【5月3日】はジョン=リチャードソンの誕生日:『Sugar Baby Love』-(ルーベッツ)を紹介!

🎹 5月3日はジョン=リチャードソン(John Richardson)の誕生日です

5月3日は、イギリスのバンドルーベッツ(The Rubettes)のドラマー、ジョン・リチャードソン(John Richardson)の誕生日です。

1974年に大ヒットした「Sugar Baby Love(シュガーベイビーラブ )」で知られるルーベッツ。
その軽快なリズムと心地よいハーモニーを支えたのが、ジョンの確かなドラミングとコーラスワークでした。繊細さと躍動感をあわせ持つ彼の演奏は、ルーベッツのポップで甘い世界観を形作る大きな要素となっています。今なお現役で音楽活動を続けるジョン・リチャードソン。その変わらぬ情熱に、心から拍手を送りたいですね。

奇跡のポップアンセム誕生:ルーベッツ「Sugar Baby Love」の光と影

まずはYoutube動画でご紹介!

🎵 The Rubettes『Sugar Baby Love』ファン映像のご紹介(画像をクリック)してください。

1974年にリリースされ、世界中で大ヒットしたThe Rubettesの『Sugar Baby Love』。
現在、日本国内から公式の映像や音源を視聴することが難しいため、ファンの方がアップロードした映像をご紹介します。※こちらの動画は公式チャンネルによる配信ではありません。
著作権管理の都合などにより、今後動画が削除されたり視聴できなくなる可能性がある点は、あらかじめご理解ください。(もし再生できない場合は、SpotifyやApple Musicなどで公式音源をお楽しみください。)

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・・

My Age小学校中学校高校大学20代30代40代50代60才~
曲のリリース年1974
僕が聴いた時期

僕がこの曲を初めて聴いたのは、中学生の時です。邦楽はテレビでも流されていましたが、当時の洋楽の情報源はラジオのみ。

毎日ラジオを聴いては新しい曲を見つけ、翌日仲間と音楽談義を繰り返したものです。
そうした中、出会ったのはこのルーベッツの「シュガーベイビーラブ 」です。

イントロからの強烈なハイトーン目立ちましたね。愉快で楽しい曲で大好きでした。

デモから生まれたポップマジック

セッションから始まった「ルーベッツ」という伝説

1973年末から1974年初頭、ポリドール・レコードのA&R責任者ウェイン・ビッカートンとソングライターのトニー・ワディントンは、ドゥーワップ調のポップソングを制作していました。もともとこの曲は別バンド「ショウアディワディ」への提供を想定していましたが、採用を断られたため、二人はスタジオミュージシャンを集めてデモ録音を行います。

このデモでリードボーカルを務めたのが、ポール・ダ・ヴィンチ。彼の驚異的な高音ファルセットがスタジオに衝撃をもたらし、完成度の高い仕上がりとなったため、急遽「ルーベッツ」という新たなバンド名義でシングルリリースされることが決定しました。

ポール・ダ・ヴィンチ──幻のリードボーカル

デビュー曲の顔となったポール・ダ・ヴィンチですが、彼は正式メンバーになることを辞退し、実際のプロモーションやライブでは、バンド創設メンバーのアラン・ウィリアムズがボーカルを引き継ぎました。この**「歌った本人が表に出ない」**という特殊な構図が、『Sugar Baby Love』の神秘性をさらに際立たせることとなったのです。


グラムロック×1950年代ノスタルジアの美学

フラットキャップと白スーツが生んだ強烈な印象

1970年代前半のイギリス音楽界は、デヴィッド・ボウイやT・レックスらによるグラムロックの絶頂期でした。
その中でルーベッツは、白いフラットキャップと白スーツに身を包み、どこか牧歌的な50年代アメリカンスタイルを彷彿とさせるビジュアルで登場。「懐かしさ」と「未来感」を巧みに融合させ、他のグラム系バンドとは一線を画す独特の存在感を放ちました。

ドゥーワップとグラムの絶妙な融合

『Sugar Baby Love』は、ドゥーワップ風のコーラスとキラキラしたグラムポップのサウンドが絶妙にブレンドされています。
特にイントロの衝撃的なファルセットから、優しく展開するBメロ、そして印象的なコーラス”bop-shu-waddy”への流れは、当時のチャートポップスのセオリーを踏襲しながらも新鮮な響きを持っていました。


