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本文を読む前に、ブライアン・フェリーとロキシー・ミュージックの歩み、『アヴァロン』との出会いを音声でお楽しみください。
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音声を先に聴くことで、ブライアン・フェリーの音楽世界と『アヴァロン』へとつながる記事全体の流れをよりつかみやすくなります。
プロローグ――1982年、会社の寮で出会った『アヴァロン(Avalon)』
僕がブライアン・フェリー、そしてロキシー・ミュージックを知ったのは1982年でした。
当時、僕は会社の寮で暮らしていました。そこへ一年後輩が入寮してきました。しかも、彼の部屋は偶然にも僕の隣でした。
彼も洋楽が好きだったので、顔を合わせるうちに自然と音楽の話をするようになりました。そんな彼から、ある日紹介されたアルバムがあります。
ロキシー・ミュージック(Roxy Music)の『アヴァロン(Avalon)』です。

これが、僕とブライアン・フェリーとの最初の出会いでした。
後になって分かったのですが、その一年後輩は会社だけでなく、大学でも僕の後輩でした。会社の寮でたまたま隣室になり、洋楽という共通の話題から教えてもらった一枚のアルバム。それが40年以上経った今も僕の中に残っています。
音楽との出会いとは、案外そんな偶然から始まるものなのかもしれません。
ダンサブルで、都会的で、どこか中性的
初めて『アヴァロン』を聴いたとき、それまで僕が聴いてきたロックとは少し違うものを感じました。
ダンサブルなのに騒がしくありません。都会的で洗練されている一方で、どこか気怠さも漂っています。そしてブライアン・フェリー自身には、男性的な色気と中性的な美しさが同居しているように見えました。
僕には、どこかデヴィッド・ボウイと共通する「匂い」も感じられました。音楽そのものが似ているという意味ではありません。ファッションへの強い意識、ステージでの立ち姿、自分自身の存在まで含めて一つの表現にしてしまう感覚。そのあたりに、二人の共通点を感じていたのだと思います。

ただし、僕が最初に知ったロキシー・ミュージックは、長い変化を経た末の1982年の姿でした。
歴史を遡ってみると、そこへ至るまでの彼らは、僕が想像していた以上に大胆に姿を変えてきたバンドでした。
美術青年からロキシー・ミュージックへ――ブライアン・フェリーの出発点
ブライアン・フェリーは1945年、イングランド北東部のワシントンに生まれました。
ニューカッスル大学で学んだファインアート
ブライアン・フェリーはニューカッスル大学でファインアートを学びました。この経験は、後にロキシー・ミュージックを形作るうえで大きな意味を持つことになります。
音楽だけではなく、ファッション、写真、アルバムジャケット、ステージでの見せ方まで含めて一つの世界を作る。服装や立ち姿、独特な声まで含めて「ブライアン・フェリー」という人物そのものを表現にしていく感覚には、美術を学んだ経験もつながっているのでしょう。
1971年――ロキシー・ミュージック結成
1971年、ロンドンでロキシー・ミュージックが結成されます。ブライアン・フェリーとベーシストのグラハム・シンプソンを起点に、アンディ・マッケイ、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラ、ポール・トンプソンらが加わり、翌1972年にはデビューアルバム『ロキシー・ミュージック』を発表しました。

ところが、この頃のロキシー・ミュージックを後から聴いてみると、僕が『Avalon』で知ったバンドとはかなり違います。
アート・ロック、グラム・ロック、電子音、実験性。曲の途中で空気が変わり、1982年の滑らかなサウンドから遡って聴くと、同じバンドとは思えない瞬間さえあります。
音楽とファッションを一体化したバンド
ロキシー・ミュージックが独特だったのはサウンドだけではありません。衣装、アルバムジャケット、写真、ステージ演出までを作品の一部として扱いました。音楽とビジュアルを一体化して自分たちの世界を提示する姿勢は、当時としてはかなり先鋭的だったのでしょう。
1970年代――実験性から洗練へ
1972年のデビュー作に続き、ロキシー・ミュージックは1973年に『フォー・ユア・プレジャー』『ストランデッド』、1974年に『カントリー・ライフ』、1975年には『サイレン』を発表します。
ブライアン・イーノの脱退――それでも変化は止まらない
初期ロキシー・ミュージックを語るうえで欠かせない存在がブライアン・イーノです。電子音やテープ処理などを駆使し、バンドの実験的な側面を担っていました。

しかし、イーノは1973年、『フォー・ユア・プレジャー』を最後にグループを離れます。それでもロキシー・ミュージックは『ストランデッド』『カントリー・ライフ』『サイレン』と作品を重ね、初期の予測不能な面白さを残しながら、ブライアン・フェリーを中心に次第に洗練された方向へ進んでいきました。
1973年――並行して始まったソロ活動
ブライアン・フェリーは1973年、早くも最初のソロアルバム『These Foolish Things』を発表しています。ロキシー・ミュージックがデビューした翌年でした。
つまりキャリアのかなり早い段階から、ロキシー・ミュージックとソロという二つの場所で表現を続けてきたことになります。これが、今回の連載を「ロキシー・ミュージック編」ではなく、「ブライアン・フェリー編」とした理由です。僕にとって大切なのは名義の違いではなく、その中心にあるブライアン・フェリーの声と世界観だからです。

