【3月28日】は、Metis(メティス)の誕生日-『 母賛歌』を紹介します!

Metis 『母賛歌』

【3月28日】は、Metis(メティス)の誕生日-『 母賛歌』を紹介します!

日本のレゲエシーンを牽引する女性シンガー

Metis(メティス)は、1984年3月28日生まれ、広島県出身のレゲエシンガー、ソングライターです。2000年代後半から日本のレゲエシーンで注目を集め、2007年にシングル『HAPPY MY LIFE』でメジャーデビューを果たしました。彼女の音楽は、レゲエのリズムを基調としながらも、J-POPやR&Bの要素を取り入れた独自のスタイルが特徴です。力強い歌声とリアルな歌詞で、恋愛や家族、社会問題など幅広いテーマを歌い上げ、リスナーの心に深く響きます。

Metisの名は、ギリシャ神話の知恵の女神「メティス」に由来しており、彼女の知性と感性が音楽に反映されています。2010年にリリースされたアルバム『ONE LOVE』に収録された『母賛歌』は、彼女の代表曲の一つとして知られ、母への感謝と愛を歌った感動的な楽曲です。Metisは、自身の母親との関係や人生の経験を元にこの曲を作り上げ、リスナーに深い共感を与えました。

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫

My age小学校中学校高校大学20代30代40代50代60~
曲のリリース   2010 
僕が聴いた時期     ● 

僕がこの曲を初めて聴いたのは、リリース当時の2010年頃です。
仕事も第4コーナをまわり残りわずかと行った時期でしたね。

テレビで恐らく聴いたのでしょうが、ハッキリとした記憶はありません。
ソウルフルならぬ、レゲイフルの彼女の他の楽曲はほぼ知りませんが、この曲は胸に響く何かを感じてものです。

僕は、今現在66歳。1970年代の青春時代、音楽漬けの中学校や高校、大学で過ごした頃は、クイーンや、ふきのとう、もちろん陽水や吉田拓郎を聴きながら和洋音楽に夢中でした。

1980年代に入り、社会人生活が始まった頃は、忙しい日々の中で音楽が心の支えでした。Metisの『母賛歌』に出会ったのは2010年、彼女のアルバム『ONE LOVE』がリリースされた頃です。当時、僕は52歳で、母は存命中でした。亡くなった今もそうですが、母への感謝の気持ちをいつも感じていました。でも直接感謝の言葉はかけたことはありません。

この曲を初めて聴いたとき、Metisの情感溢れる歌声に心を打たれ、母への想いが溢れてきたのを覚えています。

この名曲を動画でチェック!

Metis『母賛歌』スタジオバージョン
スタジオ録音バージョンで、Metisの力強い歌声と繊細な感情表現をじっくり味わえます。

Metis『母賛歌』のしみじみバージョンの映像
しみじみ聴いてください。


時代を超えた活躍と現代での影響

Metisはデビュー以来、日本のレゲエシーンで独自の地位を築いてきました。2010年代には『ONE LOVE』や『MUSIC』などのアルバムをリリースし、ライブパフォーマンスでもその実力を発揮。2011年には「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演し、力強いステージで観客を魅了しました。彼女の音楽は、レゲエファンだけでなく、幅広い層から支持を集めています。

2020年代に入ってもMetisの勢いは止まりません。2023年には新曲『Rasta Road』をリリースし、ストリーミングサービスを通じて若い世代にもその音楽が届いています。TikTokやInstagramでは、『母賛歌』が感動的なBGMとして使われることも多く、世代を超えて愛されるアーティストとしての地位を確立しています。Metisの音楽は、時代やトレンドが変わっても、普遍的なテーマとリアルな感情でリスナーの心をつかんで離しません。


『母賛歌』の制作背景

アルバム『ONE LOVE』のコンセプトと2010年代の音楽シーン

『母賛歌』は、2010年にリリースされたMetisのアルバム『ONE LOVE』に収録されています。このアルバムは、2010年代初頭の日本の音楽シーンが多様化する中で生まれた作品です。当時は、AKB48や嵐といったアイドルグループが主流となる一方で、レゲエやヒップホップなどストリートカルチャーから生まれた音楽も注目を集めていました。Metisは、そんな時代の中で「愛」をテーマにしたアルバム『ONE LOVE』を制作し、家族や恋人、社会への愛を歌い上げました。

