【5月31日】は、田村明浩の誕生日
5月31日は、スピッツのベーシストでリーダーの田村明浩さんの誕生日です。
1967年生まれ、静岡県藤枝市出身の田村は、1987年にスピッツを結成し、1991年にメジャーデビュー。ライブでは激しいアクションとエネルギッシュなパフォーマンスで知られ、ファンからは「田村ダンス」として親しまれています。また、スティーヴ・ハリス(アイアン・メイデン)やジョン・エントウィッスル(ザ・フー)から影響を受けたベースプレイで、スピッツの音楽に独自の魅力を加えています。
趣味はサッカー観戦(藤枝出身なら当然でしょうね!)や競馬、カレー好きとしても知られ、ステージ上の熱い姿とは対照的に、親しみやすい人柄で多くのファンに愛されています。
まずはYoutube動画の公式動画からどうぞ!!
【クレジット】
曲名:空も飛べるはず(Soramo Toberuhazu)
アーティスト:スピッツ(Spitz)
作詞・作曲:草野正宗
編曲:スピッツ & 笹路正徳
リリース:1994年4月25日(8thシングル)
提供元:spitzclips(公式YouTubeチャンネル)
【2行解説】
淡い恋心と希望を優しく包む「空も飛べるはず」は、スピッツの代表作として世代を越えて愛される名曲。透明感のあるメロディと繊細な詩世界が、90年代J-POPの象徴的バラードとなっています。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1994 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、依然ご紹介した「ロビンソン」と同じ仕事漬けの日々の中でのこと。リリースは、「空も飛べるはず」が1年先です。
こうしたすんなりとはいってくるような曲が疲れた体と心には良かったのかもですね??
「ロビンソン」の時のような驚きはありませんでしたが、”このバンド、、、もっと来るだろうな”って予感はしました。
「空も飛べるはず」・・・僕の最初の夢は「パイロット」になること。男性は空を飛びたくなるもんなんですよ。「パラグライダーをしたことある」レベルですが、僅か20秒でも、30秒でも空に浮かんだ時の浮遊感は、たとえようもない程爽快そのものでした。今後は、年がら自分が空を飛ぶのではなく、ドローンで空撮したいと思っております(>_<)
はじめに:心を解き放つ第一音 スピッツ『空も飛べるはず』
1994年4月25日にリリースされたスピッツの代表曲「空も飛べるはず」は、30年の時を経た今もなお、聴く者の心を優しく包み込む名曲です。未来への希望を羽ばたかせるような軽やかなメロディーと、繊細な情感が込められた歌詞が見事に調和し、世代を超えて愛され続けています。本記事では、リリース当時の時代背景、音楽的構造、そして現在における再評価までを、丁寧に紐解いていきます。

スピッツという存在:詩と音の職人たち
スピッツは1987年に結成された4人組ロックバンドで、メンバーは草野マサムネ(Vo/G)、三輪テツヤ(G)、田村明浩(B)、崎山龍男(Dr)。1991年にメジャーデビューを果たし、当初はパンクやガレージロックに近い音楽性を志向していました。しかし次第にポップ路線へと舵を切り、1994年のアルバム『Crispy!』でその変化は明確になります。
草野の詞世界は、日常の機微を詩的に切り取ることに長けており、その淡くも深い表現力は唯一無二です。彼の作る言葉と旋律は、聴く者の記憶と感情に静かに寄り添い、スピッツの音楽が特別である理由を物語っています。
リリース当時の風景:1994年の社会と文化
日本の社会情勢と文化の潮流
1994年の日本は、バブル崩壊後の不安定な時期にありつつも、文化面では多様な価値観が育まれていました。家庭用パソコンの普及と共にインターネット接続環境が整い始め、ISDNサービスの提供が始まったのもこの頃です。音楽業界ではCDシングルの販売がピークを迎え、多くの若者が音楽を通じて感性を育てていました。

また、ジブリ作品『もののけ姫』の制作が進行し、アニメーションの可能性にも期待が高まっていました。そんな時代に、「空も飛べるはず」は静かに、しかし確かに聴く人の心へ届いていったのです。
海外の音楽シーンとの対比
同時期の海外では、グランジ・ロックが頂点を迎えた後、ポスト・グランジやブリットポップが台頭。パール・ジャムやアリス・イン・チェインズが人気を博し、イギリスではオアシスの「Live Forever」や「Supersonic」が注目を集めていました。世界のロックシーンが激しさや破壊力を重視する中で、「空も飛べるはず」のような静けさと透明感を持った楽曲は、逆に新鮮に映ったのです。
『白線流し』との結びつき:楽曲の再評価
「空も飛べるはず」は当初、1994年4月にシングルとして発売され、オリコンチャートでは最高3位を記録しました。その後、1996年に放送されたテレビドラマ『白線流し』の主題歌に起用されたことで、再び注目を集めます。ドラマのストーリーと楽曲の世界観が絶妙に合致し、幅広い世代に響きました。