カヴァー曲でも失われない個性
ソロ活動ではカヴァー曲も積極的に取り上げてきました。ロックだけでなく、ポップスやスタンダードまで幅広い曲を歌っています。
しかし、原曲をそのままなぞるわけではありません。少し湿り気を帯びた声、気怠さ、色気、そして感情をすべて表へ出さない歌い方。他人が書いた曲でも「ブライアン・フェリーの歌」と感じられるところに、ヴォーカリストとしての強い個性があります。
4年間の休止――そして新しいロキシー・ミュージックへ
1975年の『サイレン』発表後、ロキシー・ミュージックは約4年間の休止期間に入ります。その間もブライアン・フェリーはソロ活動を続け、1979年、『マニフェスト』でロキシー・ミュージックは再始動します。
リズムとグルーヴへの接近
再始動したロキシー・ミュージックは、初期の実験的なサウンドをそのまま再現しませんでした。リズムやグルーヴへの関心が強まり、音楽はより滑らかになっていきます。翌1980年には『フレッシュ・アンド・ブラッド』を発表。この頃になると、1972年のデビュー作とは明らかに違うバンドになっていました。
「踊れるのに騒がしくない」という感覚
僕がブライアン・フェリー周辺の音楽に感じてきた「ダンサブル」という印象は、この時期以降のロキシー・ミュージックと深く結びついているのでしょう。
リズムに身体を預けられる一方で、どこか冷静です。華やかさの奥には寂しさがあり、都会的な洗練の中にわずかな退廃も感じます。僕には、夜のパーティーが終わりかけた頃に流れている音楽のようにも聞こえます。

1982年――『アヴァロン』という到達点
1982年、ロキシー・ミュージックは8枚目のスタジオアルバム『アヴァロン』を発表しました。結果的に、これが彼ら最後のスタジオアルバムとなります。
そして僕にとっては、ロキシー・ミュージックを知ったアルバムであり、ブライアン・フェリーを知ったアルバムでもあります。
初期とはまるで違うサウンド
初期ロキシー・ミュージックから順番にたどって『アヴァロン』を聴くと、その変化の大きさに驚きます。
デビュー当時の尖った音や突然変化する曲調、電子音を使った実験性は後景へ退き、代わって前面に出てくるのは空間、雰囲気、抑制です。ギターやサックスも必要以上に主張せず、リズムは明確なのに音数で圧倒しようとしません。

初期がさまざまな音をぶつけながら新しいものを生み出したロキシー・ミュージックだとすれば、『アヴァロン』は何を鳴らさないかまで考え抜いた音楽のように僕には聞こえます。
非常に完成されたアルバムだと思います
僕は今でも、『アヴァロン』は非常に完成されたアルバムだと思っています。
一曲一曲の出来だけではありません。最初から最後まで一つの空気が保たれ、曲が変わっても世界が途切れません。アルバムを通して聴いたときに生まれる一体感こそ、僕が「完成されている」と感じる大きな理由です。
音と音の間にある「余白」
40年以上経った今、あらためて聴くと、僕が『アヴァロン』に惹かれる理由の一つは、音と音の間にある「余白」なのではないかと思います。
何でも詰め込むのではなく、必要な音だけを置く。だから一つ一つの音が見え、その間を流れる空気まで感じられます。

1972年のデビューから10年。最初から『アヴァロン』のような音楽を作っていたわけではありません。変化を繰り返した末に、この静かで洗練されたサウンドへたどり着いたのです。
『アヴァロン』の後――ソロ・アーティストとして続く道
『アヴァロン』発表後、ロキシー・ミュージックは1983年に通常の活動を停止します。しかし、ブライアン・フェリーの音楽活動は続きました。
1985年『ボーイズ・アンド・ガールズ』、そしてその先へ
1985年にはソロアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』を発表。その後も『ベート・ノワール』『タクシー』『マムーナ』『フランティック』『ディラネスク』『オリンピア』『アヴォンモア』など、多くの作品を残していきます。
一方、ロキシー・ミュージックも後年ライブ活動を再開し、2019年にはロックの殿堂入りを果たしました。
僕の入口は、あくまで『アヴァロン』でした
ここは、この連載を始める前にはっきり書いておきたいと思います。
僕はブライアン・フェリーの長いキャリアを、最初から最後まで聴き込んできたわけではありません。最も馴染みが深いのは『アヴァロン』周辺のロキシー・ミュージックで、そこから前後の作品やブライアン・フェリーのソロへ少しずつ聴く範囲を広げてきました。

ですから、これから始める「僕の勝手なミニベスト7」は、全作品を網羅して評価したランキングではありません。僕自身が聴いて、好きになり、今も聴きたいと思う曲を選ぶ。それが、このブログの「僕の勝手なベスト」です。
エピローグ――40年以上経って見えてきたブライアン・フェリー
1982年に『アヴァロン』を教えてもらった頃の僕は、ロキシー・ミュージックがどのように始まり、どれほど大きく音楽性を変えてきたのかを知りませんでした。
今回その歴史をたどってみて、僕が最初に聴いたのは、実験的な初期、ブライアン・フェリーのソロ活動、休止と再始動を経た先に生まれた音だったことが、あらためて分かりました。
僕の中に残ったブライアン・フェリー
それでも、最初に受けた印象は40年以上経った今も大きく変わっていません。
ダンサブル。都会的。少し退廃的。そして、どこか中性的。

派手に感情をさらけ出すのではなく、少し距離を置きながら、その奥に色気や寂しさを残す。その佇まいも含めて、僕にとってのブライアン・フェリーなのでしょう。
そして「僕の勝手なminiBest7」へ
今回選んだ7曲には、ロキシー・ミュージック名義の作品もあれば、ブライアン・フェリー自身の名前で発表された作品もあります。
僕にとって、その境界はそれほど重要ではありません。中心にあるのは、ブライアン・フェリーの声と、そこから生まれる独特の世界だからです。
1982年の『アヴァロン』との出会いから40年以上。その間に僕が出会い、今も好きでいる曲の中から7曲を選びました。
では、どんな曲が残ったのか。
次回から、「僕の勝手なminiBest7【ブライアン・フェリー編】」を始めます。まずは、第7位からです。


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