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第1位は、『青春時代』です。
「青春時代」は、阿久悠が作詞、森田公一が作曲・編曲を手がけ、森田公一とトップギャランが1976年8月21日に発表したシングルです。アルバム『青春時代』にも収録されています。
発売直後から一気に頂点へ駆け上がった曲ではありません。秋からじわじわと順位を上げ、翌1977年1月17日付のオリコン週間チャートで1位に到達。そこから4週連続で首位を守り、最終的には約102万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
1977年の年間シングルチャートでも2位を記録しています。

僕のminiBest7で第1位に置いた理由は、森田公一とトップギャラン最大のヒット曲だからではありません。若い頃から知っているこの曲が、長い年月を経て、まるで別の角度からこちらを見返してくるようになったからです。
青春を歌った曲なのに、本当にこの歌が分かるのは、青春が終わってからなのかもしれない。
そして、この曲が発売された1976年、僕は高校3年生でした。歌に描かれた「卒業を前にした時間」と、僕自身が生きていた季節は、驚くほど近いところにあります。
超訳
青春のただ中にいるとき、人は自分の青春に気づかない。
迷い、傷つき、答えのない日々を、ただ夢中で生きている。
そして季節が過ぎ去ったあと、あの日々がどれほど眩しかったかを知る。
青春とは、いつも少し遠くなってから、胸の中で輝きはじめる。
💡 あわせて読みたい: 公式の原曲歌詞はこちら (外部サイトへ移動します)
まずは、森田公一が歌う「青春時代」をお聴きください。
(※公式動画ではないため、画像にリンクさせています。画像をクリックしてお聴きください)

クレジット
映像:森田公一とトップギャラン「青春時代」
作詞:阿久悠/作曲:森田公一
YouTubeチャンネル「アダルト音楽」より
2行解説
1976年に発表され、森田公一とトップギャランを代表する大ヒット曲となった「青春時代」。
阿久悠の詞と森田公一の軽快なメロディが、青春の迷いや切なさを鮮やかに描き出します。
この歌が描くのは、卒業を目前にした二人
「青春時代」という題名からは、10代後半から20代にかけての長い季節を想像しがちです。しかし、この歌が置かれている時間はもっと狭い。冒頭で示されるのは、卒業まであと半年という時期です。
学校の種類は歌詞では明示されていませんが、高校卒業前の二人として読むなら17〜18歳ほど。子どもから大人へ移っていく境目で、自分の進む道を決めなければならない時期にいます。
大人になる直前だから、答えが出せない
卒業すれば、昨日までと同じ毎日は続きません。進学するのか、働くのか。恋人との関係をどうするのか。それまで先送りできた問題が、急に現実味を帯びてきます。
けれど、共に過ごした歳月を簡単な結論に置き換えることなどできない。未来を選ばなければならないのに、二人の関係がこれからどう変わるのかさえ見通せない。その心細さが、曲の出発点になっています。
「青春時代」が捉えたのは、若さの華やかさではなく、大人になる入口で立ち止まっている二人の心です。

青春の歌なのに、青春を美化していない
題名だけを見れば、若さを讃える歌のようにも思えます。ところが阿久悠が描いた二人は、希望に満ちて未来へ走っているわけではありません。
恋愛にも将来にも確信がなく、自分たちの関係さえどうなるのか分からない。それでも卒業の日は近づいてくる。ここでは青春が輝かしい思い出としてではなく、当事者にはまだ正体の見えない時間として描かれています。
青春の真ん中では、自分の青春は見えない
そのただ中にいる人間は、毎日のことで精いっぱいです。恋をすれば相手の一言に振り回され、友人とぶつかれば腹を立て、進路を考えれば不安になる。
何者にもなれていないことも、そのときの本人には切実な問題です。

「いまは素晴らしい青春時代なのだから、この時間を大切にしよう」などと考えながら、毎日を暮らしているわけではありません。
早く大人になりたい。自由になりたい。自分の行く先を知りたい。そう思っているうちに季節の方が先へ進み、いつしか自分がいた場所は過去になります。
そして何年もたってから、答えを出せずにいたあの時間こそ、自分の青春だったのではないかと気づく。
「青春時代」という題名には、そんな時間の逆転が仕掛けられているように思います。
阿久悠の言葉を、森田公一は前へ進む音楽にした
歌詞が扱っているのは、卒業、恋愛、迷い、そして過ぎていく時間です。文字だけを追えば、かなり思索的で、場合によっては重くなりかねない題材です。
ところが実際の「青春時代」には、沈み込むような暗さがありません。阿久悠が立ち止まって考えさせる言葉を書き、森田公一はそれを親しみやすい旋律に乗せて先へ運んでいく。この対照が、作品に独特の明るさと切なさを同居させています。
「津軽じょんがら節」を参考にしたイントロ
冒頭の印象的なイントロについて、森田公一は「津軽じょんがら節」を参考にしたと語っています。日本人は土俗的なメロディーに知らず知らず惹かれるところがある――そんな感覚を意識した発想だったといいます。
確かに、最初の数秒を聴いただけで「青春時代」だと分かる。前奏そのものが曲の顔となり、強い記憶を残します。
心は迷っているのに、音楽は立ち止まらない
もしこの詞に、遅く悲痛な旋律が付いていたなら、卒業を前にした恋人たちの別れの歌として聞こえたかもしれません。しかし森田公一のメロディーは、迷いを抱えたまま前へ進んでいきます。
心は立ち止まっているのに、時間は止まらない。卒業の日は近づき、季節は変わり、それぞれが次の場所へ向かう。その感覚を、歌詞だけでなく音楽そのものが伝えているように僕には聞こえます。

