【5月29日】は、田中 裕二の誕生日-『ワインレッドの心』(安全地帯 )をご紹介!

【5月29日】は、田中 裕二の誕生日!!

田中 裕二は、1957年5月29日生まれ、北海道旭川市出身。安全地帯のキーボード担当として、バンドの音楽的中核を支え続けた名プレイヤーです。代表曲「ワインレッドの心」などに見られる繊細で叙情的なサウンドは、彼の表現力によるところが大きいでしょう。
残念ながら、田中さんは2014年12月17日に急性心不全のため逝去されました。享年57。今なお、彼の演奏は多くのファンの心に深く刻まれています。

まずは、紹介曲の公式動画からどうぞご覧ください。

【クレジット】
曲名:ワインレッドの心(Wine Red No Kokoro)
アーティスト:安全地帯(Anzenchitai)
作詞:井上陽水
作曲:玉置浩二
編曲・プロデュース:星勝(Katz Hoshi)
リリース:1983年(アルバム『安全地帯II』収録)
提供元:Universal Music Group(公式配信)
【2行解説】
井上陽水と玉置浩二の黄金コンビによって生まれた「ワインレッドの心」は、男女の揺れる感情を濃密な歌詞と旋律で描いた80年代の名曲。洗練されたアレンジと玉置の深い歌声が、日本のポップス史に深く刻まれるバラードとなっています。
🎤 ライブ情報
映像収録:阪神甲子園球場ライブ「Sayonara Game」より
リリース日:2020年8月19日
YouTube公開日:2020年8月30日
Ⓟ Nippon Columbia Co., Ltd. / NIPPONOPHONE
💬 解説
80年代の名バラードとして日本音楽史に残る「ワインレッドの心」は、井上陽水の詞と玉置浩二の繊細な歌声が融合した名作。甲子園球場でのライブ映像では、その情感が一層深く観客に響き渡ります。

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫

My Age 小学校中学校高校大学20代30代40代50代60才~
曲のリリース年1983
僕が聴いた時期

僕がこの曲を初めて聴いたのは、社会人3年目になることです。
初めて彼らが演奏するこの「ワインレッドの心」をテレビで見て驚いたことをよく覚えています。エッジの効いた歌と演奏。そしてスタイルが楽曲とマッチした”モノトーン系クラシックなロングジャケットで、なんともカッコよかったですね!

作詞が井上陽水というのがまたいいです。ただ、残念なことに、この頃からの井上陽水は曲風というか、歌唱方法というか以前とは違ってきていて、このあたりで僕は井上陽水を卒業しました。(T_T)/~~~

夜に染み入る赤い旋律

1983年にリリースされた安全地帯の代表曲「ワインレッドの心」。玉置浩二の魂がこもった歌声と井上陽水の詩的な詞が重なり合い、大人の恋愛を描き出す名曲です。夜、グラスを片手にこの曲を聴けば、誰もが感情の波に揺さぶられるはずです。

転機となった一曲:出世作としての位置づけ

「ワインレッドの心」は、安全地帯にとって初の大ヒット曲です。1983年11月25日、Kitty Recordsよりリリースされ、作詞は井上陽水、作曲は玉置浩二。編曲とプロデュースは星勝が担当しました。リリース直後にオリコン週間1位を獲得し、1984年には年間チャート2位にまで上り詰めました。累計売上は約71.4万枚。1985年のJASRAC著作権使用料ランキングでは第7位に入り、サントリー「赤玉パンチ」CMやテレビドラマ『間違いだらけの夫選び』の主題歌として広く知られるようになりました。

1983年の日本と世界:文化と音楽の交錯

日本社会:活気と躍動の時代

1983年、日本はバブル前夜の経済成長期にありました。株価は上昇基調を描き、都市開発も進み、地下鉄半蔵門線の開通などインフラ整備が注目されました。テレビ界では『欽ドン!』が国民的人気を博し、映画ではスティーヴン・スピルバーグ監督の『E.T.』が子どもから大人まで幅広く受け入れられました。

音楽シーンでは松田聖子や近藤真彦が全盛期を迎えており、アイドルブームの真っ只中であった中、「ワインレッドの心」はそれとは一線を画す“大人のラブソング”として異彩を放っていたのです。また、男女雇用機会均等法(1985年施行)に向けた議論が活発になり、ウーマンリブ運動の影響が文化や職場に及び始めた時期でもあります。ファッション面ではDCブランドブームが台頭し、サブカルチャーではマンガ雑誌『ガロ』や若者向けカルチャー誌『宝島』が熱狂的な支持を受け、多様な価値観が育まれていました。

