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■【アルバート・ハモンド】について詳しくはこちらから!➡Wikipedia
僕の勝手なBest10:第1位は『カリフォルニアの青い空』
アルバート・ハモンド編も、いよいよ最後の一曲です。
第1位に選んだのは、1972年に発表された『カリフォルニアの青い空』(It Never Rains in Southern California)です。
僕にとっては、ほとんど迷う余地のない1位でした。中学2年生だった頃に出会い、それから半世紀以上が過ぎても、最初に聴いたときの感覚が薄れていません。
明るく乾いた南カリフォルニアを思わせる旋律。しかし、その奥から聞こえてくるのは、成功を夢見て故郷を離れた若者の挫折です。爽やかな音とほろ苦い物語が同居していることこそ、この曲が長く心に残り続ける最大の理由なのかもしれません。
🎥 まずはオリジナル音源から
アルバート・ハモンドの声とメロディをじっくり味わえる公式オーディオです
🎵 クレジット情報
動画提供:Albert Hammond Official
音源提供:Epic Records/Sony Music Entertainment
楽曲:Albert Hammond「It Never Rains in Southern California」
リリース年:1972年
作詞・作曲:Albert Hammond、Mike Hazlewood
URL:https://www.youtube.com/watch?v=meDpNwem0Vo
派手な歌い方ではありません。しかし、少し乾いた質感を持つハモンドの声には、この物語に必要な寂しさがあります。旋律だけを聴けば爽やかなポップソングなのに、声が加わった瞬間、景色の向こう側に孤独が見えてくる。この微妙なバランスが実に見事です。
歌うアルバート・ハモンドの姿も見ておきたい
こちらでは、歌っているアルバート・ハモンド自身の姿を見ることができます。飾り気のない歌い方と穏やかな佇まいは、この曲の持つ素朴さによく似合っています。僕にとっては、若い頃のハモンドを映したこうした映像を見ると、当時ラジオから流れてきた声が一気に現実の人物として蘇ってきます。
📺 動画クレジット
チャンネル:Albert Hammond Official
楽曲:Albert Hammond「It Never Rains in Southern California」
作詞・作曲:Albert Hammond、Mike Hazlewood
URL:https://www.youtube.com/watch?v=FEMJ2AnEg6s
そして時代を越えて生まれ変わったシンフォニック版
シンフォニック・アレンジでは、オリジナルの簡潔なサウンドに豊かなオーケストレーションが加わります。それでも曲の核となる旋律は少しも色褪せません。むしろ、楽曲そのものがいかに強いメロディを持っていたのかが、改めてよく分かります。
🎬 クレジット情報
動画タイトル:Albert Hammond - It Never Rains in Southern California (Lyric Video)
チャンネル:Albert Hammond Official
バージョン:シンフォニック・アレンジ
URL:https://www.youtube.com/watch?v=Mplc5c02JP8
青空の下にある挫折──『It Never Rains in Southern California』
この曲が描くのは、いわゆる成功物語ではありません。華やかなショービジネスの世界に憧れて西へ向かった主人公が、思うような成功をつかめず、金にも困り、自尊心さえ失いかけている。その状況を、南カリフォルニアの明るいイメージと重ね合わせています。
題名の「南カリフォルニアでは雨が降らない」という言葉は、文字どおりの気象の話だけではありません。楽園のように見える場所にも、いったん人生の雨が降り始めれば激しく降り注ぐ。そんな皮肉が曲全体を貫いています。
1972年に発表されたこの曲は、アメリカのBillboard Hot 100で最高5位まで上昇しました。アルバート・ハモンド自身を世界に知らしめた代表曲であり、現在でも彼の名前と最も強く結びついている作品です。

