4月5日は、アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)の誕生日です。
今日は、スウェーデン出身の歌手アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)の誕生日です。おめでとうございます。(ABBAのブロンドの方です)
アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)は、1950年4月5日、スウェーデンのヨンショーピングに生まれた歌手で、世界的ポップグループABBAのメンバーとして知られています。若くして音楽の才能を開花させ、1960年代にはソロでも活躍。その後ABBAに加わり、澄み切った歌声と豊かな表現力で「ダンシング・クイーン」など数々の名曲を支えてきました。今日、誕生日を迎えるアグネッタ。その軌跡をあらためて称えたいと思います。
YouTube映像で体感する「悲しきフェルナンド」(公式動画)
ABBA – Fernando(公式ミュージックビデオ)(まずはABBA公式チャンネルから公開されている映像をご覧ください。)
スウェーデンの大自然を背景に、メンバーの表情と楽曲の情感が美しく調和したビデオです。
🎵公式動画クレジット
ABBA - Fernando (Official Music Video)
配信:ABBA公式チャンネル(登録者数 583万人)
✍️解説(2行)
1976年に発表された「Fernando」は、ABBAを代表するバラードのひとつで、世界的に大ヒットを記録しました。この公式映像はHDリマスター版として公開され、当時の映像とともに名曲の魅力を高画質で楽しめます。
僕がこの曲を初めて聴いたのは
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1976 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのはリリース当時です。1976年3月にシングルとしてリリースされてので、高校2年生から3年生になる頃です。
春と言えは、「佐伯の春まず城山に来たり」・・・の国木田独歩の碑が立つ、佐伯鶴城高校近くにある佐伯市の城山にはよく登ったものです。懐かしいです。
あれ、曲の話でしたね( ;∀;)
当時ABBAは大人気!ピーク時だったと思います。特にすぐ後に発売された「ダンシング・クイーン」は彼らを代表する大ヒット曲となりました。たしかに、この曲も好きでしたし、そのほかにもいい曲をたくさん世に出してきました。
でも僕が一番好きなのは、今日紹介している「悲しきフェルナンド」ですね。一番はアグネッタの可愛さ!・・・ではなくて、この曲の持つもの悲しい雰囲気ですかね。当然歌詞なんかわかっちゃなかったですけど、やはり音楽はそれでも共感することができますから凄いです。あれから50年弱が経過しましたが、心に残っているのは、こちらの「悲しきフェルナンド」なんです。では解説に行きます!
世界を魅了した旋律の裏側――「悲しきフェルナンド」が刻んだ時代
1970年代半ば、ポップミュージックはグローバルな舞台で新たな隆盛を迎えていました。その中心にいたのが、スウェーデン発のポップグループABBA(アバ)です。1976年にリリースされた「悲しきフェルナンド(Fernando)」は、ABBAにとっても重要な転機となった作品であり、単なるラブソングの域を超え、戦争や記憶、友情といった普遍的テーマを描いたバラードとして高く評価されています。

1976年:歴史と音楽が交差した年
世界情勢と文化の動向
1976年は、冷戦の影響が色濃く残る一方で、欧米では文化的自由が広がり、多様な音楽スタイルが誕生していました。ディスコ、パンク、プログレッシブロックなど、ジャンルの多様化が進むなかで、ABBAは独自の洗練されたポップサウンドを世界に届けていました。
日本の音楽と若者文化
一方日本では、高度経済成長を経て消費文化が成熟期を迎えており、テレビやラジオといったメディアを通じて海外の音楽が広く浸透していきました。洋楽への関心が高まり、ABBAのような洗練された海外アーティストが次々と注目される土壌が形成されつつあったのです。
楽曲の魅力:メロディーと歌詞の調和
幻想的な旋律と感情のうねり
「悲しきフェルナンド」のイントロを彩るアコースティックギターは、聴く者を物語の世界に優しく誘います。穏やかでありながらも内面に強い情熱を秘めたメロディーは、楽曲全体に叙情的なトーンを与えています。
戦争と友情を描いた歌詞
英語版の歌詞は、メキシコ革命時代の元戦士たちが過去を回想する内容です。「かつての星降る夜に感じた、あの熱情は今どこに?」という心の声が響くように、過ぎ去った時間への郷愁と葛藤を歌っています。特定の出来事を描写するのではなく、抽象度を高めることで、リスナー一人ひとりが自らの感情と重ね合わせられるような構成になっています。

メンバー4人が織りなす音楽の奇跡
個性と調和の美学
ABBAは2組のカップル、アグネタ&ビョルン、フリーダ&ベニーによって構成されており、それぞれが異なる音楽的背景と個性を持っていました。「悲しきフェルナンド」では、フリーダの低音が物語の語り手としての役割を果たし、ベニーとビョルンの作曲センスが楽曲全体の構造を支えています。アグネタのコーラスが楽曲に空間的な広がりを加えている点も見逃せません。(コーラスが更にこの曲に輝きを与えていますね!)

世界を席巻した「悲しきフェルナンド」
驚異的なチャート記録
1976年3月にリリースされたこの曲は、イギリスでは14週間にわたりトップチャートにランクインし、オーストラリアでは14週連続1位を記録。全世界での売上枚数は1000万枚以上とされ、ABBA最大のシングルヒットのひとつとなりました。
日本での受け止められ方
日本ではオリコンチャートで大ヒットとはならなかったものの、ラジオ番組や音楽雑誌で徐々に注目を集め、ABBAファンの間では“隠れた名バラード”として知られる存在になりました。(僕もその一人なんでしょうね)
日本におけるABBAの存在感
洋楽ブームとABBAの台頭
1970年代後半の日本では、ニューミュージックの流行と並行して洋楽ブームが巻き起こっていました。ビートルズやカーペンターズに続く形で、ABBAの楽曲も人気を集め、とりわけ女性ファンの支持が厚かったことが知られています。

日本音楽界への間接的影響
ABBAの明瞭なメロディーラインとコーラスワークは、日本の音楽プロデューサーたちにも影響を与えました。直接的な模倣ではなく、ポップスの構成や音作りに対する考え方に、間接的にインスピレーションを与えていたといえるでしょう。
後世に受け継がれる遺産
映画での再評価とカバー
2018年には、映画『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』の劇中で、シェールがこの曲をカバーし話題となりました。新たな世代にも届いたことで、「悲しきフェルナンド」は再び脚光を浴びました。
エンターテインメントと詩情の融合
戦争の記憶と友情という重たいテーマを、軽やかで繊細なメロディーに乗せて描いた「悲しきフェルナンド」は、ABBAの中でも特に文学的な深みを持つ作品です。メッセージ性と娯楽性を両立させた稀有な一曲といえるでしょう。
終わりに:時を超えて響く旋律
「悲しきフェルナンド」は、1976年という時代の空気を内包しながらも、普遍的なテーマを描き出したバラードとして、今なお色褪せることのない存在です。メンバーそれぞれの個性と、楽曲に込められた誠実なメッセージ性が融合したこの曲は、国境を越えて人々の心に届き続けています。

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