僕の勝手なBest10:【小椋佳】編-第2位『山河』の深層世界をご紹介!

小椋佳」について詳しくは➡こちらのWikipediaでどうぞ!


永遠の詩情を刻む──小椋佳「山河」の深層世界

「僕の勝手なBest10:【小椋佳】編-第2位は『山河』です。

僕の勝手なBest10【小椋佳】編第2位は「山河」です。Best10のランキング作成のため、そのランキングの後に予定している曲も毎日聴いては、感覚で順位の入れ替えもします。この「山河」は当初の7位の予定でしたが、なんとなんとここまで上昇してきました。聴けば聴くほど、歌詞に打ちのめされます。僕もこの年になったから感じるのでしょうか。―「顧みて 恥じることない 足跡を山に残したろうか?」と。

2000年の世紀の転換点に生まれた「山河」は、小椋佳が作詞、堀内孝雄が作曲し、五木ひろしが歌唱した作品です。この楽曲は、演歌の形式にとどまらず、日本人の自然観や人生観を詩的に表現した叙事詩のような一曲です。本稿では、その詩の奥行き、音楽的構造、時代背景との関係、そして今もなお聴く者の心に残る理由を深く探っていきます。

Youtube動画でご覧ください

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生命の循環と自然への帰還を描く歌詞

山と川に託された存在の象徴

冒頭の歌詞「人は皆 山河に生まれ 抱かれ 挑み」は、人間の生涯を山と川という自然の象徴と結びつけることで、壮大な生命の循環を描いています。山の不動、川の流動という対照的な自然の姿が、「生まれ」「挑み」「和み」「還る」という人間の営みを支える舞台として機能しています。

人間存在への問いかけ

後半の歌詞では、自身の人生が山に、夢が川に、そして心が他者の瞳に映る様子が語られます。

顧みて 恥じることない 足跡を山に残したろうか
永遠の 水面の光 増す夢を河に浮かべたろうか
愛する人の瞳に 俺の山河は美しいかと

これは単なる自然賛歌ではなく、人が人生の終末に自らの生き方を振り返る内省の詩であり、極めて哲学的です。(この曲を知ってから、この部分の歌詞を何度も自分に問いかけてました。

詩人・小椋佳の歩みと「山河」の位置づけ

二重生活から生まれた知と感性

小椋佳は1944年、東京・上野に生まれ、東京大学法学部を卒業後、日本勧業銀行に勤務しながら音楽活動を開始しました。その後「しおさいの詩」「さらば青春」で1971年にデビューし、フォークと歌謡の中間にあるような詩情豊かな作風で注目されました。

円熟期の表現としての「山河」

「山河」が発表された2000年は、彼の音楽活動30周年の節目でした。その頃には銀行を退職し、東大に再入学して哲学を学ぶなど、知的好奇心と創作意欲にあふれる時期でもあります。深い内省と日本文化への理解が融合した本作は、まさにその集大成ともいえる作品です。

堀内孝雄との共作が生んだ音の世界

メロディが引き出す詞の深み

堀内孝雄とのコンビネーションは、「少年達よ」(1983年)「愛しき日々」(1986年)などで評価されてきました。「山河」でもその手腕は発揮され、静かな導入から徐々に高揚していく構成は、小椋の歌詞の世界観を音楽で支えています。

五木ひろしの歌唱とその説得力

力強さと繊細さを兼ね備えた五木ひろしの歌声が、山河の雄大さや哀しみ、祈りのような感情を見事に表現しました。また、小椋佳自身もこの曲を歌っており、異なる解釈で聴く楽しさも味わえます。
(聴き比べて見ましょう!)

動画提供:徳間ジャパンコミュニケーションズ(YouTube公式チャンネル)
楽曲:山河
作詞:小椋佳 作曲:堀内孝雄 歌唱:五木ひろし
著作権:© Tokuma Japan Communications Co., Ltd.

確かに、五木ひろしの歌唱力は抜群です。認めます。でも私は、小椋佳の歌唱が好きなんですね!(;”∀”)

2000年という時代と「山河」の共鳴

新旧が交錯した年

平成12年、日本はY2K問題、iモードの普及、二千円札の発行(最近見てません!)、PS2の発売などに揺れる一方、東海豪雨など自然災害も経験しました。変革の年において、「山河」は普遍性と精神性を私たちに取り戻させる存在だったのです。

紅白歌合戦の象徴的選曲

2000年末のNHK紅白歌合戦で五木ひろしが大トリを務め、「山河」を熱唱したことは、20世紀を振り返り21世紀に橋を架ける象徴的な選曲でした。

自然と精神を重ねる日本文化の中で

日本人と山・川の関係性

山は神の宿る場所、川は命の源──このような自然観が古来から日本文化に息づいています。国土の7割を山地が占める日本において、山河はただの風景ではなく、精神的支柱でもあります

心に宿す“内なる山河”

小椋佳は、山河を単なる地形や自然の象徴としてだけでなく、人の内面に宿る心象風景として捉え直します。

悔いひとつなく悦びの山を築けたろうか
くしゃくしゃに嬉し泣きする 河を抱けたろうか

これらのフレーズは、個々人が自身の内に築いてきた「山河」を確認し、その価値を問うものです。

現代への問いとしての「山河」

刹那的な評価から本質へ

SNSの評価や経済的成功といった短期的な「評価」ではなく、人生全体としての「価値」を見つめ直す。この視点こそが「山河」の核心です。

他者の眼差しという尺度

「愛する人の瞳に俺の山河は美しいか」という問いは、自己中心的でなく、他者との関係性を基盤に人生を捉える姿勢を映し出しています。

結び──山河が遺すメッセージ

「山河」は、日本文化の精神性と詩的感性を併せ持つ作品です。小椋佳の詩心、堀内孝雄の旋律、五木ひろしの歌声が融合し、永遠の問いを私たちに残しました。自然との共存、人間の足跡、愛する者とのつながり──そのすべてを見つめ直すために、今あらためてこの楽曲を聴く意義があるでしょう。

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