世界の音楽:ビジュアルと音の融合

世界的には、1983年はMTVが音楽産業を大きく変革した年です。マイケル・ジャクソンの「Beat It」やマドンナの「Holiday」、デヴィッド・ボウイの「Let’s Dance」など、ビデオクリップがアーティストの表現手段として不可欠となりました。安全地帯は日本国内に留まりながらも、感情豊かな歌唱と詩的世界観によって、世界の音楽潮流とは別の独自性を築いていったのです。

楽曲誕生の裏側:挫折と飛躍の物語

デビューから約1年、安全地帯は商業的成功に恵まれず、次作への大きな期待がかけられていました。スタッフの提案で井上陽水に作詞を依頼したものの、玉置浩二は自身の音楽的プライドから「自分で曲を作る」と宣言。1週間スタジオにこもり、情熱と試行錯誤の末にメロディを完成させました。星勝のプロデュースのもと、バンドの繊細な演奏と濃密な編曲が融合し、唯一無二の作品が誕生したのです。

音楽的魅力の核:構造と表現力

メロディの色彩:哀愁と官能の交錯

イントロでは、アコースティックギターとストリングスが静かに心を包み込みます。コード進行は叙情的でありながらも緊張感を内包し、メロディ全体に憂いと情熱が同居する独特の空気を生み出しています。中盤のギターソロやフェードアウトによるエンディングは、余韻を大切にする演出としても秀逸です。

ボーカルの存在感:玉置浩二の表現力

玉置の歌声は、Aメロでは囁くように静かに始まり、サビに向けて一気に感情を爆発させます。とくに「あなたはただ恥らうより てだてがなくて」のフレーズでは、声の抑揚と切なさが胸を締め付けます。ライブでは感情があふれ出すような歌唱で、観客との一体感を生み出していました。

歌詞の世界:比喩と情熱の融合

井上陽水が描く「もっと勝手に恋したり、もっとKissを楽しんだり」といったフレーズには、大人の恋愛の奔放さと脆さが共存します。「ワインレッドの心」という比喩は、色彩感覚を通して聴き手の感情に直接訴えかける視覚的な表現となっています。情念、未練、情熱といった感情が抽象ではなく“色”として描かれることで、楽曲全体に詩的深みをもたらしています。

さらに、「あなたはただ恥らうよりてだてがなくて」の一節には、言葉にできない感情のもどかしさと、恋愛におけるすれ違いのニュアンスが強く滲み出ています。陽水の詩世界は、聴く者に解釈の余白を与えながら、個々の人生経験と響き合うのです。

安全地帯の特質とJ-POP史における意義

サウンドの個性と演奏力

1973年に結成された安全地帯は、初期にはアメリカ西海岸のAORサウンドに影響を受けた爽やかなロックを志向していました。メンバーの脱退や編成変更を経て、井上陽水とのコラボレーションによって方向性が大きく変わります。「ワインレッドの心」では、玉置の感情表現を支える形で武沢豊や六土開正らの演奏が繊細に響き合い、星勝の編曲がそれを高次元で統合しました。

日本音楽史における位置づけ

1980年代はJ-POPという概念が徐々に形成されていく時代でした。安全地帯は、ニューミュージックとロック、歌謡曲の橋渡し的な存在として、大人が共感できるサウンドを提供しました。「ワインレッドの心」はその代表作として、松任谷由実や山下達郎といったアーティストたちと並び、感情を詩と音で伝える表現の可能性を広げました。

社会との接点と今なお続く波紋

メディア露出と社会的インパクト

この曲は、サントリー「赤玉パンチ」のCMに起用され、テレビ視聴者への浸透が一気に進みました。さらに、1985年のドラマ『間違いだらけの夫選び』ではエンディングに使用され、大人の視聴者層に対するアピール力を高めました。『夜のヒットスタジオ』や各種歌番組への出演を通して、玉置浩二のパフォーマンスは多くの人々に強烈な印象を与え、現代に至るまで“名演”として語り継がれています。

総括:深紅の心、永遠に

「ワインレッドの心」は、情熱、孤独、哀愁が渦巻く心の深層を音楽で描いた傑作です。1983年当時の時代背景と融合しながら、現代にも響くその魅力は、まさに“色あせない名曲”。夜、グラスを傾けてこの一曲に耳を澄ませば、心のどこかが熱を帯びてくるはずです。


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