今日は、杉田二郎さんの誕生日です。
今日(2024.11.2)は杉田二郎さんの78才の誕生日です。おめでとうございます。
本来は、昨日投稿すべきでしたが、本日11/3に投稿する対象者がいなかったので本日の投稿とさせていただきました。(すみません( ;∀;))
今日の紹介曲:

杉田二郎『男どうし』(1975年)
現在、公式による映像配信は確認されていませんが、YouTube上には過去の音源や映像を視聴できる動画がアップされています。上記画像をクリックしたリンク先は非公式アップロードと思われる動画ですが、楽曲の雰囲気を感じたい方には参考になるでしょう。
※本動画は公式チャンネルによるものではないため、視聴・引用は各自の判断にてお願いいたします。
スタジオ録音なので、音はすごくいいですね! ギター音が美しいし、何より声がいい。
今日気付いたんですけど、最後のところで「ワン・ツー・スリー・フォー」って歌詞があるんですね。メロディーと合わせて聴くと、アメリカの「金色の髪の少女」の最後と似てませんかねぇ!?
更に言うと、出だしもアメリカの「金色の髪の少女」とそっくりでビックリです。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1975 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
高校2年の頃ですね。
今回記事を書くまでは、中学校の時に聴いたもんだとばかり思っていました。
恐らく1971年リリースした彼のもっとも有名な曲「戦争を知らない子供たち」のインパクトが強すぎてそう思い込んでいたのでしょうね。人の記憶はつでも書き換えられてしまいます。
異彩を放つフォークの名曲
1975年9月にリリースされた杉田二郎の「男どうし」は、日本のフォークソング史において独自の存在感を放つ名曲として知られています。フォーク・ムーブメントが社会の言葉を代弁していた時代、この曲は“友情”という個人的で普遍的なテーマを真正面から扱い、多くの共感を集めました。
曲名からは一見、硬派で男臭い印象を受けるかもしれません。しかし、実際の楽曲には温もりと優しさが込められています。「男同士」という言葉に込められた真意は、無骨な強がりではなく、言葉にすることでしか伝えられない不器用な誠実さであると感じられます。

本稿では、そんな「男どうし」の魅力について、音楽性・歌詞・制作背景・文化的影響という観点から詳しく掘り下げて行きましょう。
心に寄り添うシンプルな構成
「男どうし」は、アコースティックギターを中心に据えたシンプルな編成で構成されています。派手な装飾や技巧を排し、淡々としたコード進行と杉田二郎の落ち着いた歌声が、楽曲に静かな力を与えています。
無駄を省いたアレンジ
余計な演出がないぶん、聴き手は素直に歌詞と言葉に集中することができます。その中に込められた思いをストレートに受け取ることができるのです。
印象的なフレーズの反復
特に印象的なのが、何度も繰り返される「男どうしじゃないか」「昔のように話し明かそうよ」という言葉です。これは実際の歌詞に登場する言葉であり、まるで「支え合って生きていこう」と呼びかけているかのような説得力を持っています。
言葉にしてこそ伝わるもの
「男どうし」という作品の本質は、“語らないこと”を美徳とする日本的な男性像への静かな反論にも見受けられます。友情とは黙って支え合うもの、という常識に対し、杉田二郎はあえて言葉で伝えるという選択をされました。

歌だからこそ伝えられる
普段は口にできない気持ちを、歌にすることでようやく届けることができるのです。その感覚こそが、この曲に多くの共感が寄せられる理由のひとつといえるでしょう。
私的な記憶から生まれた普遍性
「男どうし」に描かれる世界には、杉田二郎自身の経験が濃密に反映されているように感じられます。楽曲には、手紙では伝えられない思い、ふるさとに戻って語り明かす約束、子どもの頃の友人たちとの再会といった描写が綴られており、そのすべてが極めて個人的でありながら、同時に多くの人にとっての“懐かしい原風景”と重なってまいります。

記憶の風景としての歌詞
誰しもが経験した、幼なじみとの再会、照れくささと安心感の入り混じった会話。そうした情景が、杉田二郎の優しいメロディーとともに、記憶の奥から静かに浮かび上がってくるように感じられます。
北山修との共作が生んだ名曲
この曲が誕生した背景には、杉田二郎のソロ活動と、作詞家・精神科医として知られる北山修さんとのコラボレーションがあります。
二人の円熟が交差した瞬間と詩と旋律の融合
1972年からソロに転じた杉田二郎は、音楽的にも人間的にも円熟期を迎えていました。その中で北山さんと出会い、両者の感性が見事に交差したのが「男どうし」であるといえます。
北山さんが手がけた歌詞は、ただの友情ではなく、人生の折々に交差する“男同士の縁”を描き出しています。杉田二郎の包容力あるメロディーと合わさることで、この作品は単なる友情の歌を超え、人生の哀歓を共にする関係性を浮かび上がらせているのです。

フォークシーンにおける杉田さんの立ち位置
杉田二郎は、ジローズの活動を経てソロに転向し、日本フォーク界において確固たる地位を築かれたアーティストです。
共に歩んだ同志たち
杉田二郎は吉田拓郎や南こうせつ、はしだのりひこらと同時代を生き、影響を与え合った仲間でもあります。その交流の中で育まれた“支え合い”の精神は、「男どうし」という作品にも色濃く反映されています。
仲間と作る音楽の力
フォークソングは、仲間と共にある音楽です。杉田二郎ご自身もまた、仲間と語らい、競い合い、励まし合いながら音楽の道を歩んでこられました。その軌跡が、この一曲に凝縮されているように思われます。
タイトルに込められた確信
この楽曲には、当初別のタイトル案が存在していたと伝えられています。しかし最終的に「男どうし」という極めてシンプルな表現が選ばれたことで、楽曲のメッセージは一層明確になりました。
奥行きを生む簡潔さ
杉田二郎はこの曲について「シンプルすぎて歌いこなすのが難しい」と語っています。その言葉どおり、この曲には余白が多く、演奏者や聴き手の解釈によってさまざまなニュアンスを帯びます。だからこそ、長く歌い継がれる価値があるのだと感じます。
今もなお愛され続ける理由
「男どうし」は、時を経ても色あせることなく、現在もなお多くの人々に愛され続けています。杉田二郎がステージでこの曲を歌うとき、客席は静まり、やがて一体となってその歌に耳を傾けるのです。

歌が生きる現場の力と時代を越えて響くメッセージ
友情を歌いながらも、そこには“生きることそのもの”が描かれています。互いを認め合い、許し合い、再び語り合う――そうした普遍的な人間関係の機微が、この曲には確かに息づいているように感じます。
リリースから半世紀近くが経った今でも、「男どうし」は日本の音楽文化におけるかけがえのない一曲として、多くの人の心に寄り添い続けているのです。
「男どうし」(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)・・・意訳!
君には家庭ができ、僕も年を重ねた。
けれど、あの頃と同じように語り合える相手は、
やっぱり君しかいない。時代は薄っぺらで、言葉はすぐに風化するけれど、
友情だけは壊れないと、今こそ信じていたいんだ。ふるさとに帰ったら、また二人だけで会おう。
手紙じゃ足りない話を、酒でも飲みながら、
くだらないことも、大切なことも、
昔のように語り明かそう。だって俺たち――
男どうしじゃないか。
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