1972年──大きく動き始めていた世界
ベトナム戦争、米中接近、そしてウォーターゲート
『カリフォルニアの青い空』が生まれた1972年は、世界の政治や社会が大きく揺れた年でもありました。
アメリカではベトナム戦争が続く一方、2月21日から28日にかけてリチャード・ニクソン大統領が中国を訪問しました。現職のアメリカ大統領による歴史的な訪中で、冷戦下の国際関係に大きな転換をもたらします。
そのわずか数か月後の6月17日には、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部への侵入事件が発生しました。後にニクソン政権による隠蔽工作へ調査が及び、1974年の大統領辞任につながっていきます。
日本でも忘れられない出来事が続いた
日本では2月に札幌冬季オリンピックが開催され、70メートル級ジャンプで日本勢が金・銀・銅メダルを独占しました。その一方、2月19日から28日にかけて起きたあさま山荘事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。
さらに5月15日には沖縄が日本へ復帰します。明るいニュースと深刻な事件が入り交じった1972年。僕自身も中学生でしたから、この年の出来事には今でも独特の記憶があります。
フォーク、ロック、ポップスが交差した豊かな時代
1972年の音楽シーン
音楽の世界でも、1972年は非常に豊かな一年でした。シンガーソングライターによる内省的な作品が広く聴かれる一方、ロックはさらに多様化していきます。
キャロル・キングやジェームス・テイラーに代表される繊細なポップスが支持され、英国ではエルトン・ジョンが『Rocket Man』を発表。ロックの側ではディープ・パープルが『Machine Head』を世に送り出し、ピンク・フロイドは翌1973年に発表する『The Dark Side of the Moon』の制作を進めていました。
そんな多彩な音楽が同時に鳴っていた時代に、アルバート・ハモンドは大がかりな仕掛けではなく、親しみやすい旋律と一人の若者の物語で世界的なヒットを生み出しました。

ロンドンに生まれ、ジブラルタルで育ったアルバート・ハモンド
音楽家への道
アルバート・ハモンドは1944年5月18日、ロンドンで生まれました。両親はジブラルタル出身で、第二次世界大戦中に家族が英国へ避難していた時期の誕生でした。戦後、一家はジブラルタルへ戻り、ハモンドはそこで育ちます。
1960年には音楽活動を始め、The Diamond Boysを結成。その後英国に渡り、The Family Doggなどで活動しながら、歌手だけでなくソングライターとしての才能を磨いていきました。
歌手以上に驚くべきソングライターとしての実績
『It Never Rains in Southern California』の成功によって、ハモンドは自身の歌声でも広く知られるようになります。しかし、彼のキャリアを振り返ると、ソングライターとして残した実績の大きさにも驚かされます。
ホリーズで世界的なヒットとなった『The Air That I Breathe』をマイク・ヘイズルウッドと共同で書き、後年にはダイアン・ウォーレンとの共作でスターシップの『Nothing’s Gonna Stop Us Now』も生み出しました。
つまりアルバート・ハモンドは、一発の大ヒット曲だけで語れる人物ではありません。自ら歌うシンガーソングライターであると同時に、何十年にもわたってポップミュージックの裏側を支えた作曲家でもあるのです。

明るいメロディに、なぜこれほど切なさを感じるのか
軽やかなサウンドと重い物語
この曲の面白さは、歌詞の内容だけを強調した暗いバラードにはなっていないところです。
ギターを中心としたイントロは軽やかで、リズムにも心地よい推進力があります。そこへストリングスやコーラスが加わり、柔らかなポップサウンドが形づくられていきます。
ところが、ハモンドが歌っている主人公の境遇は決して明るくありません。華やかな土地への期待と、そこで味わう困窮。その落差を説明ではなく音楽そのものによって感じさせるところに、この作品の巧さがあります。
声が物語を現実に変える
そして、何より僕が好きなのはハモンドの声です。
必要以上に感情を押し出さず、少し距離を置いたように歌う。その抑制があるからこそ、主人公の惨めさや意地がかえって伝わってきます。もしこの曲をもっと劇的に歌っていたなら、ここまで長く聴き続けたい曲にはならなかったかもしれません。