再リリース後、チャートでの再浮上を果たし、最終的にはミリオンセールスを記録。スピッツにとっても、広く一般に知られる契機となる大きな転機となったのです。
音の構造:楽曲が描く空の広がり
親しみやすく奥深いコード進行
本曲のコード進行は、C–G–Am–Fという極めてスタンダードな組み合わせですが、その上に乗るアレンジが、シンプルな旋律に奥行きをもたらしています。アコースティックギターの優しいアルペジオが曲の冒頭を飾り、まるで雲の切れ間から陽が差すような感覚を与えます。
ストリングスがもたらす広がり
サビでふわりと立ち上がるストリングスは、まさに「空へ舞い上がる」感覚を視覚化するような存在です。ギターとストリングスが溶け合うことで、単なるバンドサウンドにとどまらない立体的な音像が形成されています。

ピアノの余韻
間奏で登場する控えめなピアノもまた、夢想的な雰囲気を引き立てています。これらの要素が織り成す音世界は、聴くたびに新しい情景を想像させる力を持っています。
歌詞とボーカル:言葉が運ぶ感情
草野マサムネの歌声の特徴
草野のボーカルは、あえて過剰に感情を込めすぎず、リスナーの想像力を残すように歌い上げます。そのバランス感覚こそが、スピッツの世界観を成立させる大きな要因です。
歌詞が描く世界観
「空も飛べるはず」というフレーズには、誰もが一度は心に抱いた自由や希望のイメージが込められています。まるで抑え込んできた感情が一気に解き放たれるようなこの一節は、リスナーの心の奥底にそっと触れてくる力を持っています。
楽曲全体を通して、挫折や迷いと向き合いながらも、もう一度前に進もうとする意志がにじみ出ています。とくに「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる」や、「夢を濡らした涙が海原へ流れたら」といった表現は、過去の痛みと未来への希望を行き来する感情を詩的に描いています。

比喩を交えた柔らかな言葉選びと、あえてすべてを語りすぎない余白のある描写には、スピッツ特有の詩的感性が感じられます。それぞれの聴き手が、自分自身の物語を重ね合わせられる懐の深さも、この曲の魅力のひとつです。
音楽ムーブメントの中の位置づけ
90年代半ばは、小室哲哉を中心とするプロデュース作品がチャートを席巻し、globe(大分県出身!)、安室奈美恵、TRFなどが圧倒的な人気を誇りました。また、X JAPANやL’Arc〜en〜Cielといったビジュアル系バンドの台頭もあり、日本の音楽は華やかさと激しさを競い合っていた時代です。

その中でスピッツのような“素朴で内省的”なバンドが成功したことは、非常に特異な事例でした。派手な演出や衣装に頼らず、普遍的な感情を丁寧に歌い上げる姿勢が、多くの共感を呼んだのでしょう。
次世代への受け継がれ方:カバーとバズの波
ねごとによるカバーと映画『トリガール!』
2017年、ガールズバンド・ねごとによるカバーが映画『トリガール!』の主題歌として使用されました。主演の土屋太鳳さんが出演したMVはYouTubeでも話題となり、若い世代に新しい形で「空も飛べるはず」が届きました。
📝 クレジット表記
🎥 映画『トリガール!』公開記念特別映像
提供元:YouTube公式チャンネル「博報堂DYミュージック&ピクチャーズ」
TikTokとYouTubeでの再注目
さらに2020年代に入り、TikTokやYouTubeでのカバー動画や演奏動画が拡散され、原曲の持つ普遍性があらためて認識されています。特に草野の声やメロディーは、短尺の動画文化にも自然にフィットし、次世代の音楽ファンにも響いているのです。
終わりに:空を見上げる、そのときに
「空も飛べるはず」は、どこまでもやさしく、しかし力強く「もう一度、歩き出そう」と語りかけてくれる楽曲です。社会が変化しても、音楽が果たす役割は変わりません。困難な状況の中でも、自分の心を信じて進んでいくすべての人にとって、この曲はいつでもそっと背中を押してくれる存在であり続けるでしょう。
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