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「青春時代」だけではない――森田公一という音楽家
「森田公一」と聞いて、まず思い浮かぶ曲は何でしょうか。
おそらくシニア世代の多くの人にとって、その答えは「青春時代」ではないかと思います。森田公一とトップギャランが歌い、1976年に発表されたこの曲は、半世紀を経た今も昭和を代表する青春歌の一つとして歌い継がれています。

僕にとっても、森田公一という名前と「青春時代」は、ほとんど切り離すことができません。しかし、あらためてその歩みを振り返ってみると、この人を「青春時代を歌った人」とだけ捉えるのは、あまりにも一面的です。
森田公一は歌手である以前に、昭和歌謡の黄金期を支えた作曲家でした。
天地真理「ひとりじゃないの」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、桜田淳子「はじめての出来事」、岡田奈々「青春の坂道」、そして後年には河島英五「時代おくれ」。歌手も曲調も異なりますが、作曲者の欄には同じ「森田公一」という名前があります。
一方、自らトップギャランを率いて歌った作品には、提供曲とは少し違う世界があります。青春、別れ、孤独、過ぎ去った時間。華やかな1970年代の歌謡界にいながら、どこか寂しく、人間臭い。今回は「僕の勝手なminiBest【森田公一編】」を始める前に、作曲家として、そして歌い手として歩んだ森田公一の音楽人生を振り返ってみます。
第1章 北海道から東京へ――作曲家・森田公一の原点
1940年、北海道に生まれる
森田公一は1940年、北海道に生まれました。1959年、日本大学芸術学部音楽学科へ進みます。
出発点は「歌うこと」より「曲を書くこと」
森田公一の歩みを考えるうえで重要なのは、最初から歌手を目指して音楽の世界へ入った人物ではないということです。その活動の中心にあったのは、まず「曲を書くこと」でした。

後に自らマイクを持って数々の作品を歌うようになりますが、その根底には作曲家としての感覚があります。
曲を作る人が、やがて自分の作品を自分の声でも表現するようになる。この順番は、森田公一という音楽家を知るうえで大切なところだと思います。
1960年代――作曲家として歩み始める
森山良子「愛する人に歌わせないで」
森田公一の初期を語るうえで欠かせない作品の一つが、森山良子が1968年に発表した「愛する人に歌わせないで」です。この曲では、森田公一自身が作詞・作曲を手掛けています。
後年は、阿久悠をはじめとする作詞家の言葉に曲をつける仕事で数多くのヒットを生み出しますが、初期には詞と曲の両方を自ら手掛ける作品もありました。1960年代後半から、作曲家・森田公一の名前は歌謡界で次第に存在感を増していきます。
第2章 1970年代――ヒットメーカーへの飛躍
歌い手によって姿を変える曲
天地真理「ひとりじゃないの」
1970年代に入ると、森田公一は作曲家として次々とヒット曲を送り出します。1972年には天地真理の「ひとりじゃないの」を作曲・編曲。明るく親しみやすい曲調は、当時の天地真理のイメージともよく重なりました。

和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」
同じ1972年には、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を作曲・編曲しています。「ひとりじゃないの」の軽やかさに対して、こちらは和田アキ子の力強い歌声を生かしたスケールの大きな作品です。
同じ作曲家が同じ年に生み出した二曲でありながら、その表情は大きく異なります。
自分の型に歌手を当てはめるのではなく、歌い手の声や個性に合わせて曲を作る。森田公一の作曲家としての幅がよく分かる二曲です。「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、この年の日本レコード大賞で和田アキ子に最優秀歌唱賞をもたらしました。
阿久悠との仕事――言葉とメロディーが結びつく
森田公一の音楽人生を振り返ると、何度も登場する名前があります。作詞家・阿久悠です。
阿久悠の詞は、一人の人間や一つの場面を鮮明に浮かび上がらせます。森田公一は、その言葉を多くの人が口ずさめる歌へと変えていきました。

