ポール・マッカートニーの軌跡は、こちらから!
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第13位は『ディス・ワン』です
第13位は『ディス・ワン(This One)』です。1989年6月5日に発売されたアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート(Flowers in the Dirt)』に収録され、同年7月17日にシングルとして発売されました。
アルバムは全英1位を獲得し、『ディス・ワン』も英国シングルチャートで18位まで上昇しました。ポールが約10年ぶりとなる本格的なワールドツアーへ向かう時期に発表された作品です。
この曲で歌われるのは、大きな出来事ではありません。相手を抱きしめたか、目を見て気持ちを伝えたか、自分の心を見せたか。身近な相手との間にある、ごく私的な問いから始まります。

ところが、その途中に白鳥と神、穏やかな水面、虹という幻想的な情景が現れます。現実的なラブソングの中へ神話的な風景が入り込む。その意外な組み合わせには、ポールらしい言葉遊びが関係していました。
超訳
伝えたい想いを胸に抱えながら、僕は「もっといい時」を待ち続けていた。
けれど待っているうちに、大切な瞬間は静かに通り過ぎていった。
愛する人に心を開くなら、いつかではなく、今しかない。
白鳥が海を滑るように、美しい時間もやがて闇の向こうへ消えてゆく。
🎥まずはいつものように、YouTubeの公式音源をお聴きください。
共通クレジット
アーティスト: ポール・マッカートニー
楽曲: 『This One(ディス・ワン)』
作詞・作曲: ポール・マッカートニー
YouTube提供: Universal Music Group
掲載チャンネル: Paul McCartney 公式アーティストチャンネル
🎵 This One (Remastered 2017)
収録アルバム: 『Flowers in the Dirt(フラワーズ・イン・ザ・ダート)』
オリジナル発表: 1989年
リマスター: 2017年
プロデュース: ポール・マッカートニー
2行解説
1989年のアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』に収録された『This One』の2017年リマスター音源。
親しみやすい旋律と細やかな楽器の配置によって、ポールらしいポップソングとしての完成度をじっくり味わえます。
🎤 This One (Live)
収録アルバム: 『Tripping the Live Fantastic(トリッピング・ザ・ライヴ・ファンタスティック)』
アルバム発表: 1990年
音源: ライヴ・バージョン
2行解説
1989〜90年のワールドツアーから生まれたライヴ・アルバムに収録された『This One』。
スタジオ録音よりバンドの推進力が前へ出て、コンサートの中でも機能する曲であることがよく分かります。
「This One」から「This Swan」へ
この曲の成り立ちで最も面白いのは、タイトルと白鳥が結びついた経緯です。ポールは誰かが口にした「This One」という言葉を聞き、その響きから「This Swan」を連想したと語っています。
意味の近い単語を探したのではありません。音が似ているという、それだけのところから発想が動き始めました。そして「swan」という言葉を得たことで、水上を進む白鳥の姿が曲の中へ入っていきます。

父ジムから続く、言葉を楽しむ感覚
ポールは、この発想について説明する中で、父ジム・マッカートニーが言葉やクロスワードを好んでいたことにも触れています。自分自身も学校時代から言葉遊びに興味があり、ソングライターになってからも、その感覚を持ち続けていたというのです。
ポールの曲には、難解な言葉を並べるのではなく、身近な単語の響きや二重の意味から発想を広げる作品があります。『ディス・ワン』は、その作曲法が曲そのものの題材にまで入り込んだ例といえるでしょう。
白鳥の背に乗る神は、どこから来たのか
「This Swan」という言葉から浮かんだ白鳥は、さらに別の記憶と結びつきました。ポールが思い出したのは、インドでよく目にしたというハレ・クリシュナ系のポスターや、ヒンドゥー美術を思わせる図像でした。
そこにはクリシュナと白鳥、水面に浮かぶ花々といった穏やかな光景がありました。ポール自身は特定の宗教を信仰しているという意味ではなく、さまざまな宗教文化の中にある美しいイメージに惹かれると説明しています。

「This One」という何気ない一言が、「This Swan」に聞こえた。
その音の変化から、ラブソングの中に白鳥と神の風景が生まれました。
歌詞の中心にあるのは「機会を逃すこと」
白鳥のイメージは印象的ですが、歌の中心にある感情は非常に現実的です。ポール自身も、この曲を基本的にはラブソングだと説明しています。
好きな相手へ気持ちを伝えたかった。しかし、もう少し良い機会が来るのではないかと思い、そのまま行動できなかった。歌の主人公は、その判断を振り返っています。
準備が整うのを待つほど、時間は過ぎていく
人は重要なことほど、うまく伝えようとします。言葉を考え、相手の様子を見て、もっとふさわしい機会を探す。しかし慎重になるほど、話すきっかけを失うこともあります。

