【6月16日】は、Char(チャー)の誕生日-『気絶するほど悩ましい』!
【医師家庭に育ったギター少年が“時代”を揺らす(音楽への情熱と逸脱する進路)
1955年6月16日、東京都品川区戸越に生まれたChar(チャー/本名:竹中尚人)は、眼科と耳鼻科を営む家庭に育ちながらも、音楽への情熱を抑えきれない少年でした。7歳からピアノを習い、10代でギターへと転向。父親が学業を心配して楽器を隠すほどにギターへの没入を深めていきます。

学歴や安定した職業ではなく、「音で生きる」道を選んだChar。そんな異端の選択が、日本音楽史において重大な足跡を残すことになるのです。
まずはYoutube動画の公式動画2本からどうぞ!!
タイトル:「気絶するほど悩ましい」 公演名:Char 45th Anniversary Concert Special at Nippon Budokan アーティスト:Char 公開先:YouTube公式「Char」チャンネル URL:https://www.youtube.com/watch?v=ow7aqWsyQSM 備考:2021年に行われた日本武道館での45周年記念ライブより収録された映像です。
タイトル:ZICCA PICKER 2016 Autumn Special DVD ~気絶するほど悩ましい
公開日:2017年1月12日チャンネル:Char Official / ZICCA
動画内容:ZICCA PICKER 2016 Autumn 全5公演Set購入特典DVDより収録
特設URL:http://handsome.xsrv.jp/zp2016/
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1977 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、リリース時の大学1年生の頃です。恐らくテレビ番組だったのではと思いますが、ラジオだったのかもしれません?? 最初耳にした状況はともあれ、バラードだけとロックを感じましたね。
日本のロックです。これまであまり馴染みのない感じ。18才の僕にはとてもカッコ良く映りました。とはいえ、それ以降も彼を追い変えたかと言えば「No」です。それ以降も活躍していたのは知っていますが、アルバム聴きはしていませんでした。
でも、この曲だけがそれ以降も何度聴いたかわからいくらい聴いています。今聴いてもカッコいいです。最初に紹介した動画はアンプラグドですが、これはこれでカッコいい。ギターも、歌もうまいぜ!!てな感じですね。
そして、2本目の動画はバックバンドが付き、これまた随分といい!! いいかんじです。(>_<)
若き天才が切り拓いた“歌謡ロック”の金字塔
Char「気絶するほど悩ましい」の深層を読み解く
1977年6月25日、当時22歳のChar(チャー/本名:竹中尚人)がリリースした「気絶するほど悩ましい」は、従来の枠組みを超えた異色のバラードとして、日本の音楽界に鮮烈な印象を残しました。歌謡曲とロックを巧みに融合させたこの一曲は、Charのキャリアの方向性を変えた重要な一歩となりました。、日本のポップシーン全体の“転換点”とも言える存在です。

阿久悠とChar――時代を見抜いた男たちの邂逅
「気絶するほど悩ましい」の魅力は、ロック色の強いCharと、昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠という意外性に満ちたコラボレーションにあります。
阿久悠は当時のCharについて、「粗削りながらもエンターテインメントの花を持つ存在」と直感し、計算された歌詞を提供。そこに作曲家・梅垣達志の手による、美しくもやや憂いを帯びたメロディが加わり、歌謡性とロック魂が絶妙に交錯する一曲が誕生しました。

この組み合わせは異色であるがゆえに、新しいリスナー層を掘り起こす原動力となり、30万枚以上というヒットへとつながりました。
“気絶するほど悩ましい”とは何か
言葉と旋律で描かれる情念の美学
鏡の中で口紅をぬりながら
どんな嘘をついてやろうかと考えるあなたは
気絶するほど悩ましい
阿久悠の詞世界は、単なる恋愛描写にとどまらず、女性の妖艶な計算と、翻弄される若者の心象風景を詩的に描き出します。

今日の私はとてもさびしいと目を伏せる
この一節における“目を伏せる”という動作ひとつで、聴き手は登場人物の心理を読み取り、共感の深みに誘われるのです。
一方、梅垣達志によるメロディにはビートルズの「While My Guitar Gently Weeps」のコード進行が取り入れられており、洋楽ファンの耳にも馴染む構成(納得です!)となっています。
時代のうねりと呼応した1977年の風景
ピンク・レディー、フォークからの移行、歌謡の多様化
1977年当時、音楽チャートを席巻していたのはピンク・レディーや山口百恵などのアイドル群でした。一方、河島英五「酒と泪と男と女」や石川さゆり「津軽海峡・冬景色」など、骨太な作品も健在。また、ニューミュージックという新しいジャンルが台頭し、歌謡曲・フォーク・ロックの枠が急速に曖昧になり始めた時代でもありました。
そんな混沌とした潮流の中で、「気絶するほど悩ましい」は、ロック出自のミュージシャンが“歌謡的美学”をまとって主流のステージに立つという新たな可能性を指し示しました。

Charが切り拓いた“歌うギタリスト”の道
演奏家としての矜持と、歌手としての誇り
本来はギタリストとしての腕前で評価を集めていたCharですが、この一曲で「歌手」としての存在感をも確立しました。
「逆光線」(1977年)、「闘牛士」(1978年)と続くシングル群は、いずれも阿久悠が詞を手がけ、Charの歌声と演奏に新たな表現領域をもたらしました。
その後、自身の理想を追求するように「SMOKY」や「LUCY」などよりハードな作品にも挑み、ギタリストとしての地位をより高みに押し上げていきます。
受け継がれる“ボーダーレス”の思想
歌謡とロックの融解、その先にあるもの
Charの「気絶するほど悩ましい」は、歌謡曲とロックを明確に区別していた当時の価値観に揺さぶりをかけました。これは、後にBOØWY、UNICORN、椎名林檎など、ジャンルの壁を越えて活動するアーティストたちにも通じる重要な足跡となります。
ギタリストが自ら歌うというスタイルに、ポップセンスを融合させた先駆例。まさに“境界線のない音楽”のあり方を、日本で最初に体現した曲とも言えるでしょう。
Charと阿久悠 ― 鮮やかな相乗効果
メロディの色気と、詞の強度
梅垣達志が紡いだ旋律には、甘さと危うさが共存しています。さらに阿久悠は、若者の煩悶を巧みに言語化し、「悩ましい」という一語に青春のすべてを封じ込めました。
この二人の力により、「気絶するほど悩ましい」は一過性のヒットではなく、今日にまで語り継がれる“文化的資産”へと昇華したのです。

今こそ聴き返すべき一曲
“悩ましさ”の本質が、ここにある
45年以上の歳月が流れても、この曲の“魅了する力”は衰えません。アナログな録音の質感、コード進行の洋楽的構造、歌詞の言葉選び――そのすべてが今も聴く者の心を揺さぶります。

現代においてこそ、この「気絶するほど悩ましい」の“時代を越える悩ましさ”は、より鮮明に響くのではないでしょうか。
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