提供曲から自ら歌う作品へ
和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、桜田淳子「十七の夏」、菅原洋一「乳母車」など、二人の組み合わせから多くの作品が生まれています。そして、その関係は他の歌手への提供曲だけでは終わりません。
やがて阿久悠が書いた言葉を、森田公一自身が歌うようになります。
第3章 森田公一とトップギャラン――作曲家が自ら歌う
ヒットメーカーとは別の顔
1970年代の森田公一には、作曲家とは別の顔がありました。「森田公一とトップギャラン」を率い、自ら歌うという顔です。
他の歌手には、その人の個性を生かした曲を書く。一方、自分たちで歌う作品には、もっと素朴で、ときには泥臭い人間の姿が現れます。華やかな歌謡曲のヒットメーカーとは少し違う森田公一が、そこにはいました。
「下宿屋」――生活の匂いがする歌
1975年、日本レコード大賞作曲賞
1975年8月、森田公一とトップギャランの「下宿屋」が発表されます。作詞は阿久悠、作曲・編曲は森田公一。この作品によって森田公一は、第17回日本レコード大賞の作曲賞を受賞しました。

同じ年には、阿久悠が作詞し森田公一が作曲した菅原洋一の「乳母車」で、阿久悠が作詩賞を受賞しています。
さらに桜田淳子の「十七の夏」も阿久悠作詞・森田公一作曲で、日本レコード大賞の大衆賞につながりました。1975年は、二人の仕事が強い存在感を示した年でもありました。
華やかさとは別の「青春」
当時の歌謡界では、アイドルを中心に華やかなヒット曲が次々と生まれていました。
その中で森田公一とトップギャランが歌ったのは、必ずしも明るい世界ばかりではありません。若さの中にある貧しさや孤独、人との距離、そして過ぎ去っていく時間。青春を美しい思い出としてだけ描かず、その中にあった寂しさまで歌う。そこに、彼らならではの色がありました。

1976年――「青春時代」という大ヒット
作曲家自身の声で届いた代表作
1976年8月21日、「青春時代」が発売されました。僕が高校3年生の時です。
作詞・阿久悠、作曲・編曲・森田公一。それまで多くの歌手へヒット曲を提供してきた森田公一が、自ら歌う作品によって広く知られることになります。
この曲の面白さは、題名から想像するほど単純な「青春讃歌」ではないところにあります。青春の真っただ中にいる人間には、自分がどこへ向かっているのか分からない。過ぎ去ってから初めて、あの時間が何だったのかが見えてくる。明るく覚えやすい曲調の中に、そんな割り切れなさが残されています。

僕自身、若い頃に聴いた「青春時代」と、今聴く「青春時代」とでは、聞こえ方がまったく違います。青春の中にいる人が歌う曲というより、青春を通り過ぎた人が振り返ることで、さらに深みを増す歌なのかもしれません。
大ヒットの陰にあった、もう一つの世界
一曲があまりにも有名になると、その歌手のほかの作品が見えにくくなることがあります。森田公一とトップギャランも、その典型かもしれません。「青春時代」の前にも後にも、彼らはさまざまな作品を残しています。
若さを礼賛するだけではない視線
そこにあるのは、若さを無条件に美化する視線ではありません。人と人との距離、別れたあとに残るもの、時間とともに変わっていく感情。日常の風景を通して、そんな人間の姿が描かれています。
親しみやすい曲調だから重くなりすぎない。それでも、聴き終わったあとには何かが残る。僕があらためてトップギャランを聴いていて惹かれたのも、この部分でした。
第4章 提供曲の森田公一――昭和歌謡を彩ったヒット曲
アイドルから実力派歌手まで
森田公一の作曲家としての仕事をたどると、その守備範囲の広さに驚かされます。天地真理、桜田淳子、岡田奈々、和田アキ子、菅原洋一など、歌唱スタイルも声質も異なる歌手たちに作品を提供しました。
1970年代のアイドル歌謡にも残る名前
1974年には桜田淳子の「はじめての出来事」、1975年には「十七の夏」、1976年には岡田奈々の「青春の坂道」などを作曲しています。(桜田淳子は僕と同じ年です)
「はじめての出来事」は桜田淳子にとって初のオリコン1位となった曲でした。「青春の坂道」も岡田奈々を代表する一曲として知られています。自ら歌う作品とは異なる明るさや若さを前面に出せるところにも、職業作曲家としての力量が表れています。
子どもの歌にも残った森田公一
「南の島のハメハメハ大王」
森田公一の仕事は、大人向けの歌謡曲やアイドルポップスだけではありません。1976年にNHK『みんなのうた』で放送された「南の島のハメハメハ大王」も、作詞・伊藤アキラ、作曲・森田公一による作品です。初回放送では水森亜土とトップギャランが歌いました。