1976年から1977年へ――半年近くかけて頂点へ
「青春時代」が発売されたのは1976年8月21日です。すぐに首位を獲得したのではなく、秋から年末にかけて少しずつ支持を広げ、翌1977年1月17日付からオリコン週間チャートで4週連続1位となりました。
売上は約102万枚。1977年の年間シングルチャートでも2位を記録し、森田公一とトップギャランを代表する作品となりました。
青春を過ぎた世代にも届いた
このヒットには興味深い特徴があります。「青春時代」という題名でありながら、当時すでにその季節を通り過ぎていた20代後半から30代、40代の人々にも強く支持されたと伝えられています。
若い聴き手には、自分たちが直面している迷いの歌として響く。一方、年長の人には、かつて自分も通った場所を振り返らせる。聴く側の年齢によって異なる入口を持っていたことが、幅広い支持につながったのでしょう。
1976年、僕も高校3年生だった
僕にとって、この曲にはもう一つ特別な意味があります。
「青春時代」が発売された1976年、僕は高校3年生でした。翌1977年3月に高校を卒業し、4月には東京で大学生活を始めます。
つまり僕自身も、この歌に描かれた「卒業までの半年」とほとんど同じ季節を生きていました。いま考えると、これほど自分の年齢と重なった歌だったのかと改めて驚きます。
あの頃の僕には、この歌の半分しか見えていなかった
当時の僕にとって、卒業後の生活はまだ想像の中にしかありませんでした。東京へ行き、大学で新しい人たちと出会い、知らない街で暮らし始める。その先に何十年もの人生が続いていることなど、頭では分かっていても実感できるはずがありません。

だから「青春時代」を聴いていても、阿久悠が書いた言葉の奥行きを、僕はまだ十分には受け取れていなかったのだと思います。
それから約半世紀が過ぎました。いまこの曲を聴くと、高校を卒業した頃の自分だけでなく、東京へ出た日のこと、大学時代の友人、当時歩いた街まで次々と浮かんできます。
曲は1976年のままです。変わったのは、聴いている僕の方です。
当時は気づかなかったものが、いまになって見えてくる。一方で、現在の僕にはもう持てない感覚を、高校3年生の僕は確かに持っていました。その二つの時間を一曲の中で行き来できることが、長く聴き続けてきた歌ならではの魅力です。
第2位「過ぎてしまえば」と第1位「青春時代」
今回のminiBest7で、第2位を「過ぎてしまえば」、第1位を「青春時代」としたことには、僕なりの理由があります。
二曲とも阿久悠が詞を書き、森田公一が曲を付けています。しかし、青春を眺める位置が違います。
二曲をつなぐのは、過ぎていく時間
「青春時代」の若者は、卒業を前に答えを求められながら、恋にも人生にも迷っています。まだ自分たちが生きている季節を、後年のような視点で眺めることはできません。

一方、「過ぎてしまえば」は、その時期をすでに通り越した場所から過去を見ています。かつて深刻だった迷いや不器用さも、年月を隔てれば違う表情を帯びてくる。
「青春時代」は、まだ青春の正体を知らない歌。
「過ぎてしまえば」は、その正体を知ったあとに振り返る歌。
この二曲を1位と2位に並べることで、森田公一と阿久悠が異なる地点から描いた青春が、一つの時間の流れとしてつながりました。僕には、この順番がいちばんしっくりきます。
なぜ僕は「青春時代」を第1位にしたのか
森田公一には、僕自身の記憶に深く結びついた作品がほかにもあります。それでもminiBest7の最後は、「青春時代」以外には考えられませんでした。
その理由は、この一曲が僕自身の時間とともに変化してきたからです。高校3年生の頃には、卒業を控えた若者の歌として聴いていた。それから半世紀近くを生きたいま、同じ旋律の向こう側に、自分が通ってきた歳月まで見えるようになりました。
聴き手が生きてきた年月そのものが、曲に新しい意味を加えていく。僕にとって「青春時代」は、そのことを最も強く感じさせる森田公一の作品です。
終わりに
森田公一編miniBest7の第1位は、「青春時代」でした。
阿久悠は、卒業を控えながら答えを見つけられない二人を描き、森田公一はその言葉に、明るく前へ進む旋律を与えました。立ち止まりたい心と、待ってはくれない時間。その組み合わせが、この曲を単なる青春賛歌ではない作品にしています。

1976年、高校3年生だった僕には、その後の人生など見えていませんでした。大学へ進み、多くの人と出会い、別れ、仕事をし、家庭を持つ。そのすべてがまだ未来にありました。
いま振り返れば、特別な出来事だけが青春だったわけではありません。進路に迷った日も、友人と笑った日も、何となく過ぎていった一日も、その中にありました。
だからこそ、この曲は半世紀近くたったいまも、昔のヒット曲という場所に収まらないのでしょう。
僕にとって「青春時代」は、あの日には分からなかった「あの日の価値」を、いまの僕に静かに返してくれる一曲です。

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