歌詞が描くのは「夢に敗れた人」の本音
成功を求めて西へ向かった主人公
歌の主人公は、テレビや映画の世界で成功する可能性を信じ、西へ向かいます。しかし、現実は想像していたほど甘くありませんでした。
仕事は見つからず、金もなくなり、自尊心まで失いかけています。それでも故郷の家族には、自分が失敗した姿を知られたくない。成功寸前だったと思っていてほしい。
ここが、この歌を単純な「アメリカンドリームへの批判」で終わらせない部分だと思います。
人は失敗したときほど強がる
夢がかなわなかったことよりも、それを故郷の人々に知られることの方がつらい。その感情は、とても人間的です。
何かに挑戦した経験がある人なら、程度の差こそあれ、この主人公の気持ちを理解できるのではないでしょうか。だから1972年の若者を描いた曲でありながら、半世紀を経ても古びないのでしょう。

『カリフォルニアの青い空』という邦題の魅力
日本では『It Never Rains in Southern California』に『カリフォルニアの青い空』という邦題が付けられました。
直訳ではありません。むしろ原題が持つ皮肉はかなり薄くなっています。それでも、この邦題は曲の第一印象を実によく捉えていると思います。
僕たちが当時思い描いたカリフォルニアは、青い空、太陽、広い道路、自由な若者たちの世界でした。その眩しいイメージがあるからこそ、歌の中の現実との落差が際立ちます。
今となっては、原題の意味を知ったうえで『カリフォルニアの青い空』という日本語タイトルを見ると、その明るさ自体がどこか切なく感じられます。
父から息子へ──もう一つのアルバート・ハモンド
アルバート・ハモンドの名前は、21世紀のロックを聴く人にとって別の意味でも馴染みがあるかもしれません。
息子のアルバート・ハモンド・Jr.は、The Strokesのギタリストとして知られています。The Strokesは2000年代初頭のガレージロック・リバイバルを代表するバンドの一つとなりました。
父と息子では音楽のスタイルは大きく異なります。それでも、親子二代の名前が異なる時代のポピュラーミュージック史に刻まれているというのは、何とも興味深い話です。
あの頃の青空は、今も変わらない
1972年、中学2年生だった僕が初めて耳にした『カリフォルニアの青い空』。
当時は歌詞の細かな意味まで理解して聴いていたわけではありません。それでも、あのメロディとアルバート・ハモンドの声には、ほかの曲とは少し違う何かを感じていました。
大人になって歌詞の物語を知ると、その印象はさらに深くなりました。明るい場所へ向かえば必ず幸せになれるわけではない。夢を追えば、失敗することもある。それでも人は、少しだけ格好をつけながら生きていく。
そんな人間の弱さまで、わずか数分のポップソングの中に閉じ込めてしまった作品です。
僕の勝手なBest10【アルバート・ハモンド編】第1位。
やはり僕には、この曲しかありません。
半世紀以上たった今でも、『カリフォルニアの青い空』を聴けば、1972年の空気と、中学生だった頃の自分が一緒に戻ってきます。

※ ウォーターゲート事件とは
1972年6月17日、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部へ5人の男が侵入し、逮捕されました。捜査が進むにつれてニクソン政権関係者とのつながりや事件後の隠蔽工作が明らかとなり、アメリカ政治を揺るがす大事件へ発展します。
1973年には上院で公聴会が開かれ、ホワイトハウスの録音システムの存在も判明しました。最終的にニクソン大統領は弾劾の可能性が高まる中、1974年8月8日に辞任を表明し、翌9日に正式に退任しました。アメリカ史上、大統領が任期途中で辞任した唯一の例です。

※ あさま山荘事件──中学生だった僕もテレビに釘付けになった
あさま山荘事件は、1972年2月19日から28日にかけて、長野県軽井沢町の「あさま山荘」で発生した連合赤軍による人質立てこもり事件です。
武装した5人が山荘管理人の妻を人質に立てこもり、警察との攻防は10日間続きました。2月28日に警察が突入し、人質は無事救出、5人は逮捕されました。突入の模様はテレビで長時間生中継され、日本中がその行方を見守りました。
当時中学生だった僕にとっても、忘れることのできない出来事です。1972年という年を思い出すとき、音楽とともに、こうした社会の記憶も同時に蘇ってきます。


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