■【レッド・チェッペリン】について、詳しくはこちら・・・・➡ 🎈(Zeppelin)
🎧 音声で聴く
この記事は、約3分の音声ナレーションでもお聴きいただけます。
文章の流れに沿って、第21位「Trampled Under Foot」が持つ、落ち着かなさと途切れない推進力をたどります。
読む前に、または読み終えたあとに、音でもぜひお楽しみください。
🇯🇵 日本語ナレーション
🇺🇸 英語ナレーション
🎸【レッド・チェッペリン編】第19位は・・・・
第19位は『In My Time of Dying』です。
この曲をBest25の中ほどに置いたとき、まず意識に残ったのは派手さでも重さでもありませんでした。
耳に残ったのは、「終わらせずに続けている」という感覚です。
長さそのものより、終点を急がない態度が、この曲の輪郭を決めているように思えました。
超約
この曲では、死を目前にした人物が、自分の置かれている立場をあちこちから確かめています。
祈りの言葉は出てきますが、心が一方向に収束することはありません。
恐れ、言い訳、願い、勢いづいた声が交互に現れ、話題はその都度ずれていきます。
曲は結論を用意せず、「決着がつかない時間」を引き延ばすことで終わります。
🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。
🎬 公式動画クレジット(公式音源)
アーティスト:Led Zeppelin
楽曲名:In My Time of Dying(1990 Remaster)
収録アルバム:Physical Graffiti
リリース年(原曲):1975年
リマスター年:1990年
形態:公式オーディオ(Official Audio)
提供:Atlantic Records
配信元:Led Zeppelin 公式YouTubeチャンネル
🎸 2行解説
オリジナルの荒さを保ったまま、音の輪郭と低域の張りが整理されたリマスター版。
演奏の緊張感や持続力が前に出る一方で、スタジオ内の空気や間合いもより明確に伝わる音像になっています。
🎥 日本語クレジット(公式ライブ映像)
アーティスト:Led Zeppelin
楽曲名:In My Time of Dying
公演名:Live at Earl’s Court
演奏年/会場:1975年/ロンドン・アールズ・コート
原曲収録アルバム:Physical Graffiti(1975年)
形態:公式ライブ映像(Official Video/HD)
配信元:Led Zeppelin 公式YouTubeチャンネル
🎼2行解説
長尺の構成を保ったまま、演奏の密度と緊張感だけを段階的に変化させていくライブ・テイク。
スタジオ版よりも「間」や呼吸が前面に出ており、終わりへ向かう過程そのものを、その場で共有しているような演奏が記録されています。
対象曲について
基本情報

- アーティスト名:Led Zeppelin
- 曲名:In My Time of Dying
- 収録アルバム:Physical Graffiti
- リリース年:1975年
※本曲は、古くから伝わるゴスペル/ブルース楽曲を参照しつつ、1970年代のレッド・チェッペリンの演奏語法で再構築されたものです。クレジットはバンド名義で記されています。
アルバムの流れの中で
『Physical Graffiti』は、曲ごとに性格が大きく異なります。
切り替わりがはっきりしている曲もあれば、風景を一気に広げる曲もある。
その流れの中で『In My Time of Dying』が始まると、音楽の進み方が急に鈍くなります。
何か新しい出来事が起きるわけではなく、同じ材料が形を変えながら繰り返し使われていく。
聴き手は展開を追うよりも、その反復がどこまで続くのかを、ただ受け止める立場に置かれます。

歌が描いている状態
話題が次々に逸れていく
この曲の語り手は、一貫した説明をしません。
何かを言い切りそうになると、別の話題に移り、また戻ってくる。
自分は悪くなかった、と言いかけて、次の瞬間には誰かに助けを求め、その直後には声の調子だけが高まる。
重要なのは、それらが整理されないことではなく、整理しようとする動き自体が見当たらない点です。
話は流れますが、流れの先に着地点は用意されていません。
判定よりも「途中経過」が残る
ここでは、過去の行いが裁かれることも、救いが確定することもありません。
語り手が気にしているのは、正しさの証明よりも、「このあと何が起きるのか分からない」という事実そのものです。
そのため歌は、物語として完結しません。
終わりに向かって進んでいるはずなのに、気持ちだけがその場に取り残されているような感触が続きます。

