ボーイ・ジョージについて詳しくは➡Wikipedia
今日6月14日は、ボーイ・ジョージの誕生日
ボーイ・ジョージ(Boy George、本名:ジョージ・アラン・オダウド)は、1961年6月14日、イギリス・ロンドン生まれのシンガーソングライター。1980年代にカルチャー・クラブ(Culture Club)のボーカルとして世界的にブレイクし、「カーマは気まぐれ(Karma Chameleon)」などのヒットで一世を風靡しました。中性的なファッションとソウルフルな歌声で注目を集め、以後もソロアーティストやDJとして活動を続け、今なお独自の存在感を放ち続けています。
今日の紹介曲:『 King Of Everything』-Boy George
まずはYoutube動画の(公式動画)からどうぞ!!
🎥 公式ミュージックビデオ クレジット
「King Of Everything」/Boy George(ボーイ・ジョージ)
公開日:2013年10月8日
配信元:Boy George 公式YouTubeチャンネル
📝 2行解説
深い後悔と再生への願いを綴った、ボーイ・ジョージのカムバック作。静かに燃えるような歌声と繊細な演出が、内面の葛藤を優しく照らし出す。
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫ | |||||||||
小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60代 | |
曲のリリース | 2013 | ||||||||
聴いた時期 | ● |
僕がこの曲と出会ったのは、今から12年ほど前のこと。福岡市西区にある病院へ出向していた頃でした。休日のある日、太宰府天満宮へ行こうと車を走らせていた時、カーラジオのFMからふと流れてきたのがこの曲です。
しゃがれたような独特の声に「どこかで聞いたことがあるような…?」と耳を傾けながらも、すぐには思い出せず。でも、なぜかとても惹かれるものがありました。音楽との出会いも一期一会。機会を逃すまいと迷わずiPhoneのShazamで検索。すると驚いたことに、あのボーイ・ジョージの曲だったのです。

メロディー、テンポ、声の質感――すべてが僕のど真ん中。とにかくカッコいい!というのが第一印象でした。正直、それまでの彼には「カーマは気まぐれ」くらいの軽い印象しか持っていませんでした。でもこの曲を聴いて印象が一変しました。「こんなに深く、うまく歌える人だったのか」と、静かに感動したのを覚えています。
ボーイ・ジョージというアーティストを、改めて見直すきっかけになった1曲。ぜひ多くの人に聴いてほしい、おすすめの一曲です。
激動の時を経て、再び音楽の舞台へ
そんな彼が、長い沈黙を破って発表したのが『This Is What I Do』(2013年)でした。このアルバムは、単なる音楽活動の再開ではありません。ドラッグを断ち、心身ともにクリーンになった彼が、自身の半生を冷静に見つめ直し、その痛みや後悔、そして未来への微かな希望を、ありのままの言葉と音で綴った「人間宣言」とも呼べる作品だったのです。その中で『King Of Everything』は、アルバムの核を成す楽曲として、彼の心境を最も深く、そして痛切に描き出しています。

楽曲『King Of Everything』の誕生秘話
この楽曲の深みは、才能豊かな制作陣との化学反応、そしてボーイ・ジョージ自身の痛切な自己省察から生まれています。
才能が集結した制作陣
特に重要な役割を果たしたのが、伝説的なポストパンクバンド、キリング・ジョークのベーシストであり、ザ・ヴァーヴの『アーバン・ヒムス』など数々の名盤を手がけてきたプロデューサー、Youth(マーティン・グローヴァー)です。Youthはダブやレゲエに深い造詣を持ち、そのプロダクションは楽曲にオーガニックなグルーヴと空間的な広がりを与えました。
彼はボーイ・ジョージのありのままの声を捉えることを重視し、過剰なエフェクトや修正を排して、歌が持つ生々しい感情を引き出すことに注力しました。この二人の出会いがなければ、『King Of Everything』の温かくも切ないサウンドは生まれなかったでしょう。
オーガニックなサウンドへの回帰
レコーディングはロンドンのスタジオで行われ、アナログ機材を多用し、生演奏の質感を大切に進められました。そこには、デジタル全盛の時代に対するアンチテーゼと、音楽が本来持つべき人間的な温もりを取り戻したいという強い意志が感じられます。

クリックにきっちり合わせるのではなく、ミュージシャン同士の呼吸や「揺らぎ」を大切にする。その結果、楽曲全体がまるで生き物のように呼吸し、聴き手の心に直接語りかけてくるような親密なサウンドが完成したのです。
歌詞の世界──“王”の孤独と再生
しかし、その栄華は長くは続かず、やがて彼はすべてを失い、「ただの孤独な男(just a lonely man)」になってしまいます。歌詞は、その栄光と転落のコントラストを冷徹なまでに描き出します。
かつては称賛を浴び、愛されていると信じていたが、それは虚像であり、人々が愛していたのは「王様」という役割に過ぎなかったのではないか。そんな痛みを伴う気づきが、楽曲全体を覆っています。
この歌詞が胸を打つのは、それが単なる後悔の念に留まっていないからです。そこには、自分の過ちや弱さを認め、それらすべてを抱きしめて生きていこうとする、成熟した人間の覚悟が滲み出ています。(ミュージックビデオで歌う、ボーイ・ジョージにそれを感じます!)

