今日は、ポール・ マッギーガン(オアシス)の誕生日です。
ポール・マッギーガン(通称:ギグジー)は、1971年5月9日、イングランド・マンチェスターに生まれました。Oasisのオリジナルメンバーとして知られ、1991年のバンド結成から1999年の脱退まで、初期Oasisの全盛期を支えた存在です。
ノエル・ギャラガー曰く、「音楽技術よりも、態度と存在感でOasisに不可欠なメンバー」だったと言われ、サウンドの基盤を支える堅実なプレイと、地元感あふれるキャラクターでファンから親しまれてきました。
まずはYoutubeの公式動画からご覧ください。
🎵 クレジット(公式)
曲名: Whatever (Remastered)
アーティスト: Oasis(オアシス)
作詞・作曲: Noel Gallagher
プロデューサー: Owen Morris, Noel Gallagher
収録作品: Definitely Maybe (Deluxe Edition Remastered)
リリース日(この音源の初出): 2014年5月19日
著作権: © 2014 Big Brother Recordings Ltd
音楽出版社: Dead Leg Music / Sony/ATV Music Publishing Ltd
提供元: The Orchard Enterprises
1994年にリリースされたOasis初のノン・アルバム・シングル「Whatever」は、オーケストラとブリットポップの融合が光る名曲です。
このRemastered音源は2014年のデラックス盤に収録され、瑞々しい音像で再評価されています。
🎵 クレジット(公式動画)
タイトル: Oasis - Whatever (Official Video)
公開日: 2014年1月18日
初リリース: 1994年12月18日(単独シングルとして)
収録: コンピレーション・アルバム『Time Flies... 1994–2009』に収録
監督: Mark Szaszy(マーク・シャッジー)
僕がこの曲を始めて聴いたのは・・・
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1994 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのはリリース当時で、記憶では弟経由で知ることになったと思います。
クールで疾走感のある構成。当時は仕事が本当に忙しい時期でしたが、音楽を聴く余裕はあったみたいです。(>_<)
雪降る夜に鳴り響く自由の賛歌──オアシス「Whatever」の時代と余韻
1994年12月19日、オアシスがリリースしたシングル「Whatever」は、彼らにとって初のトップ5ヒットとなる全英3位を記録し、チャートに50週以上とどまるロングセラーとなりました。アルバム未収録にもかかわらず、90年代ブリットポップの象徴として燦然と輝くこの楽曲は、自由と個性を堂々と謳い上げるアンセムとして語り継がれています。本稿では、その音楽的魅力だけでなく、当時の世界情勢、文化の潮流、日本社会の動向、オアシスのバンド史など、多角的に掘り下げていきます。
変化の波が押し寄せた1994年──世界と日本の社会背景
1994年は、歴史的な出来事が連続した激動の年でした。南アフリカでは、ネルソン・マンデラが同国初の黒人大統領に就任し、アパルトヘイトの時代に終止符が打たれます。アメリカでは、ビル・クリントン政権下で経済改革が進められ、トム・ハンクス主演の映画『フォレスト・ガンプ』※❶が全米で大ヒット。純粋な心を持つ主人公の人生が、多くの人々に感動をもたらしました。

※❶(思い出の映画です。今を時めくAppleが当時は現在のような存在感はなく、それがこの映画にも興味深く投影されていました。映画の中で、フォレストが友人ダン中尉のすすめで投資した「果物会社(a fruit company)」がApple Inc.を示唆しており、フォレストは「果物会社の株を買った」とだけ語り、その後「もうお金の心配はいらない」と述べます。僕はこの時既にapple信者だったので、非常に感動したのを覚えています(;´∀`))
一方、音楽界ではグランジの象徴だったカート・コバーン(ニルヴァーナ)が自ら命を絶ち、ロック界に大きな衝撃が走りました。
日本では、6月に村山富市内閣(大分県選出の国会議員でした)が発足し、戦後初めて社会党出身の首相が誕生。経済は依然としてバブル崩壊後の停滞を脱しきれず、不透明感が漂っていました。1994年10月には兵庫県南部地震(M7.2)が発生し、翌年の阪神・淡路大震災の前触れとされるようになります。そんな中、12月3日には初代PlayStationが発売され、ゲームとメディアの融合が若者のライフスタイルに変革をもたらしました。音楽やサブカルチャーは、社会不安を超えて前に進もうとするエネルギーの受け皿となったのです。

ブリットポップと1994年の音楽的文脈
イギリス発、ポップとロックの再融合
1994年は、ブリットポップというムーブメントが頂点へと駆け上がる一年でした。ブラーの『Parklife』は、風刺的な視点でイギリスの都市生活を描きつつ、メロディー重視の音作りで商業的にも成功。スウェードは「Stay Together」で内省的なサウンドを提示し、パルプは次作『Different Class』への布石を着実に打っていました。オアシスは、同年8月にデビューアルバム『Definitely Maybe』を発表。英国史上最速のセールス記録を打ち立て、シーンの中心に躍り出ました。
アメリカのパンク復権とグランジの終焉
同時期、アメリカではグリーン・デイの『Dookie』やオフスプリングの「Self Esteem」が、ポストグランジ時代の新しい怒りの形として人気を集めていました。グランジが提示した虚無と倦怠を乗り越えるように、ブリットポップは「大衆性」と「楽しさ」を前面に押し出し、音楽に新しい可能性を与えました。