音が支えている構造
展開ではなく、持続で時間を稼ぐ
この曲は、次々に新しい出来事を積み重ねて長さを保っているわけではありません。
基本の形は大きく変わらないまま、音の圧や隙間の量が少しずつ変化します。
盛り上がる、落ち着く、といった分かりやすい区切りは弱く、代わりに、身体の感覚だけがじわじわ変わっていく。

感情を説明しない演奏
スライド・ギターが前に出る場面では、音が感情の代弁者という役割から離れていきます。
そこにあるのは、嘆きや悟りではなく、身体が動き続けているという事実です。
言葉よりも先に、手や呼吸の動きが伝わってくる。
第19位という配置
今回は「時間型」で考えました
長さと密度を考えたとき、
腰を据えて向き合う直前の位置に置くのが、いちばん無理がありませんでした。
第19位という場所は、曲の存在感を保ったまま、次へ進む余地を残せる位置だと感じています。
歌詞が残していくもの
行き先よりも、足取りが気にかかる
この曲を聴き返すたびに、僕が引っかかるのは「どこへ行くのか」ではありません。
それよりも、「今、どういう調子で歩いているのか」という点です。

語り手は、祈ることも、過去を振り返ることもしますが、それらを一本の線にまとめようとしません。
途中で言い切りそうになっても、すぐ別の話題に移り、声の調子だけが先に変わっていく。
その動きは、感情を整理するためというより、立ち止まらずにいようとする反射に近く見えます。
救済が約束されないまま続く時間
宗教的な言葉が使われていても、この曲は安心へ一直線には進みません。
祈りが出てきても、それが状況を変えた、という手応えは示されない。
僕にはそこが重要に思えます。
信じることで気持ちが落ち着く、という話ではなく、信じようとしても、考えが別の方向へ逸れてしまう、その反復が描かれている。
終盤の高揚も、解決というより、声が大きくなっただけのように聞こえる瞬間があります。

僕の時間軸で変わった聴こえ方
以前は「最後まで聴く曲」だった
最初にこの曲をちゃんと聴いた頃、僕にとっての関心はシンプルでした。
長い曲を、集中を切らさずに聴き切れるかどうか。
演奏の迫力や持続力を受け止めること自体が、ひとつの体験だったと思います。
その頃は、歌の中で何が起きているかを細かく追う余裕はありませんでした。
ある時期から「途中のまま進む歌」に聞こえた
結論が出ないまま続く話。
気持ちが追いつかないのに、状況だけが進んでいく感覚。
そうしたものに、この曲の長さと反復が重なってきたんです。

今は、最後まで聴き切ることより、途中の状態がずっと維持されていることのほうが印象に残ります。
なぜ第19位なのか
上位に置かない理由
この曲をさらに上に置くこともできました。
演奏の強度や存在感だけを見れば、そうしても不自然ではありません。
ただ、上位に並べると、Best25全体の流れが少し重くなる。
腰を据えて向き合う曲が続きすぎて、息継ぎの場所が減ってしまう。
僕はそこに違和感を覚えました。
下位に送らない理由

一方で、この曲を軽い位置に置くこともできませんでした。
通り過ぎるには、残るものが多すぎるからです。
長さ、反復、声の揺れ。
どれもが、聴く側の状態によって受け取り方を変えます。
その可変性は、順位を下げて処理するには惜しい。
この場所がしっくりきた
第19位という位置は、構えすぎずに向き合えて、なおかつ印象を持ち越せる場所です。
集中して聴くこともできるし、少し距離を保ったまま受け止めることもできる。
この曲の性格を考えると、その両方が許される位置に置きたかった。

なぜこの紹介順なのか
「長さ」の意味をここで一度、置いておきたかった
Best25を読み進めていくと、これからも長い曲が出てきます。
ただ、そのたびに「長い=壮大」「長い=物語が大きい」という見方に戻ってしまうと、聴き方が単調になる。
『In My Time of Dying』をこの地点で紹介することで、長さが使われる理由はひとつではない、という前提を一度置いておきたかった。
そうしておくと、この先に出てくる曲の聴こえ方も、少し変わってくるはずです。
最後に
この曲は、何かをきれいに終わらせるための音楽ではありません。
むしろ、終わりが見えているのに、気持ちが追いつかない時間を、そのまま引き延ばしています。
だから僕は、この曲を中心には据えませんでした。
でも、脇に退かせることもできなかった。
第19位。
少し立ち止まりながら、次へ進むための位置。
今の僕には、この場所がいちばん自然に思えます。

※「In My Time of Dying」は、1975年発表のアルバム
『Physical Graffiti』に収録されています。
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