子どもが自然に覚えて歌えるこの曲まで同じ作曲家の作品だと知ると、森田公一の仕事の広さがよく分かります。歌う人や聴き手に応じて、まったく違う世界を作ることができたのです。
第5章 テレビやアニメへ――別の場所にも残った仕事
歌謡曲の外へ広がった活動
森田公一の仕事は、歌謡曲のシングルだけにとどまりません。テレビ番組やアニメーションの主題歌にも、その名前を見ることができます。
『小公女セーラ』『愛の若草物語』の主題歌
1985年の『小公女セーラ』では、オープニングテーマ「花のささやき」とエンディングテーマ「ひまわり」を作曲。1987年の『愛の若草物語』でも、後期オープニングテーマ「いつかきっと!」とエンディングテーマ「お父さまへのララバイ」を作曲しています。
作品全体の劇伴音楽を担当したわけではありませんが、主題歌という形で森田公一の曲はテレビからも流れていました。1970年代の歌謡曲だけを見ていると見落としやすい、もう一つの仕事です。
第6章 1980年代――「時代おくれ」へ
1986年、河島英五が歌った「時代おくれ」
1986年、阿久悠と森田公一の組み合わせから、長く歌い継がれる作品が生まれます。河島英五の「時代おくれ」です。作詞・阿久悠、作曲・森田公一。

青春から、大人の生き方へ
1970年代のアイドル歌謡とはまったく違う世界です。目立つことより、自分なりの生き方を守る。器用に時代へ合わせることより、人として大切にしたいものを失わない。河島英五の太く飾り気のない歌声が、その世界に強い説得力を与えました。
「青春時代」から10年。若さを振り返る歌から、年齢を重ねた男の生き方を描く歌へ。阿久悠の言葉と森田公一の曲は、時代と歌い手を変えながら、再び多くの人の心に残る作品となりました。
第7章 森田公一の音楽とは何だったのか
職業作曲家としての幅
ここまで振り返ってみると、森田公一の作品を一つの音楽性だけで括ることは難しいと感じます。「ひとりじゃないの」と「あの鐘を鳴らすのはあなた」、「南の島のハメハメハ大王」と「時代おくれ」では、求められるものがまったく違います。
それでも多くの作品に共通するのは、耳に残りながら、歌詞を邪魔しないことです。歌い手の個性を生かし、言葉を自然に届ける。そのうえで、一度聴けば思い出せる曲を作る。自分の音楽性を押し出すだけではなく、「誰が、何を歌うのか」を考えて曲を書く。そこに職業作曲家・森田公一の力があったのだと思います。

そして、自分で歌ったときに現れるもの
トップギャランで見せた別の表情
一方、森田公一自身が歌うと、少し様子が変わります。圧倒的な声量や技巧で聴かせるタイプではありません。それでも、少し乾いた声で淡々と歌うことで、青春の頼りなさや人間の孤独、時間が過ぎていく寂しさが浮かび上がってきます。(僕にはこの雰囲気がとても好きでした)
多くの歌手のために曲を書いた職業作曲家と、自分たちの歌ではもっと身近な人間の風景を描いた歌い手。その両方を持っていたことが、森田公一という音楽家の面白さなのだと思います。
エピローグ――今になって聴こえてくるもの
今回、久しぶりに森田公一の曲をまとめて聴きました。有名な曲だから残ったのか。それとも、残るだけの何かを持っていたから有名になったのか。半世紀近く前の曲を今あらためて聴いてみると、そんなことも考えます。
森田公一の曲には、聴いたその場で強く迫ってくるというより、あとになってふと残っているものがあります。言葉もメロディーも決して難しくない。それなのに、時間が経っても消えず、何かの拍子に思い出す。そんな静かな強さが、この人の音楽にはあるように思います。
青春を歌いながら、青春だけを歌っているわけではない。孤独を歌いながら、暗さだけを残すわけでもない。親しみやすい曲の奥に、人間の弱さや時間の移ろいが静かに置かれている。そこに、僕が今あらためて森田公一を聴く面白さがあります。
次回から、「僕の勝手なminiBest【森田公一編】」を始めます。


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