「どうか僕を許してほしい」という一節は、他者への許しを請うと同時に、過去の自分自身を許そうとする内なる対話のようにも聞こえます。これは、彼の人生における最もパーソナルな告白であり、リスナーが自身の人生における後悔や過ちと重ね合わせることができる、普遍的な物語でもあるのです。
サウンドの深淵を探る — 音楽的分析
年齢を刻んだ声 — ボーカル表現の進化
この曲で聴けるボーイ・ジョージの声は、80年代のカルチャー・クラブ時代とはまったくの別物です。かつての甘く中性的なハイトーンボイスは影を潜め、代わりに現れたのは、深みと渋みを増したバリトンボイスです。(上手いです。しびれます。彼のハスキーボイスがこんなに深みがあることに驚きです!)

長年の喫煙や人生の苦悩が刻み込まれたその声は、ザラついたハスキーな質感を持ちながらも、不思議なほどの温かさと包容力を湛えています。
彼はもはや、技巧をひけらかすように歌いません。一つひとつの言葉を噛みしめるように、感情の機微を繊細にコントロールしながら、まるで聴き手に語りかけるように歌います。
特に「I was king of everything(かつてはすべての王だった)」と歌うパートの虚勢と、「Now I’m just a lonely man(今ではただの孤独な男)」と続くパートの諦念が入り混じった弱々しさの対比は見事です。声そのものが彼の人生の物語を雄弁に物語っており、これこそが年齢を重ねたアーティストだけが到達できる表現の境地と言えるでしょう。
レゲエとソウルが溶け合う、円熟のアレンジメント
楽曲の土台を築いているのは、ゆったりとしたレゲエのグルーヴです。しかし、単なるレゲエではなく、ダブの空間処理、ゴスペルの影響を感じさせるコーラス、そしてクラシックなソウルミュージックの香りが随所に散りばめられています。(ホントに良い曲です!!!)

心地よいグルーヴを生むリズムセクション
リッチー・スティーヴンスが叩くドラムは、リラックスしていながらも的確にビートの芯を捉え、曲に安定した推進力を与えています。それに絡みつくベースラインは、シンプルでありながら非常にメロディアスで、楽曲全体の心地よい「揺れ」を生み出しています。
この地に足のついたリズムセクションがあるからこそ、ボーイ・ジョージの感傷的なボーカルが宙に浮くことなく、確かな説得力を持って響くのです。
温かみを添えるホーンと鍵盤
ホーンセクションは控えめながらも楽曲に輝きを加え、鍵盤は柔らかなパッドのように背景を支える存在となっています。それぞれが主張しすぎることなく、あくまでボーカルと調和することで、全体に洗練された空気感をもたらしています。
栄光と挫折──アイコンの人間宣言
彼の告白は、ファン自身の人生における後悔や失敗を肯定し、「それでも生きていける」という静かな勇気を与えてくれます。
SNSなどを通じて、ファンからは「あなたの正直さに救われた」「この曲は私の人生の歌だ」といった声が数多く寄せられました。それは、スターとファンという一方的な関係ではなく、同じ時代を生きる人間同士の魂の交流であり、新たな絆が生まれた瞬間でした。

ポップミュージックの世界では、しばしば強さや成功、自信が称賛されます。しかし、ボーイ・ジョージは『King Of Everything』で、その対極にある「弱さ」「後悔」「孤独」を歌い上げました。
LGBTQ+の権利がまだ確立されていなかった時代から、ジェンダーの壁を壊し続けてきた彼が、今度は「完璧なアイコン」という鎧を脱ぎ捨て、自らの脆弱性を曝け出したのです。
その勇気ある行為は、現代社会に生きる私たちに重要なメッセージを投げかけます。失敗を恐れず、自分の弱さを認めること。それこそが、真の強さに繋がるのではないか。
かつて世界の王様だった男が歌うこの鎮魂歌は、時を超えて多くの人々の心に寄り添い続ける、普遍的な力を持っているのです。
楽曲『King Of Everything』の意訳
『King Of Everything』―
かつて私は、世界のすべてを支配する王だった。
喝采を浴び、愛を信じ、この手のひらで何もかもが動くと信じていた。
きらびやかな玉座に腰かけ、人々が捧げる偽りの言葉に酔いしれていた。
あの頃の私は、若く、愚かで、傲慢な王だったのだ。
だが、風向きは変わり、宴は終わった。
気づけば城は崩れ落ち、私に従う者は誰もいない。
今、私はただの孤独な男。がらんどうの部屋で、過ぎ去りし日々の幻影を抱きしめている。
君が愛してくれたはずの、あの日の私を裏切ったことを。
そして、この愚かな男が、もう一度歩き出すことを許してほしい。
王冠を脱ぎ捨て、空っぽになったこの心に、何か新しい歌が生まれるのを待ちながら。
すべてを失った今だからこそ、見える景色がきっとあるはずだから。
by Ken

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