世界を席巻した『シュガー・ベイビー・ラブ』

全英チャート制覇──4週連続1位

1974年3月にリリースされた『Sugar Baby Love』は、イギリスのシングルチャートで堂々の初登場。5月には4週連続1位を記録し、年間チャートでもトップクラスに名を連ねました。さらにヨーロッパ各国、オーストラリア、ニュージーランドでもトップ10入りし、アメリカのBillboard Hot 100でも37位をマーク。国境を超えたヒットとなったのです。

50年後も輝く普遍性

時代を超えて愛され続ける理由は、シンプルで覚えやすいメロディと、感情をストレートに伝える歌詞にあります。
音楽評論家デイヴィッド・ヘプワースは、「1974年の空気を三分間に封じ込めた奇跡のような作品」と評しており、その言葉どおり、時代の情景を音で閉じ込めた稀有な存在です。


日本を駆け抜けた「シュガー・ベイビー旋風」

社会不安の中に差し込んだ光

1974年の日本は、オイルショック直後で景気後退とインフレに苦しんでいました。
そんな不安な時代背景の中、『シュガー・ベイビー・ラブ』は軽快なリズムと明るいメロディで、多くの若者たちに一瞬の希望と解放感をもたらしました。

同時期、日本では殿さまキングスの「なみだの操」、小坂明子の「あなた」などがヒットしていましたが、ルーベッツの音はそれらとは一線を画し、海外の「明るいポップス」として強い存在感を放っていました。

カバー曲とアニメタイアップによる再評価

1988年、アイドルデュオWinkが『Sugar Baby Love』をカバーし、オリコン10位入り。
さらに2001年には、アニメ『ちっちゃな雪使いシュガー』のオープニングテーマに起用され、子供たちにも再び浸透しました。

近年では木村カエラがCMソングとしてカバーするなど、世代と時代を超えて繰り返し蘇る名曲として、日本独自の定着を果たしています。


「栄光」と「呪縛」──バンドに訪れた影

二作目のジレンマ

デビュー作で圧倒的な成功を収めたルーベッツは、その後も「Tonight」「Juke Box Jive」「I Can Do It」などのヒットを飛ばしましたが、『シュガー・ベイビー・ラブ』の衝撃を超えることはできませんでした
一曲目の成功が大きすぎたために生じた典型的な「デビュー曲の呪縛」と言えるでしょう。

バンドの分裂と法廷闘争

1980年代に入り、メンバー間でバンド名や楽曲権利を巡る対立が表面化。
2022年には創設者アラン・ウィリアムズと元メンバーたちとの間で裁判沙汰にもなり、現在では複数の「The Rubettes」が併存するという複雑な状況となっています。


70年代の録音技術が生んだ温かみ

リバーブとダブリングの魔法

『Sugar Baby Love』の録音では、リバーブを駆使して空間的な広がりを作り、さらにダブリング技術でコーラスの厚みを増しました。当時のスタジオワークとしては最先端の工夫が施されており、その音作りの精度は今聴いても驚くほど高いものです。

アナログならではの艶やかさ

デジタル技術が主流となる前、アナログテープで録音されたサウンドには、自然なウォームさと柔らかい奥行きがありました。
『Sugar Baby Love』の魅力の一つは、まさにこのアナログ録音特有の温かさにあるのです。


永遠に愛される「シュガー・ベイビー・ラブ」

流行が移ろう現代にあっても、『Sugar Baby Love』は聴くたびに心を甘く満たし、あの時代の風景を呼び覚ます特別な力を持っています。

それは単なる懐メロではありません。
「幸せになってほしい」という、誰もが持つ根源的な願いを、シンプルなメロディと言葉で包み込んだ、普遍的なポップソングだからこそ、今日も世界中の耳と心に寄り添い続けているのです。


『Sugar Baby Love』(The Rubettes-ルーベッツ)意訳

愛する人を傷つけるつもりなんて、初めからなかった。
それなのに、ふとしたすれ違いや、無意識の言葉で君を悲しませてしまった。
誰だって、恋をすれば同じ間違いを繰り返してしまうもの。
僕たちだけじゃない。きっと、すべての恋人たちが、同じ痛みを知っている。

だからこそ、今、心から伝えたい。
どうか、ためらわないで。
愛しているなら、その想いをまっすぐに届けてほしい。
迷いやプライドに縛られることなく、
ただ素直に、大切な人を抱きしめてあげてほしい。

愛は完璧じゃない。
だけど、愛していることを伝え続けることで、心は少しずつ結び合っていく。
どんな日も、どんな瞬間も、君を想い、君を愛し続ける。
その積み重ねこそが、ふたりを強く、優しくしてくれる。

君を愛している。今日も、明日も、これからもずっと。

意訳;by-Ken



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