オアシスの出自──マンチェスターの反骨精神
オアシスは1991年、労働者階級が多く暮らすマンチェスターで結成されました。兄弟であるリアムとノエル・ギャラガーを中心に、ポール・“ボーンヘッド”・アーサーズ(ギター)、ポール・マッギーガン(ベース)、トニー・マッキャロル(ドラム)という布陣で活動を開始。彼らは1993年にクリエイション・レコーズと契約し、翌年には音楽シーンに衝撃を与える存在となります。
1994年9月、ロサンゼルス公演中にリアムが挑発的な言動を取り、ノエルをタンバリンで叩くという事件が発生。ノエルは一時脱退を表明しましたが、数日後に復帰。兄弟の確執すらも物語化され、バンドの神話性は強化されていきました。
解放と美の交錯──「Whatever」の音楽的構造
「Whatever」は、ロンドン・セッション・オーケストラによるストリングスが冒頭から鳴り響く、6分21秒におよぶ大作です。ビートルズを想起させるバロックポップの要素と、オアシス特有の骨太なロック感が混ざり合い、圧倒的なスケール感を醸し出しています。

リアムの「I’m free to be whatever I」という力強いフレーズは、自由と自己主張を掲げる象徴的な一節。2分半にわたるアウトロでは、楽器が次第にフェードアウトし、最後に残るのは観客の拍手。まるでステージ上の臨場感をそのまま音源に封じ込めたかのような構成は、ライブでも人気を博しました。
訴訟と共作者クレジットの真相
この楽曲は、ニール・インズの1973年の作品「How Sweet to Be an Idiot」に旋律が似ていると指摘され、訴訟問題に発展。結果的に和解が成立し、インズが共作者として公式にクレジットされることになりました。このエピソードは、創作のオリジナリティと影響の境界線を示す事例として、音楽史にも記憶されています。
歌詞が訴えかける“自己決定”という理念
「I’m free to be whatever I choose」という一節は、90年代の若者たちが求めていた“自分らしさ”を象徴するメッセージと言えるでしょう。ノエル・ギャラガーは、労働者階級の閉塞した現実の中でも、理想や自由を語る姿勢を貫いています。
また「You only see what people want you to see」は、他人の期待に左右されず、自分の感覚を信じるべきだというメッセージとして機能します。Oasisはこの曲を通じて、自分の信じる道を突き進む大切さを訴えているのです。
日本に届いた「Whatever」の余韻と共感
日本では1995年初頭にかけて、「Whatever」はアサヒビールのCMソングとして使用され、洋楽に馴染みのない層にもそのメロディーが浸透しました。邦題がつけられることもなく、タイトルそのものが“自由”を象徴する語として認識されました。

当時の日本音楽シーンでは、Mr.ChildrenやGLAY、DREAMS COME TRUEといったJ-POP勢が活躍していましたが、洋楽リスナーの間ではオアシスが新たな刺激として熱く支持され始めていた時期でもあります。
永続する名曲としての価値──その後の展開
オアシスは2009年に事実上解散しますが、その後も「Whatever」はベスト盤『Time Flies… 1994–2009』(2010年)に収録されるなど、根強い人気を維持します。2024年12月にはリリース30周年を記念して、4Kリマスター版のMVと高音質リマスター音源が公開され、再び脚光を浴びました。
さらに、2025年にはノエルとリアムの“和解報道”が現実となり、来日公演の計画が発表されるに至ります。過去の因縁を乗り越えたギャラガー兄弟の再結成は、「Whatever」が訴えてきた“選び取る自由”というテーマとも重なります。
結び──雪明かりの中で蘇る、自由の旋律
「Whatever」は、音楽が個人の価値観や生き方にまで浸透するという可能性を、まざまざと示してくれた作品です。冬の街を歩きながらこの曲を耳にすれば、社会に翻弄されることなく、自分の意思で歩むことの大切さを再確認できるはずです。

◆「Whatever」( Oasis)―全体意訳
自由とは、ただ好きなように生きること。
誰に何を言われようと、何を歌おうと、どこへ行こうと、自分の選んだ道ならそれでいい。
世界は僕たちに「こうあるべきだ」と見せたがるけれど、僕らはそれに振り回される必要なんてない。
正しいかどうかなんて誰にも決められないし、気にすることじゃない。
誰かの期待に応える前に、自分の心の声を聞こう。
些細なことで騒ぎ立てるより、自分自身を持って、静かに歩き出せばいい。
無理に強がる必要もない。心の中にある過去のかけら、もう戻らないと知っているそれすら、今の僕には大切な一部だ。
楽しいことばかりじゃないけど、それでも僕は僕でいる。
君が何をしても、何を言っても、それでいい。
君もまた、君自身でいればいい。だって、それが「自由」だから。
by Ken
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