🎹今日はボノ (Bono)の誕生日
🎤 ボノ(Bono)――魂のこもった声と社会的使命感を併せ持つロックシンガー
本日5月10日は、U2のリードシンガー、ボノ(Bono)の誕生日です。
本名はポール・デヴィッド・ヒューソン(Paul David Hewson)。1960年、アイルランド・ダブリン生まれ。

1976年、16才の時同級生たちとU2を結成して以来、魂のこもった歌声と詩的で社会性のある歌詞で世界中の人々を魅了してきました。
代表曲には「With or Without You」「One」「Sunday Bloody Sunday」などが挙げられますが、とりわけ**「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」**は、信仰・探求・葛藤といったテーマをゴスペル調のサウンドに乗せ、U2の“スピリット”を象徴する傑作として今なお多くの共感を集めています。
また、ボノは音楽活動にとどまらず、貧困・エイズ・人権問題に取り組む国際的な活動家としても知られています。各国の指導者との対話やNGO設立など、音楽の枠を超えて世界に影響を与える数少ないアーティストの一人です。
まずはYoutubeの公式動画をご覧ください。
🎥 クレジット
タイトル:U2 - With Or Without You (Official Music Video)
公開日:1987年3月
監督:マイアート・アヴィス(Meiert Avis)
撮影地:アイルランド・ブレイのアードモア・スタジオ
制作:マイケル・ハムリン、ポール・スペンサー
備考:マット・マハリン(Matt Mahurin)による追加映像も使用
✍️ 解説
1987年に公開されたこのミュージックビデオは、U2の代表曲「With Or Without You」の象徴的な映像作品です。アイルランドのアードモア・スタジオで撮影され、マイアート・アヴィス監督による映像美が楽曲の情感を引き立てています。
🎥 クレジットU2 - With Or Without You (U2 At The BBC)
配信元:BBC Music 公式チャンネル
公開日:2017年12月20日
視聴回数:3億2932万回以上(※2025年5月時点)
✍️ 解説
ロンドンのアビイ・ロード・スタジオで収録された、BBC特番のためのスペシャル・パフォーマンス。オーケストラとの共演により、「With Or Without You」が荘厳かつ新鮮な響きを纏って再構築されている。
僕がこの曲を初めて聴いたのは
My Age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60才~ |
曲のリリース年 | 1987 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、30才直前の1987年だと思います。
同年3月までは大分市内勤務でしたが、4月からは福岡県の北九市小倉(住まいは門司港)へ異動となっていますので、大分で聴いたのか門司港で聴いたのかはさすがに覚えておりません。
後述していますが、同年3月9日にリリースされた5枚目のスタジオアルバム『The Joshua Tree』にこの「With Or Without You」がA面3曲目に収録されており、そして甲乙つけがたい名曲『I Still Haven’t Found What I’m Looking for』が2曲目に入っているという超豪華版です。
以前、『I Still Haven’t Found What I’m Looking for』は紹介していますので、今日は「With Or Without You」という訳です。どちらもとても大好きな楽曲です。
愛と葛藤の狭間で──1987年、世界を揺るがしたU2の決定打
U2の「With or Without You」は、1987年3月21日にシングルとして発売され、同年3月9日にリリースされた5枚目のスタジオアルバム『The Joshua Tree』に収録されています。この曲はU2にとって初の全米ビルボードHot 100チャート1位獲得作となり、3週連続でその座を守りました。フロントマンのボノによる内省的で情熱的なボーカルと、エッジによる革新的なギターサウンドが特徴で、世界中のリスナーの心を捉えました。本稿では、1987年の時代背景とU2の音楽的進化、そしてこの曲がなぜ特別なのかを掘り下げていきます。

世界が揺れた1987年──冷戦の終盤と文化の転換点
1987年、アメリカではロナルド・レーガン大統領が戦略防衛構想(SDI)を推し進め、ソビエト連邦との間に緊張感が漂っていました。一方で東西冷戦の終息に向けた対話も進行し、同年12月にはレーガンとゴルバチョフによる中距離核戦力全廃条約(INF条約)が締結されるなど、世界は変革の過程にありました。
イギリスではサッチャー政権による経済自由化政策が社会格差を拡大させる一因となり、労働者層の不満が噴出していました。日本ではバブル経済が本格化し、株価と地価の高騰が社会現象となりました。(僕は仕事柄この時代をよく記憶しています。個人が借金してでも株を買えば、それだけで儲かるといった異常な状況にありました。) 4月には消費税の導入が決定し、国民の生活感覚にも変化が生じ始めていました。
同年、U2は初の日本公演を行い、10月の武道館ライブでは1万人超の観客を熱狂させました。演奏中に感極まったボノが涙したというエピソードもあり、彼らの真摯な姿勢がファンの心を強く打ちました。
ロックが描いた音の多様性──1987年の音楽地図

