氏の音源は、公式による配信ではないものが大半を占めています。そのため当ブログでは、著作権上の配慮に基づき、動画の直接埋め込みではなく、独自に用意した画像から外部サイトへリンクする形式を採用しております。)
歌謡曲の皮を被った「心理サスペンス」としての構造
多くの人々は、この曲を「すれ違う男女の、少しアダルトで贅沢なラブストーリー」として受け止めてきました。テレビから流れる安全地帯の洗練された演奏と、玉置浩二氏の端正な佇まい、そして切なさを帯びたハスキーボイスは、当時の歌謡界において完璧な「正解」だったからです。
しかし、陽水が自らマイクの前に立ち、あの低音のファルセットを響かせた瞬間、楽曲が纏っていたロマンティックな霧は一瞬にして晴れ渡り、そこにはまったく別の風景が現れました。それは、お洒落なバーの片隅で交わされる甘い囁きなどではなく、逃げ場のない密室で繰り広げられる、精神的な主導権争い(パワーゲーム)の構図です。

- 「もっと勝手に恋したり」という挑発:相手を突き放すようでいて、実は逃がさないための罠。
- 「忘れてしまえば」という断罪:過去の思い出にしがみつく弱さを、優しく、しかし容赦なく否定する視線。
- 「ワインをあけたら」という境界線:理性のロックを解除し、こちらの領域へ引きずり込もうとする確信犯的な一手。
陽水はここで、傷つくことを恐れて「恥じらうよりもてだてがなくて」立ち尽くしている高慢な女性の心理を、完全に丸裸にしています。この歌の主人公は、決して包容力のある優しい男ではありません。むしろ、相手の心理的崩壊をじっと待ち構えている、ひどくサディスティックで、それでいて底知れぬ孤独を抱えた男の姿が浮かび上がってくるのです。
星勝による「温度を排した音像」がもたらす時代感
安全地帯のオリジナル編曲が、当時の最先端をゆくニューミュージック的な色彩と、ダイナミックな感情の揺れを表現していたのに対し、陽水のセルフカバーを手掛けた星勝氏のアレンジは、徹底して「情緒に流されない」音響設計がなされています。
1980年代半ば、シンセサイザーの技術は急速に発展し、多くの楽曲が煌びやかで過剰なデコレーションに走る中、アルバム『9.5カラット』における『ワインレッドの心』のベースラインとドラムのタイトさは異質でした。
無駄な残響を削ぎ落としたソリッドなリズムセクションの上を、どこか不穏な電子音が浮遊していくその様は、まるで冷え切った都会の夜の舗道を一人で歩いているかのような錯覚を抱かせます。
僕たちが過ごしてきたあの狂乱のバブル前夜という時代は、誰もが華やかな消費の渦に飛び込み、記号化された豊かさを謳歌していた時代でした。しかしその一方で、個人の内面はどこか酷く希薄で、他人との本当の繋がりを見失いかけていた時代でもあったはずです。
星勝氏が構築したこの音像は、そうした時代の表層的な華やかさを完全に拒絶し、物質的豊かさの裏側に潜む「精神的な飢餓感」を実に見事に捉えています。
「言葉の裏」を読ませる日本語のレトリック
井上陽水という作詞家が優れているのは、ありふれた歌謡曲のボキャブラリーを使いながら、まったく異なる情景を聴き手に想起させる点にあります。この『ワインレッドの心』でも、「揺れ動く」や「惹かれあう」といった、一見すると美しい恋愛描写が並んでいますが、その実態はきわめて乾いた関係性の提示です。

昭和の叙情主義からの決別
たとえば、西田佐知子氏が唄った名曲「アカシアの雨がやむとき」に代表されるような、昭和特有のわかりやすい湿度や感傷はここには一切存在しません。
登場する小道具やシチュエーションは徹底して無機質であり、だからこそ聴き手は、メロディの美しさに身を委ねながらも、どこか足元がすくむような感覚を覚えることになります。
「燃えそうに燃えない」もどかしさ
互いの手の内を探り合う、大人のずるさの体現。
「プライド」という名の防壁
それを崩されたときの快感までを見越した、執拗なアプローチ。
本音を隠し、建前で装いながらも、どこかで心の奥を覗き見られたいと願う大人の矛盾。陽水が仕掛けた無機質な言葉のフックは、聴き手の防壁をいつの間にかすり抜けてしまうのです。
玉置浩二と井上陽水、二つの才能が交錯した奇跡
この楽曲を語る上で、作曲者である玉置浩二氏のメロディメーカーとしての天才性に触れないわけにはいきません。彼が作った旋律は、どこを切り取っても日本人の心の琴線に触れる哀愁を帯びており、同時に洋楽的な洗練されたコード進行を持っています。

「陽」のロマンティシズムと「陰」の美学
安全地帯のオリジナルが、聴き手を大きな情熱と哀愁で包み込むような「陽」のロマンティシズムだとすれば、陽水のセルフカバーは徹底して「陰」の美学に貫かれています。

玉置氏の瑞々しい感性が生み出した美しくドラマティックな器に、陽水があえて少し毒のあるエッセンスを注ぎ込む。歌い手のアプローチひとつでここまで劇的に世界観が変わる例を、僕は他に知りません。
幸福な共犯関係の記録
陽水は、玉置氏という稀代のボーカリストへのリスペクトを払いながらも、自分が作った言葉の「本当の居場所」を証明するかのように唄います。
それは、安全地帯のような包容力のある歌唱ではなく、どこか気怠い劇の案内人のような響きを持って、聴き手の内面を静かに揺さぶってくる緊張感に満ちたものです。どちらが優れているかという議論ではなく、一つの楽曲が持つ可能性の広がりを示す、そんな幸福な共犯関係の記録がここには残されています。
終わりに
『ワインレッドの心』というタイトルが示す赤は、単なる情熱の赤ではありません。それは、時間が経つにつれて深みを増し、時には黒ずんで見えることもある、熟成された大人の感情の色です。

陽水のセルフカバーを聴くということは、そのワインの渋みや、喉を通り過ぎた後に残るかすかな苦味までを、ひとりで静かに味わうような体験に似ています。きらびやかな流行歌として消費される運命にあったはずのメロディに、永遠に色褪せない「不穏な美しさ」を与えた陽水の歌唱は、やはり日本のポップス界において傑出した足跡と言えるでしょう。
夜の静寂の中で、グラスを傾けながらこの歌に耳を傾けるとき、僕たちは今もなお、陽水が仕掛けた言葉の迷宮から抜け出せなくなるのです。

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