【3月19日】はデレク・ロングミュアーの誕生日:『イエスタデイズ・ヒーロー(Yesterday’s Hero)』(ベイ・シティ・ローラーズ)を紹介!

Bay City Rollers

デレク・ロングミュアーの誕生日を祝う

今日は、スコットランド出身のドラマー、デレク・ロングミュアー(Derek Longmuir)の誕生日です。1951年3月19日にエディンバラで生まれた彼は、1970年代に世界的な人気を誇ったポップロックバンド、ベイ・シティ・ローラーズのオリジナルメンバーとして知られています。デレクは兄のアラン・ロングミュアー(ベース)と共にバンドを結成し、タータンチェック柄の衣装とキャッチーなメロディーで「ローラーマニア」と呼ばれる熱狂的なファンベースを築きました。1971年のデビュー曲「朝まで踊ろう(Keep on Dancing)」からスタートし、1975年の「バイ・バイ・ベイビー」や1976年の「サタデー・ナイト」などで全英1位を獲得。デレクは1980年代半ばに音楽活動から退き、看護師として第二の人生を歩みましたが、ベイ・シティ・ローラーズのドラマーとしての功績は今も語り継がれています。

「デレク・ロングミュアーの若き日」1970年代のデレクがドラムを叩く姿。タータンチェックが映える。
「デレク・ロングミュアーの若き日」1970年代のデレクがドラムを叩く姿。タータンチェックが映える。

『イエスタデイズ・ヒーロー(Yesterday’s Hero)』(Bay City Rollers)

まずは、公式音源でお聴きください。

🎵 公式クレジット
「Yesterday’s Hero」– Bay City Rollers(ベイ・シティ・ローラーズ)
収録アルバム:Collections
© 1976 Arista Records LLC

📝 2行解説
一時代を築いたアイドルバンドが“過去の栄光”をテーマに歌ったナンバー。
華やかさの裏にある孤独とプライドをロック調で表現した、後期ローラーズの象徴的な一曲です。

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・

My Age 小学校中学校高校大学20代30代40代50代60才~
曲のリリース年1976
僕が聴いた時期

僕がこの曲を初めて聴いたのは、リリース当時だと思います。

この頃は、趣味は音楽で部活はサッカーという毎日。ついでに勉強という時期だったので、ほぼリリース時に聴いています。今だから言えますが、ベイ・シティ・ローラーズは女性のファンばかりという感覚だったので、男性の僕が人前でこの曲いいぞ!なんて当時は言えませんでした。

そんな男性いませんかね??? 僕もベイ・シティ・ローラーズのファンだったわけではありませんが、何曲か好きな曲はありましたね。その中でダントツがこの『イエスタデイズ・ヒーロー(Yesterday’s Hero)』だったのです。ちゃちなポップスではなく、結構いけてるロックの印象があり、リピート聴きしてました。他のヒット曲とは一味違う・・・と思っている曲です(=^・^=)

ベイ・シティ・ローラーズ – 1970年代のアイコン

ベイ・シティ・ローラーズは、1965年に「サクソンズ」として結成され、1968年に現在のバンド名に改名。デレクとアラン兄弟を中心に、エディンバラの地元で活動を始めました。マネージャーのタム・ペイトンによるプロデュースで、1974年にレスリー・マッコーエン(ボーカル)、エリック・フォークナー(ギター)、スチュアート・ウッディ・ウッド(ギター)を加えた5人編成が完成し、本格的なブレイクを迎えます。バンド名は、アメリカ地図にダーツを投げた結果「ベイ・シティ(ミシガン州)」が選ばれたというユニークなエピソードが残っています。ほんとかーい??)

