今日5月17日は、三輪テツヤの誕生日!『ロビンソン』──三輪テツヤの誕生日に贈るギターの詩!
2025年5月17日。今日はスピッツのギタリスト、三輪テツヤの誕生日です。1967年、福岡県福岡市に生まれた三輪は、福岡県立筑紫丘高等学校を経て東京都立大学(現・首都大学東京)に進学。在学中に草野マサムネらと出会い、1987年にスピッツを結成しました。
学生時代は、ブリティッシュ・ロックやフォーク・ロックに大きな影響を受け、派手なテクニックよりも楽曲全体を活かす「引き算のギター」に傾倒。そのスタイルは、スピッツの「余白の美学」として定着し、多くのリスナーの耳に残ることになります。控えめながらも情緒豊かなフレージングは、J-POP界において独自の地位を築きました。
1991年のメジャーデビュー以降、三輪のギターはバンドの屋台骨を支え続け、アルバムごとに進化を遂げながらも、一貫して温かく、風通しの良い音像を築いてきました。そんな彼のギターワークがもっとも印象的に発揮された楽曲の一つが『ロビンソン』です。
今回は、誕生日を迎えた三輪テツヤに敬意を込めて、『ロビンソン』という名曲を改めて味わっていきましょう。
まずはYoutube動画の公式動画からどうぞ!!
曲名:ロビンソン(Robinson)
アーティスト:スピッツ(Spitz)
作詞:草野正宗/作曲:草野正宗
発売日:1995年4月5日(11枚目のシングル)
YouTubeチャンネル:spitzclips(公式)
動画公開日:2010年4月16日
【2行解説】
スピッツの代表曲「ロビンソン」は、彼らの知名度を飛躍的に高めた名曲。浮遊感あるメロディと繊細な歌詞が1990年代J-POPの名盤として今なお愛され続けています。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1995 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、1995年(平成7年)のリリース時です。37歳頃で、元気でしたね。
基本365日ほぼ仕事をしていました。同じ使命感を持った仲間10人できつかったけれど楽しい時期でしたね。所属組織は会社の中でも特別の組織で、時間外手当もつかないし、ある意味会社から独立した形態だったので、使命感だけが10人の支えでした。議論が伯仲すると、午前様は当たりまえ。多数決ではなくとことん議論する。そうして全員が賛同して初めてその方向に舵を切っていくスタイルの仕事だったので、一人でも納得しないものがいると、そりゃまあ、時間がかかるわけです (;”∀”)
話がそれました。
そんな生活の中、この「ロビンソン」を聴くことになります。組織内でも口ずさむやつもいて、その印象が強く残っています。メロディーがわかりやすくて、歌いやすかったですしね。
ある一人が、「スピッツのロビンソン」なのか「ロビンソンのスピッツ」という曲かわからん・・・て言っていたのを覚えおりまして、当時はまだ「スピッツ」は広く認識されてていなかったからだと思います。正直僕も最初は「どちらかわからん」組でした(>_<)
記事を書くにあたり何度か聴き返してみましたが、「ロビンソン」というタイトルが正にイメージに合ってるんですよね。同世代でないとわからないと思いますが、僕が小学校の頃の1960年代に「宇宙家族ロビンソン」(アメリカのSF)というTVドラマがあったので、僕的には広大に宇宙まで広がるようなイメージのこの楽曲とドラマのイメージが重なって、大好きな一曲になったという訳です。例えるならボストンの「宇宙の彼方へ」やキングクリムゾンの「エピタフ」のように、広大な広がりイメージしたものです。

『ロビンソン』誕生と楽曲の背景
1995年──J-POPの中に生まれた静かな旋律
『ロビンソン』は1995年4月5日にリリースされた、スピッツ最大のヒット曲です。アルバム『ハチミツ』のリードシングルとして発表され、120万枚以上のセールスを記録しました。小室ファミリーがチャートを席巻し、ダンスミュージックが全盛を極めていた時代に、スピッツの瑞々しくも内省的なバンドサウンドは異彩を放ち、広く支持を集めました。
草野マサムネは、「孤独と希望の交錯」をテーマにこの楽曲を作詞・作曲し、歌詞には非日常のような比喩と、現実に寄り添う感覚が共存しています。その詞世界に応えるように、三輪テツヤはイントロから繊細なアルペジオを配置し、風が吹き抜けるような空間の広がりを表現しました。