『ディス・ワン』は、その心理を説教めいた言葉で説明しません。恋人への問いかけを重ねながら、機会を逃した理由を少しずつ明らかにしていきます。
「もっと良い時」が来なかったのなら、目の前にあった時こそが、その機会だったのではないか。タイトルの「This One」は、その答えを短い言葉で示しています。
親しみやすい旋律の中に隠れた細かな音
『ディス・ワン』は、強烈なギターリフや劇的な転調で聴き手を驚かせる曲ではありません。最初に残るのは、流れるような旋律とタイトル部分の覚えやすさです。
しかし録音には、アコースティックギター、エレクトリックギター、キーボード、ハーモニウム、シタール、ハーモニカ、パーカッションなど、かなり多くの音が使われています。ポール自身もベースだけでなく複数の楽器を担当しました。
楽器の数を感じさせない編曲
興味深いのは、これだけ多くの要素がありながら、演奏が過密に聞こえないことです。各楽器が短いフレーズや質感を加え、最終的には歌と旋律を支える側へ回っています。
とりわけシタールやハーモニウムの音色は、白鳥やクリシュナを連想した歌詞の世界とも相性がよく、一般的な1980年代のポップスとは少し違う空気を作っています。
スタジオ版とライブ版で見える設計の違い
- スタジオ版では、多数の楽器が細かく配置され、歌の周囲にさまざまな音色が現れます。
- ライブ版では、バンドのリズムとコーラスが強まり、ステージでの躍動感が前面に出ます。

『フラワーズ・イン・ザ・ダート』は、1989年9月から始まる大規模なワールドツアーを見据えて制作されたアルバムでした。
『ディス・ワン』も実際にツアーで演奏され、スタジオ作品とは異なる姿を見せることになります。
『フラワーズ・イン・ザ・ダート』と再始動
1989年の『フラワーズ・イン・ザ・ダート』では、エルヴィス・コステロとの共作が大きな話題になりました。『マイ・ブレイヴ・フェイス』『ユー・ウォント・ハー・トゥー』『ドント・ビー・ケアレス・ラヴ』『ザット・デイ・イズ・ダン』の4曲が二人の共作です。
一方、『ディス・ワン』の作詞・作曲はポール単独です。アルバム全体では多くの人物と協働しながら、この曲ではポール自身の言葉への興味とメロディメーカーとしての感覚が、そのまま表面に出ています。
久しぶりの大規模ツアーへ
同年9月、ポールは1989〜90年のワールドツアーを開始しました。本格的なツアーとしては1979年以来で、『ディス・ワン』も新作を代表する一曲としてステージで演奏されています。
往年のビートルズやウイングスの曲だけに頼るのではなく、当時の新作をセットリストへ組み込んだことは重要です。『フラワーズ・イン・ザ・ダート』は、単なるアルバム制作ではなく、ポールが再び大規模なライブ活動へ踏み出す足場にもなりました。
2本のプロモーション映像が作られた『ディス・ワン』
1989年には、『ディス・ワン』のために異なる2本のプロモーション映像が制作されました。この点も、当時この曲がアルバムの中で重要な位置を与えられていたことを物語っています。
ティム・ポープが描いた「東洋」のイメージ
最初の映像はティム・ポープが監督し、1989年6月にロンドン・バタシーのAlbert Wharf Studioで撮影されました。「Eastern promo」と呼ばれ、ポール、リンダ、バンドに加えてインド舞踊のダンサーも登場します。

白鳥やクリシュナへつながったポールの発想を考えると、こうした映像表現は装飾だけではありません。曲作りの段階で生まれた視覚的なイメージを、そのまま映像へ展開したものと見ることができます。
ディーン・チェンバレンによるもう一つの映像
翌7月には、写真家ディーン・チェンバレンの監督による別バージョンが制作されました。イングランド南東部のリハーサル用の納屋で撮影され、光を使った独特の表現によって、最初の映像とは異なる印象に仕上げられています。
同じ一曲のために二つの映像を作り、それぞれ別の視覚表現を試す。『ディス・ワン』は音源だけでなく、1989年のポールが映像制作にも積極的だったことを伝える作品でもあります。
終わりに――小さな言葉から広がった一曲
『ディス・ワン』をたどると、出発点は驚くほど単純です。「This One」という日常的な言葉が「This Swan」に聞こえ、そこから白鳥、クリシュナ、水辺の景色へ連想が広がりました。
一方で、歌われている感情は現実の人間関係から離れません。言うべきことを言えなかったこと、機会を待ちすぎたこと、そして時間が先へ進んでしまうこと。幻想的な映像と身近な感情が、一曲の中で同居しています。

僕が『ディス・ワン』を聴いて面白いと感じるのは、壮大な題材を持ち込まなくても、ひとつの音の連想からここまで世界を広げられるところです。
「This One」から「This Swan」へ。
その小さな言葉遊びから生まれた曲は、ポール・マッカートニーというソングライターの柔軟な発想を、実に分かりやすい形で残しています。

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