『ONE LOVE』は、タイトル通り「愛」を軸にしたアルバムで、Metis自身の人生経験が色濃く反映されています。『母賛歌』は、彼女の母親への深い感謝と愛を表現した楽曲で、アルバムの中でも特に感動的な一曲として知られています。Metisは、この曲の制作について「母が亡くなった後、彼女への想いを形にしたいと思った。母が教えてくれた愛や強さを歌に込めた」と語っており、個人的な体験が楽曲に深みを与えています。

制作プロセスとMetisのこだわり

『母賛歌』の制作において、Metisは自身の感情をそのまま歌に込めることにこだわりました。この曲は、レゲエのリズムを基調としながらも、J-POPのメロディラインを取り入れ、幅広いリスナーに届くよう工夫されています。Metisの力強い歌声は、母への感謝と愛をストレートに表現し、聴く者の心に直接訴えかけます。

レコーディングでは、Metisが感情を最大限に引き出すために、ライブ感を重視したアプローチが取られました。バックバンドの演奏も、彼女の歌声を引き立てるようにシンプルかつ力強いアレンジが施されています。Metisは「この曲は、母への手紙のようなもの。歌いながら母との思い出が蘇り、自然と涙が溢れてきた」と語っており、彼女のリアルな感情が楽曲に込められていることがわかります。


歌詞の紹介と解釈

母への感謝を綴った心の手紙

次の動画は、おまけ程度のものですが、当時この曲を聴いていた僕は、つい涙しましたね(;_;)/~~~

『母賛歌』の歌詞は、Metisが母親に向けて書いた手紙のような内容です。以下に、指定された範囲の歌詞を引用して紹介します。

あれは昭和59年 私が産まれた故郷は
三月の春を運ぼうとしていたときだった
父はいませんが 何故だか笑って暮らせていた・・・

この歌詞は、Metisが自身の幼少期を振り返り、母との思い出を綴ったものです。昭和59年(1984年)、Metisが生まれた故郷で、母と共に過ごした時間が描かれています。「三月の春を運ぼうとしていたときだった」という表現は、Metisが生まれた時期が新しい季節の始まりと重なり、希望に満ちた瞬間だったことを示しています。また、「父はいませんが 何故だか笑って暮らせていた・・・」というフレーズからは、母が一人でMetisを育てながらも、笑顔を絶やさず前向きに生きていた姿が伝わります。

この歌詞を聴くと、僕自身も亡くなった母のことを思い出し、母がどんな時も笑顔で支えてくれた姿を思い出します。2010年、52歳だった僕は、仕事中心の毎日の中でこの曲を通じて母との思い出を振り返り、心が温かくなったのを覚えています。(小盛です!) Metisの歌詞は、母の愛と強さを讃えると同時に、母子の絆の深さを描き出しています。


テーマと感情の流れ

感謝と愛、そして再生の物語

『母賛歌』の中心的なテーマは、「母への感謝」と「愛」です。Metisは、母との思い出や彼女から受けた愛を振り返りながら、感謝の気持ちを歌に込めています。曲の構成は、ゆったりとしたイントロから始まり、徐々に感情が高ぶるサビへと進み、最後には穏やかな余韻を残す流れになっています。この感情の流れは、母への想いを振り返り、感謝を伝える過程を表現しているようです。

特に、サビの部分ではMetisの力強い歌声が際立ち、母への愛と感謝が爆発するようなエネルギーを感じます。曲の終盤では、静かなメロディと共に感謝の気持ちが優しく締めくくられ、母への想いが穏やかに響きます。この流れは、母との別れを経験したMetisが、悲しみを乗り越えて再生する過程を象徴しているとも言えるでしょう。

Metis 『母賛歌』
Metis 『母賛歌』

Metisの表現力と『母賛歌』の魅力

力強い歌声とリアルな感情の融合

『母賛歌』は、Metisの力強い歌声とリアルな感情が見事に融合した楽曲です。彼女の歌声は、レゲエ特有のグルーヴ感を持ちながらも、J-POPのメロディラインに馴染む柔らかさがあります。この曲では、Metisの声が持つパワーと繊細さが存分に発揮されており、母への感謝と愛をストレートに伝える力があります。

また、Metisの表現力はライブパフォーマンスでも際立っています。彼女のエネルギッシュな歌唱と観客との一体感が感じられます。Metisはステージ上で全身を使って歌い、観客に感情を直接届けるのが得意です。Metisのライブは、まるで母への想いを共有するような温かい空間を作り出してくれます。

