🎤【5月11日】は久保田早紀の誕生日!
【5月11日】はシンガーソングライター・久保田早紀の誕生日です。
1979年、デビュー曲「異邦人」が大ヒットし、一躍脚光を浴びました。
エキゾチックな旋律と詩的な歌詞、そして澄んだ歌声が印象的で、今なお多くの人の心に残る名曲です。
まずは、この曲を公式のYoutube動画でチェック!
🎼「異邦人」公式動画のクレジット(確認済)
タイトル:異邦人(アニメーション・ミュージックビデオ)
アーティスト:久保田早紀
発売日:1979年10月1日
レーベル:CBS・ソニー(現Sony Music Entertainment (Japan) Inc.)
作詞・作曲:久保田早紀
編曲:萩田光雄
イメージソング使用番組:三洋電機カラー・テレビサンヨー「くっきりタテ7」
映像制作:東京藝術大学大学院 映像研究科
配信管理:Sony Music関連配信リンクあり
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1979 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、大学3年生(昭和54年)の頃、世田谷の自宅アパート。
テレビだったと思います。ヒットし始めるころ、よく歌謡番組に出ていました。
ルックスもかわいかったと思いますが、何よりエキゾチックでオリエンタルな感じの強いのが特徴で、いい欲だとごく普通に好きになりました。『ザ・ベストテン』で3週連続1位ということで、否応なしに注目度は高かったと思います。
久保田早紀『異邦人』が誕生した時代
世界は転換期にあった──1979年の国際情勢
1979年は、世界が大きく揺れ動いた転換点の年でした。イギリスではマーガレット・サッチャーが女性として初めて首相に就任し、新自由主義的な政策が始動。イランではホメイニ師によるイスラム革命が起こり、中東情勢が激変しました。アメリカでは、ソニーが発売したウォークマンが人々の音楽体験を根底から変え始め、個人が音楽を持ち歩くという新しい時代が幕を開けました。映画ではリドリー・スコット監督の『エイリアン』が世界を驚かせ、SFホラーというジャンルを確立しました。

こうした変化は、情報、文化、価値観にまで波及し、人々の「未知なる世界」への関心が高まっていく時代背景を形作っていたのです。
日本の社会と文化の風──女性の海外旅行と音楽の役割
同じ年、日本もまた内外からの影響を受けつつ変化の時代を迎えていました。第二次オイルショックの影響で物価が上昇し、庶民生活には不安が漂いましたが、一方で東京サミットの開催によって国際的な存在感が増し、未来への期待感も同居していました。
特に注目すべきは、女性の海外旅行ブームの始まりです。当時、「異国」を訪れることは女性にとっても憧れと自立の象徴になりつつあり、音楽やドラマ、CMにも“エキゾチックな世界”が頻出するようになりました。こうした社会の空気が、『異邦人』という楽曲のヒットを後押ししたのです。
ニューミュージックと異国情緒の出会い
1979年の音楽シーンと“オリエンタルブーム”
1979年の音楽界では、従来の歌謡曲とは異なる価値観を持ったニューミュージックが台頭していました。松任谷由実の『埠頭を渡る風』、井上陽水の『なぜか上海』といった楽曲が都会的で詩的な世界観を描き、知的なリスナーを魅了しました。
一方で、オリエンタルなモチーフを取り入れた楽曲も増加。ジュディ・オングの『魅せられて』はエーゲ海の恋を歌い、日本レコード大賞を受賞。庄野真代の『飛んでイスタンブール』や、ゴダイゴの『ガンダーラ』は中東やアジアへの幻想を音に乗せて表現しました。

『異邦人』は、まさにその両方の潮流が交差する地点で生まれた作品であり、ニューミュージックの自由な表現と、オリエンタルブームの空気を一身にまとった名曲でした。
『異邦人』が生まれるまで──久保田早紀の軌跡
八王子から中央線へ──少女時代と音楽的素養
久保田早紀(本名:久米小百合)は1958年5月11日、東京都八王子市に生まれました。幼少期からピアノを学び、12歳には作曲を始めるなど、早くから音楽に親しんでいました。共立女子短期大学に在学中、自作のデモテープをCBSソニーに送ったことがきっかけで、1979年にデビューが決定しました。
偶然の出会いと「白い朝」からの変化
実は、彼女が応募したのは「ミスセブンティーンコンテスト」であり、音楽オーディションと勘違いしての応募だったというエピソードも残っています。当初は『白い朝』というタイトルだった『異邦人』は、酒井政利プロデューサーの判断により、より印象的で象徴的な『異邦人』へと改題され、CMとのタイアップによって一気に注目されることになります。
『異邦人』の音楽と詩の魅力
シルクロードの風を感じさせるサウンド設計
『異邦人』の特徴の一つは、その印象的なイントロです。ダルシマーという打弦楽器の音色が、シルクロードの情景を瞬時に想起させます。編曲を担当したのは萩田光雄氏。彼は、ポルトガルの民謡“ファド”を取り入れつつ、ストリングスとパーカッションで繊細かつ異国的な音像を作り上げました。


イントロのダルシマーとファドの導入
このダルシマーの音色は、単なる装飾ではなく、曲全体の世界観を導く「鍵」となっています。中近東風の旋律に、ファド由来の哀愁が交錯し、聞く者を“旅人の心”に誘う効果をもたらしているのです。
詞の風景──郷愁と異国が交差する世界観
『異邦人』の歌詞は、久保田が通学の途中で中央線の車窓から見た子供たちの姿から着想を得たとされています。冒頭の「子供たちが空に向かい~」というフレーズには、日常の中にある希望と無垢さが描かれています。

タイトルが象徴する旅人の孤独
「あなたにとって私 ただの通りすがり…」というサビの部分には、旅人としての孤独と、一期一会のはかなさが表現されています。“異邦人”という言葉が持つ「自分が居場所のない場所にいる」という響きが、聴く者の心に郷愁を呼び起こします。
父のイラン赴任が与えた影響
彼女の父がイランに駐在していたこともあり、幼い頃から中東の音楽テープをよく聴いていたという背景も、音楽的感性の形成に大きな影響を与えたと考えられます。家庭環境そのものが“異国”への親しみを育てていたのです。
その後の評価と時代を超えた響き
ヒットの軌跡と映像の相乗効果
『異邦人』は、CMで使われた白馬の馬車と砂漠の映像によって、一気に認知を拡大しました。TBSの『ザ・ベストテン』では初登場5位、最終的には3週連続1位を獲得。12週連続でベストテンにランクインし、まさに1979年を代表するヒット曲となりました。
CMとの連動性、タイトルの力強さ、そして楽曲自体の完成度が三位一体となって、社会現象的な成功を収めたのです。

再評価される理由──カバーとデジタル時代の共鳴
2003年にはZARDと松本孝弘によるカバーがオリコン3位にランクイン。中森明菜、徳永英明など多くのアーティストによってカバーされるたびに、その楽曲の持つ普遍性が証明されてきました。
2020年にはデビュー40周年記念BOXがリリースされ、未公開音源やインタビューが収録されました。Spotifyなどのストリーミングでも安定した人気を誇り、若いリスナーから「いま聴いても新鮮」「美しく儚い」と再評価されています。
秋の空に響く記憶のメロディ
久保田早紀の『異邦人』は、中央線の車窓から見た風景と、シルクロードへの幻想が結びついた、詩情あふれる楽曲です。

秋の夕暮れ、紅葉が舞う公園でこの曲を聴けば、1979年(昭和54年)のあの空気がそっとよみがえるでしょう。(初夏の紹介ですみません( ;∀;))
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