🎸僕の勝手なBest10【フリートウッド・マック編】―<Fleetwood Macleetwood Mac>歴史!

フリートウッド・マックの歴史:1970年代から1980年代の輝き

はじめに:長きにわたる音楽の旅

今回の『僕の勝手なBest10』は、フリートウッド・マックです。
まずは、このバンドが築いてきた歴史に焦点を当ててみたいと思います。1967年にイギリスで結成されて以降、数々の困難を乗り越えながら、特に1970年代から1980年代にかけて世界的な成功を収めた彼ら。そのサウンドは、ブルースを出発点にしながらもポップロックへと大胆に変貌し、今も多くのリスナーを魅了し続けています。この記事では、その栄光の軌跡を時代ごとにたどっていきます。

結成と初期:ブルースに根ざした出発点

フリートウッド・マックは1967年、元ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのギタリストであるピーター・グリーンを中心に、ミック・フリートウッド(ドラムス)、ジョン・マクヴィー(ベース)、ジェレミー・スペンサー(ギター)によってロンドンで結成されました。バンド名は、ドラムとベースを担う二人の姓から名付けられています。

初期の音楽性は英国ブルースに強く影響されており、1968年のインストゥルメンタル「Albatross」はUKチャート1位を獲得しました。しかしその後、グリーンの精神的な問題やスペンサーの脱退(宗教団体への参加)など、メンバーの離脱が続き、バンドは不安定な時期に突入します。1970年にはダニー・カーワンも加入しましたが、オリジナルメンバーの多くが去り、音楽的方向性にも変化の兆しが見え始めました。

変革と飛躍:1970年代の転機

新体制の模索と音楽の拡張

1970年代初頭には、クリスティン・マクヴィー(ジョン・マクヴィーの妻)がキーボードとボーカルとして正式に加入します。さらに、アメリカ出身のギタリスト、ボブ・ウェルチが加わることで、サウンドはブルースからフォーク・ロック、ソフトロックへと拡がりを見せていきました。

この時期に発表された『Future Games』(1971年)や『Bare Trees』(1972年)は商業的には大ヒットとは言えなかったものの、独特の叙情性と実験精神に富み、バンドの変化を象徴する作品となりました。特に「Sentimental Lady」は、後にウェルチのソロ曲としてヒットし、再評価されることとなります。

バッキンガムとニックスの加入による大転換

1974年、ミック・フリートウッドはロサンゼルスで活動していたデュオ「バッキンガム・ニックス」に注目します。ギタリストのリンジー・バッキンガムとシンガーのスティーヴィー・ニックスの2人は、1975年に正式にフリートウッド・マックへ加入。この出来事は、バンドの歴史を大きく変える転機となりました。(僕が好んで聴くのもこの辺からとなります!)

加入後に発表されたアルバム『Fleetwood Mac』は、全米アルバムチャート1位を獲得。彼らのポップロック色を押し出したサウンドは広く支持され、バンドは国際的な人気を確立します。

『Rumours』の誕生とその衝撃

1977年にリリースされた『Rumours』は、メンバー間の恋愛関係の崩壊や個人的葛藤を反映した作品として知られています。しかし、その複雑な人間模様を超えて、音楽としての完成度は極めて高く、「Dreams」「Go Your Own Way」「The Chain」など多くの名曲が誕生しました。

このアルバムは全世界で4,000万枚以上を売り上げ、1978年にはグラミー賞の最優秀アルバム賞も受賞。今なお「70年代最高のアルバム」と評される傑作です。

『Tusk』での大胆な挑戦

1979年、バンドは実験的な2枚組アルバム『Tusk』をリリースします。リンジー・バッキンガムの独創的なプロデュースのもと、USCマーチング・バンドと共演した表題曲「Tusk」や、スティーヴィー・ニックスの名バラード「Sara」などが収録されています。

『Rumours』ほどの商業的成功には至りませんでしたが、その革新性は今も高く評価されており、後のオルタナティブ・ロックやインディー・サウンドにも影響を与えました。

迷走と再構築:1980年代のフリートウッド・マック

ソロ活動と内部の分裂

1980年代に入ると、メンバーそれぞれのソロ活動が活発になっていきます。スティーヴィー・ニックスの『Bella Donna』(1981年)や、リンジー・バッキンガムの『Law and Order』(同年)は高く評価され、個人としての才能を証明しました。

一方で、バンドの結束は次第に緩み、1982年の『Mirage』こそヒットしたものの、かつての爆発的なエネルギーは見られませんでした。

1987年の『Tango in the Night』では「Big Love」「Little Lies」「Everywhere」などの楽曲が再び大ヒットしますが、アルバム完成直後にバッキンガムが脱退。バンドは新体制での再出発を余儀なくされます。

再結集への足がかり

1988年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム入りを果たし、1989年には新メンバーを迎えて『Behind the Mask』を発表。しかし反響は限定的で、商業的には成功を収められませんでした。

1993年、ビル・クリントン大統領就任式での「Don’t Stop」演奏により、クラシック・ラインナップが再集結。この出来事は多くのファンにとって大きな希望となり、再評価の気運を高めました。

再結成と再評価:1990年代以降の歩み

1997年、再結成ライブアルバム『The Dance』がリリースされ、バンドは完全復活を印象づけました。「Silver Springs」をはじめとする過去の名曲も再演され、演奏・アレンジの成熟度が称賛されました。

その後、2003年には『Say You Will』を発表。2014年にはクリスティン・マクヴィーが復帰し、再び黄金期に近い布陣が揃いましたが、2018年にはバッキンガムが脱退し、再びバランスが崩れます。

2022年、クリスティン・マクヴィーが死去。スティーヴィー・ニックスは「フリートウッド・マックの物語はここで終わった」と語り、バンドは活動休止状態となりました。

音楽的特徴と文化的影響

サウンドの多様性と緻密さ

フリートウッド・マックは、ブルース、フォーク、ロック、ポップといったジャンルを巧みに融合させる音楽性で知られています。特に『Rumours』における完璧なアンサンブルとボーカル・ハーモニーは、ポップロックの金字塔と言えるでしょう。

後世への影響とメディア展開

バンドの音楽は90年代以降のオルタナティブ・ロックや現代のインディー・ポップにも広く影響を与えています。2020年には「Dreams」がTikTok上でバイラルヒットし、新たな世代のリスナーに再発見されました。

また、2023年のAmazonドラマ『Daisy Jones & The Six』は彼らをモデルにしたとされ、そのドラマチックなバンドの軌跡がフィクションとして再構築されています。

おわりに:時代を超えて響くレガシー

フリートウッド・マックは、波乱万丈の歩みを経ながらも、音楽と物語の両面で深い影響を残してきました。数々の困難や分裂を乗り越えた彼らの歴史は、単なるバンドの成功物語にとどまらず、一つの文化的レジェンドとして語り継がれています。今もその音楽は、世代を超えて人々の心に響き続けているのです。

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