2010年代の音楽トレンドとのリンク

『母賛歌』がリリースされた2010年は、日本の音楽シーンが多様化していた時期です。AKB48や嵐といったアイドルグループが人気を博する一方で、レゲエやヒップホップなどストリートカルチャーから生まれた音楽も注目を集めていました。Metisは、そうしたトレンドの中で、レゲエとJ-POPを融合させた独自のスタイルを確立し、他のアーティストとは一線を画す存在となりました。『母賛歌』は、レゲエのリズムとJ-POPのメロディが絶妙に融合した楽曲であり、時代を超えて愛される理由がここにあります。


多角的な視点:『母賛歌』が映し出すMetisの人生

2010年代の日本とMetisのメッセージ

2010年代初頭の日本は、東日本大震災(2011年)を経験し、社会全体が大きな変化を迎えた時期でした。震災後の日本では、家族や絆の大切さが再認識され、音楽にもその影響が色濃く反映されました。Metisの『母賛歌』は、そんな時代の中で「家族への愛」をテーマにした楽曲として、多くのリスナーに共感を与えました。

『母賛歌』を聴くと、母との思い出が蘇り、家族の絆の大切さを再確認できます。Metisは、この曲を通じて「母への感謝」や「家族の愛」を伝えようとしたのではないでしょうか。2010年代の日本社会では、物質的な豊かさよりも心の繋がりが求められるようになり、『母賛歌』はそんな時代に寄り添う一曲だったと言えるでしょう。

ファンに与えた影響と現代での再評価

『母賛歌』は、リリース当時、多くのファンに感動を与えました。2010年代のMetisのライブでは、この曲が演奏されるたびに観客が涙を流し、会場全体が温かい雰囲気に包まれたと言います。

現代においても、『母賛歌』は多くのリスナーに愛されています。YouTubeやストリーミングサービスを通じて、若い世代にもこの曲が再発見されており、TikTokやInstagramでは感動的なBGMとして使われることも増えています。あるファンは、「この曲を聴くと、母への感謝の気持ちが湧いてくる。Metisの歌声が心に響く」とコメントしており、時代を超えて共感を呼んでいます。近年では、レゲエやJ-POPが見直される動きがあり、Metisの楽曲も再評価されています。『母賛歌』は、シンプルなメッセージと普遍的なテーマが現代のリスナーにも響く理由であり、Metisの音楽が持つタイムレスな魅力が感じられる一曲です。

その後のキャリアとの繋がり

『母賛歌』がリリースされた2010年以降、Metisはさらに幅広い音楽活動を展開しました。2010年代後半には『MUSIC』や『Rasta Road』などの作品をリリースし、2020年代に入ると、ストリーミングサービスを通じて若い世代にもその音楽が届いています。『母賛歌』で表現された「家族への愛」のテーマは、Metisのその後のキャリアにも大きな影響を与えました。たとえば、2023年の新曲『Rasta Road』では、家族や故郷への想いを歌い続けており、彼女の音楽の根底にある「愛」が一貫していることがわかります。


『母賛歌』のカバーと現代での影響

現代での影響と再評価

現代の日本社会では、働き方改革やメンタルヘルスの重要性が叫ばれる中、「家族との繋がり」や「感謝」を求める動きが広がっています。『母賛歌』は、そんな時代に再び注目を集める楽曲となっています。2023年のMetisのライブでは、この曲がセットリストに組み込まれ、観客から大きな拍手が送られました。Metis自身も「この曲は、私にとって特別な一曲。母への想いを歌い続けることで、みんなと繋がれるのが嬉しい」と語っており、彼女にとって大切な楽曲であることがわかります。


まとめ

Metisの『母賛歌』は、母への感謝と愛を歌った感動的な楽曲です。2010年のアルバム『ONE LOVE』に収録されたこの曲は、家族の絆の大切さを教えてくれる一曲です。時代を超えて愛されるこの曲は、2010年代のファンに感動を与えただけでなく、現代のリスナーにも深い共感を呼んでいます。僕の人生の節目で、母との思い出を振り返るきっかけをくれたこの曲を、3月28日のMetisの誕生日にお祝いとして紹介できたことを嬉しく思います。ぜひ、動画でMetisの力強い歌声を聴きながら、その感動的な世界に浸ってみてください。家族への感謝を感じさせる一曲になるはずです。

Metisさん、41歳のお誕生日おめでとうございます!これからも素晴らしい音楽を届けてくれることを楽しみにしています!🎂🎤

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