『イエスタデイズ・ヒーロー』は、1976年のアルバム『青春に捧げるメロディー』に収録され、ティーンアイドルの儚さを歌ったこの曲が彼らの多様なレパートリーを示しました。

「ベイ・シティ・ローラーズの全盛期」 1970年代のライブでタータンチェックを着たメンバーの姿。
「ベイ・シティ・ローラーズの全盛期」 1970年代のライブでタータンチェックを着たメンバーの姿。

『イエスタデイズ・ヒーロー』の誕生とその魅力

『イエスタデイズ・ヒーロー(Yesterday’s Hero)』は、元々オーストラリアのジョン・ポール・ヤングが1975年にリリースした曲で、ジョージ・ヤングとハリー・ヴァンダによる作詞・作曲です。ベイ・シティ・ローラーズは1976年にこの曲をカバーし、アルバム『青春に捧げるメロディー』に収録。シングルとしても各国でリリースされ、日本では「ロックン・ローラー」をB面に収めた盤が人気を博しました。曲は、ポップスターの栄光と衰えの儚さを描き、「We don’t wanna be a yesterday’s hero」と歌う歌詞が、当時絶頂期だったローラーズ自身への皮肉とも取れる内容です。デレクのドラムは、リズミカルなビートで曲に勢いを与え、レスリーのボーカルが情感を加えています。

時代背景と音楽シーン – 1976年の世界

1976年は、ディスコブームが世界を席巻し、「ダンス・フィーバー」が若者文化を支配していました。アメリカではビージーズの「悲しき恋の物語」が大ヒットし、日本でもキャンディーズやピンク・レディーがアイドルとして台頭。ベイ・シティ・ローラーズは、このディスコ全盛期に独自のポップロックスタイルで存在感を示し、特にヨーロッパや日本で爆発的な人気を獲得しました。『イエスタデイズ・ヒーロー』は、アイドルとしての地位の移り変わりを予見するようなテーマが、当時の若者に共感を呼び、ラジオやテレビで頻繁に流れました。バンドのタータンチェックブームはファッションにも影響を与え、社会現象となりました。

「1976年のディスコダンスフロア」 カラフルな照明が輝くディスコの様子。時代を反映。
「1976年のディスコダンスフロア」 カラフルな照明が輝くディスコの様子。時代を反映。

音楽と歌詞の深み

『イエスタデイズ・ヒーロー』の魅力は、アップテンポなリズムと切ない歌詞のコントラストにあります。レスリー・マッコーエンの明るいボーカルが「I don’t wanna be a yesterday’s hero」と歌い、栄光の裏にある儚さを強調。デレクのドラムがビートを刻み、エリック・フォークナーのギターがメロディーに深みを加えます。原曲のジョン・ポール・ヤング版がハードロック調だったのに対し、ローラーズ版はポップにアレンジされ、ティーン向けに最適化されました。この曲は、アイドルとしての栄光とその終焉を予感させるもので、50年近く経った今もノスタルジーを呼び起こします。

文化的影響と現代への遺産

『イエスタデイズ・ヒーロー』は、ベイ・シティ・ローラーズの多様なレパートリーを象徴する一曲として、1970年代のポップカルチャーに大きな影響を与えました。カバーが各国でヒットし、日本では1977年頃までチャートに残るなど、長く愛されました。

『イエスタデイズ・ヒーロー』の今

『イエスタデイズ・ヒーロー』は、ベイ・シティ・ローラーズの黄金期を象徴する一曲であり、栄光と儚さのテーマが今も多くの人々に響きます。50年近く経った2025年現在、デレク・ロングミュアーの誕生日である3月19日に改めてその価値が注目されます。皆さんにとって、この曲はどんな思い出を呼び起こしますか?良かったらコメントで教えてください。次回の音楽特集もお楽しみに!

「夕暮れの街と『イエスタデイズ・ヒーロー』」 夕暮れ時のノスタルジックな街並み。雰囲気と何文字かわからん画像!このミスマッチ最高です!
「夕暮れの街と『イエスタデイズ・ヒーロー』」 夕暮れ時のノスタルジックな街並み。雰囲気と何文字かわからん画像!このミスマッチ最高です!

曲を初めて聴いたのは・・・♫

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