音楽構造とギターの詩情
サウンドアレンジの魅力
『ロビンソン』のアレンジは、シンプルながらも計算された構造が印象的です。ミドルテンポの4/4拍子で展開されるこの楽曲は、イントロのギターアルペジオがまるで風景画のように情感を描き出し、曲全体の世界観を決定づけています。
三輪のギターは派手に主張することなく、あくまでも歌に寄り添いながら、聴く者の情景記憶を刺激します。サビではコードが広がり、ドラムとともにリズムに緩やかな推進力を与え、聴く人をやさしく包み込むような構造になっています。音の「隙間」に感情が漂う、スピッツならではのアンサンブルが光ります。
歌詞に描かれる“ふたりだけの国”
歌詞の中で象徴的に登場する「誰も触れない 二人だけの国」というフレーズは、スピッツらしい内向的で詩的な感性を表しています。恋愛を描きながらも、どこか孤独と自立を感じさせるこの言葉は、多くのリスナーにとって“かつての自分”を思い起こさせるものだったはずです。

歌詞の随所に見られる曖昧な比喩表現や時間軸の曖昧さも、この楽曲の文学性を高めています。「新しい季節」「君を待つ」「遠くへと向かう」など、聴き手それぞれの物語を重ねる余白が丁寧に仕組まれています。草野の透明感あるボーカルと三輪のギターが交差することで、単なるラブソングではなく、“日常に潜む詩情”が浮かび上がってきます。
さらに、「このままずっと夕暮れ」といった繰り返しの表現が、時間の経過とともに変わりゆく感情の輪郭を滲ませます。抽象性と具体性が交差するこの詩は、聴くたびに異なる景色を映し出してくれるのです。
時代の中の『ロビンソン』
90年代のJ-POPにおける位置づけ
1990年代半ば、日本の音楽チャートはビジュアル系、ダンス系、アイドル系が競い合う群雄割拠の時代でした。そんな中、スピッツは大きな声で語るのではなく、ささやきと間合いで感情を伝えるバンドとして異彩を放ちました。
『ロビンソン』は、豪奢な演出や過剰なドラマ性とは対照的に、「日常の風景」を大切にすることで多くの共感を獲得。テレビやラジオで流れるたび、リスナーの内面にそっと触れるような力を持っていました。ラブソングでありながら、どこか物憂げで中性的な空気感が、90年代の若者たちの繊細な感情にフィットしたのです。

再評価と継承の流れ
2000年代以降、BUMP OF CHICKEN、ASIAN KUNG-FU GENERATION、RADWIMPSといった後続バンドたちは、スピッツの音楽性から多大な影響を受けたと語っています。特に三輪のギターサウンドは「必要最小限で情感を描く技法」として、多くのギタリストに模倣され、リスペクトされています。
2020年代に入り、SNSやストリーミングサービスを通じて若い世代が『ロビンソン』を「発見」する事例が増えています。YouTubeでのライブ映像視聴やTikTokでのカバー投稿も多く、過去と現在を繋ぐ楽曲として、再び注目が集まっています。
さらに2024年の全国ツアーでは、ステージの後半に『ロビンソン』が披露されると、観客がスマートフォンのライトをかざし、ホール全体がやわらかな光に包まれる演出が話題を呼びました。まさに世代と時代を超えて愛される、普遍の1曲となっています。

終わりに──ギターが紡ぐ静けさの詩
『ロビンソン』は、1995年という時代に登場しながら、今も色褪せない楽曲として愛され続けています。(僕の音楽歴史では、割と最近の曲なんですけどね!? もう、30年も前の曲なんですね。)
草野マサムネの文学的な詞と、それを静かに支える三輪テツヤのギター。その絶妙な調和が、多くの人の“心の風景”を彩ってきました。
今日初めて聴く人にも、何度も繰り返し再生してきた人にも、この曲が持つ静かな力は等しく届くはずです。
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