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そよ風が運んだ旋律 ― 小椋佳「揺れるまなざし」
「僕の勝手なBest10:【小椋佳】編-第4位は『シクラメンのかほり』です。
小椋佳のBest4位は、『シクラメンのかほり』です。
恐らく、布施明の歌唱(1975年リリース)の方が有名ですね。僕もいい曲だとは思っていましたが、布施明のことはとくに関心がなかったので、翌年、小椋佳がセルフカバーをした楽曲を聴いたときは、「これよ、これこれ””!!」って感じでした。小椋佳は他者への楽曲提供がとても多いアーティストですが、僕はどの曲においても、小椋佳の歌唱の方が好きですね。
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🎬 動画情報(クレジット)
タイトル:Shikuramenno Kaori(シクラメンのかほり) アーティスト:小椋佳(Kei Ogura) 作詞・作曲:小椋佳(Kei Ogura) プロデューサー:多賀英典(Hidenori Taga) 提供元:Universal Music Group(USM JAPAN, a division of UNIVERSAL MUSIC LLC.) リリース日:2006年10月4日(オリジナル音源は1976年) YouTubeチャンネル:「小椋佳 - トピック」 視聴リンク:https://www.youtube.com/watch?v=EcAW69MoNkg
小椋佳「シクラメンのかほり」― 時代を彩った叙情と郷愁の世界
1970年代の日本と音楽的空気
1975年、日本は高度経済成長の最終段階を迎え、経済的には成熟へと向かう一方、都市化による孤立や公害問題など、社会の歪みも見え始めていました。若者の間では、心の内面を見つめる音楽が支持を集め、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫といったフォーク系アーティストが台頭。内省的な楽曲が新しいスタンダードとなりつつありました。

このような背景の中で登場したのが、小椋佳による「シクラメンのかほり」です。
異色のキャリアを歩んだ表現者
銀行員と音楽家の二重生活
小椋佳(本名・神田勝彦)は1944年生まれ。東京大学法学部を卒業後、日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)に入行しながら音楽活動を並行して続けていました。その独特なキャリアは、表現の内容にも表れています。冷静で論理的な視点と、詩的で繊細な情感が両立する彼の作品群は、どこか異質でありながらも強く共感を呼びました。(小椋佳のBest10なので、このくだりは必ずついてきます。(;”∀”))

「シクラメンのかほり」の誕生
布施明による歌唱と爆発的ヒット
この楽曲はもともと小椋自身が歌う予定で作られたものの、レコード会社の勧めにより布施明に提供されました。1975年にリリースされると、ドラマチックな歌唱が奏功し、日本レコード大賞、日本歌謡大賞、FNS歌謡祭グランプリなどを総なめ。音楽的完成度と情感の高さから、同年を代表する一曲となりました。

小椋佳バージョンの存在感
1976年に小椋本人もセルフカバーを発表。布施明の迫力ある表現とは対照的に、淡々とした語りかけるような歌唱で、楽曲の内面性がより強調され、異なる味わいを与えています。
二つの「かほり」:布施と小椋の対照美
歌い方の違いが生む世界観の幅
布施明の歌は、情熱的で演劇的ともいえるダイナミズムが魅力。聴く者の感情を外側から揺さぶります。一方、小椋佳のバージョンは抑制の美。静けさの中にある感情の機微を丁寧に描写し、まるで独白のような印象を残します。
この対照が、「シクラメンのかほり」という作品の多層性を浮かび上がらせ、リスナーの感受性によってさまざまに響く構造を形作っています。

歌詞とメロディが織りなす叙情性
シクラメンと女性像の重なり
「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」という冒頭の一節は、優雅で慎ましい美しさを象徴します。ここに描かれる女性像は、ただ美しいのではなく、秘めた哀しみや儚さを含んだ存在として描かれています。
音楽的構造の妙
フォーク調のコード進行に乗せた穏やかなメロディ。サビで転調が入ることで、感情の高まりが自然に表現され、聞く人の心に静かに入り込む構成となっています。

シクラメンという花の文化的意味
花言葉と曲との共鳴
シクラメンには「はにかみ」「内気」「遠慮」といった花言葉があります。冬に咲くこの花は、厳しい環境下でも気高く佇む存在として、楽曲のテーマと深く共鳴しています。
1975年以降、全国の園芸店ではシクラメンの需要が急増。贈答用としての人気が定着した背景には、この曲の大ヒットが大きく関与していました。
メディアでの使用と記憶への定着
映像作品への起用と効果
NHK『新日本紀行』をはじめ、数多くのテレビ・ラジオ番組でこの楽曲はBGMとして使用されました。ドキュメンタリーや回顧的なドラマの中で挿入されることで、視聴者の感情を補完する役割を果たし、曲と映像の記憶が結びつきました。
今でも昭和レトロをテーマにした番組で取り上げられるなど、その普遍的な印象は衰えを見せていません。

1975年の社会と音楽シーン
時代背景と人々の心
1975年は、沖縄海洋博や岡山新幹線の開業など、国をあげたイベントが話題を呼んだ年。一方で第一次オイルショック後の混乱も残っており、物価高や失業不安も人々を取り巻いていました。
音楽では、アイドルが台頭し、山口百恵、沢田研二、西城秀樹らがテレビを席巻。しかし、「シクラメンのかほり」は、そうしたきらびやかな流れとは別の、静かな感動を届ける存在として異彩を放っていました。
同時代アーティストとの比較
叙情の表現方法の違い
井上陽水の『氷の世界』、荒井由実の『卒業写真』など、1970年代半ばには内面描写に優れた楽曲が続出。小椋佳の作品は、それらと比べても文学的で、詩的な表現が際立ちます。
都会的な洗練とは別の、どこか和の情緒を感じさせる語り口が、独自の世界観を形成しています。
現代における「静けさ」の価値
音楽の本質を問い直す一曲
即時性が求められがちな現代において、「静けさ」の中にある情感を描く小椋佳の音楽は、むしろ新鮮な印象すら与えます。
「シクラメンのかほり」は、効率ではなく余白、騒音ではなく沈黙に耳を傾けることの大切さを教えてくれる名曲です。

おわりに
小椋佳の「シクラメンのかほり」は、昭和の日本に静かに寄り添い、令和の今もなお、感情の深層に語りかけてくる不思議な力を持つ楽曲です。
記憶を揺らすメロディ、美しい言葉、そして情緒の美学——それらすべてが融合したこの曲は、日本音楽史において唯一無二の存在といえるでしょう。
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