歌が国境を越え、時代を揺るがした物語
フォークルと『イムジン河』の真実
【6月19日】は、北山 修の誕生日-『イムジン河』
6月19日は、作詞家にして精神科医、そしてフォークシーンの革新者でもあった北山修氏の誕生日です。1946年に福岡で生まれた彼は、京都大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズ(通称:フォークル)の一員として頭角を現し、1960年代の音楽界に鮮烈な足跡を残しました。
彼の代表作である『戦争を知らない子供たち』『悲しくてやりきれない』などは、単なる青春の賛歌ではなく、鋭い社会批評や普遍的な人間の感情を内包するものでした。北山の言葉は詩的でありながらリアルで、人々の「心の奥」に静かに届く力を持っていました。その感性は、のちに精神科医としての活動にも通じるものであり、作詞と臨床という異なる領域をつなぐ独自の道を歩んだ人物です。
まずはYoutube動画の公式動画からどうぞ!!
🎵 クレジット(公式情報)
🎧 公式動画クレジット
ザ・フォーク・クルセダーズ – イムジン河(2017 REMASTER)
配信元:ザ・フォーク・クルセダーズ - トピック(公式アーティストチャンネル)
提供:CRIMSON TECHNOLOGY, Inc.
著作権:© フジパシフィックミュージック
リリース日:2017年11月1日
📝 2行解説
朝鮮半島の分断というテーマを歌った、フォークルによる問題作であり名作。放送禁止を経て再評価されたこの楽曲は、北山修による訳詞で深い余韻を残す。
🎵 クレジット(公式情報)(ライブ盤です)
タイトル: イムジン河
アーティスト名義: Kitayama Osamu・Sakazaki Kounisuke・D50 ShadowZ
配信提供元: Provided to YouTube by Rightsscale
リリース元: TENMAYA
アルバム: 有終の美 in Tokyo
リリース日: 2012年4月11日
YouTube公開日: 2020年4月17日
2行解説
『イムジン河』北山修・坂崎幸之助・D50 ShadowZによるライブ音源。2012年のステージ「有終の美 in Tokyo」より収録された正式ライセンス版です。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1968 (発売中止) | 1987 | |||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、恐らくですが、1987年の LP『ザ・フォーク・クルセダーズ大全集』が発売された以降だと思います。当初の発売予定が政治的判断も含め、発売中止となったため、正式にはテレビやラジオではほぼ聴かれなかったとされています。正式にレコードとして発売されたのが、1987年という訳ですね。
当時(僕が20代後半)は、よく会社の仲間内で飲みに行きましたが、いつ頃からかスナックなどで僕も歌うようになった曲です。哀愁のあるメロディーと歌詞が良かったのでしょう。
解説にて発売中止については触れていますので、そちらをご覧ください。
ザ・フォーク・クルセダーズと『イムジン河』
1967年、京都の学生3人によって結成されたザ・フォーク・クルセダーズは、突如として日本の音楽シーンに登場し、実験精神と風刺、そして深い情緒を併せ持ったスタイルで一世を風靡しました。そんな彼らの代表曲のひとつが、今日取り上げる『イムジン河』です。

原曲『リムジンガン』の背景
この歌は、北朝鮮で制作された『リムジンガン(この歌は、北朝鮮で制作された『リムジンガン(\u 림진강)』という楽曲を原曲とし、日本語詞は松山猛が手がけました。松山は、朝鮮学校に通う友人からこの美しいメロディーを教わり、その情緒に強く惹かれます。原曲に宿る「分断された祖国への想い」に共鳴した松山は、単なる翻訳ではなく、自らの言葉で再解釈する形で詞を完成させました。
歌の普遍性を求めて
松山のアプローチは、イデオロギーを超えて「人間の情感」をすくい上げるものでした。分断国家の悲しみは、特定の地域の問題ではなく、世界中のあらゆる「分断された心」に響く普遍的なテーマとして描かれました。そして、この詞が託されたのが、当時まだアマチュアだったフォークルの3人、北山修、加藤和彦、平沼義男だったのです。
彼らはこの曲をライブのレパートリーに加え、自主制作盤に収録。その後、深夜ラジオから火がついた『帰って来たヨッパライ』(僕が小学生の時でしたが、あまりの愉快さを今でもよく覚えています!)をが話題を呼び、フォークルは一気にプロの舞台へと進出します。その記念すべきメジャーデビューシングルのB面に選ばれたのが、『イムジン河』でした。(・・・・ところが。。。)

『イムジン河』が語るものとは何か
歌詞に込められた風景と願い
イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
冒頭の一節は、静かに美しく流れる川と、その上を飛ぶ水鳥の自由な姿を描いています。ここには、国境を無視して自由に飛び交う鳥たちと、それを見上げる人間の「不自由」が対比的に描かれています。まさに、自然と人間の「隔たり」を浮き彫りにする冒頭です。

我が祖国 南の地 おもいははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る
ここでは、北にいる者が南を想う視点が示され、政治や制度に翻弄されながらも、心だけは境界を越えて自由であろうとする姿勢が表現されています。
素朴な問いが持つ力
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
だれが祖国を 二つにわけてしまったの
誰が祖国をわけてしまったの
この最後の問いかけは、特定の政治体制や権力を糾弾するものではありません。「誰が」という問いは、ある種の哲学的な響きを持ち、聴く者に「本当の問題の本質は何か」を投げかけます。
封印された名曲と、いま再び響く問い
発売中止という悲劇と伝説化の軌跡
1968年2月、『帰って来たヨッパライ』のB面曲としてリリース予定だった『イムジン河』。しかしその直前、発売は突如中止となりました。原因とされているのが、在日本朝鮮人総聯合会からレコード会社への申し入れです。
この申し入れに対し、当時のレコード会社は政治的な対立の火種になることを恐れ、自主的に「発売中止」という判断を下しました。これは明確な検閲ではなく“自主規制”という形でしたが、実質的には「政治によって音楽が封じられた」事件として、多くの批判と波紋を呼びました。

幻となった名曲とフォークルの矜持
フォークルの活動は、他のグループ・サウンズやアイドル的バンドとは一線を画していました。音楽を「商品」ではなく「表現」として捉え、内省とユーモア、政治と詩情を併せ持ったグループだったのです。
そんな彼らの中でも、北山修はとりわけ「人間の内面」を深く掘り下げる姿勢を貫いていました。後に精神科医となった彼が、この曲に強く共鳴していたのは自然な流れだったのかもしれません。
現代にこそ響く“だれが分けてしまったのか”
『イムジン河』が描いた「国家による分断」は、朝鮮半島の歴史だけに留まりません。経済格差や差別、分断的言説が蔓延する現代社会においても、「だれが祖国を分けてしまったのか」という問いは、より普遍的なものになっています。

この曲は、そんな現代の私たちにも改めて「越境するまなざし」を取り戻させてくれるのではないでしょうか。水鳥のように、自由に空を行き交う存在であるためには、まず自らの「内なる分断」に気づき、問い直すことが必要なのです。
北山修のまなざしと、『イムジン河』が示す希望
北山修氏は、作詞家としても精神科医としても、「人間のこころ」に対して誠実であろうとし続けました。誰かを断罪するでも、何かを声高に主張するでもなく、「人が人として傷つくとはどういうことか」を見つめてきた人物です。

彼がこの曲をフォークルの一員として歌おうとしたのは、偶然ではなく、時代の空気を超えた「祈り」だったのかもしれません。
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