1987年の音楽シーンは、ジャンルの越境と融合が進んだ多彩な一年でした。アメリカでは、ガンズ・アンド・ローゼズが『Appetite for Destruction』で鮮烈なデビューを飾り、ロックに荒々しい原点回帰をもたらしました。一方でデペッシュ・モードの『Music for the Masses』が、ダークで構築的なシンセ・ポップの可能性を示します。
イギリスでは、ザ・キュアーの『Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me』がゴシックロックに官能性を与え、ニュー・オーダーの『Substance』がダンスとロックの境界を溶かしました。日本では、BOØWYが「Marionette」でパンクとグラムロックを独自に融合し、安全地帯の「悲しみにさよなら」が繊細なバラードとして共感を呼びました。
このような中で、U2の「With or Without You」は、シンプルな構成ながら深い情緒を湛え、時代の奔流に埋もれることなく、普遍性を保ち続ける楽曲として存在感を示しました。
ダブリンの若者たちがつかんだ世界
U2は1976年、アイルランド・ダブリンのマウント・テンプル総合学校に通う4人の若者によって結成されました。当初は演奏技術も未熟でしたが、1978年のタレントコンテストで勝利したことをきっかけに、真剣に音楽活動を開始。1980年には『Boy』でデビューを果たし、1983年の『War』で政治性を前面に押し出した「Sunday Bloody Sunday」(この曲もぜひ聞いてみてください。お勧めの一曲です)が話題を集めました。

1984年の『The Unforgettable Fire』では、Brian EnoとDaniel Lanoisという名プロデューサー陣と組んで実験的なサウンドを導入。1987年、アルバム『The Joshua Tree』でその成果が結実し、彼らは世界的なスターダムへと登り詰めました。
革新が生んだ永遠のサウンド
「With or Without You」は、特注のインフィニット・ギターによって生み出される持続音が象徴的です。このギターはエッジがMichael Brookの設計をもとに独自にカスタマイズしたもので、幻想的な空間を演出します。録音は1986年、ダブリンのWindmill Lane Studiosで行われ、プロデューサーのEnoとLanoisは空間的な音響を緻密に構築しました。

テンポは約110BPMで、コード進行はAm-G-D-Fmaj7。シンプルながら感情を増幅させる設計です。アダム・クレイトンのベースとラリー・ミューレンのドラムは抑制されつつも楽曲を力強く支え、ボノのボーカルは静けさから徐々に激情へと転化していきます。
歌詞ににじむ人間の弱さと誠実さ
歌詞は、当時のボノが抱えていた妻アリとの関係、そして音楽との向き合い方に起因する内的葛藤をもとに書かれています。「I can’t live with or without you」という一節は、相反する感情が同居する不安定な心の状態を象徴しています。彼は後のインタビューで、「この曲は神と人、芸術と日常、理想と現実の間で引き裂かれる心を歌っている」と語っています。
宗教的解釈も可能で、たとえば「And you give yourself away」はキリストの自己犠牲を彷彿とさせるとも言われます。多義的な詩は聴き手によって意味が変容し、それがこの楽曲の奥行きを形成しているのです。

日本の風景の中で鳴り響いたU2の声
1987年、日本では本格的に洋楽が若者文化の一部となっていました。MTVやFMラジオの普及により、英語の歌詞であっても情感が伝わる曲は自然と受け入れられていきました。「With or Without You」もそのひとつで、オリコンチャートには登場しなかったものの、輸入盤ショップや深夜ラジオ番組で多くの若者に支持されました。
永久に鳴り止まない音楽の証明
この曲の持つ力は、その後のU2の歩みでも明らかです。1988年の『Rattle and Hum』ではアメリカ音楽へのアプローチが本格化し、2000年の『All That You Can’t Leave Behind』では再び高い評価を獲得。さらに2023年には『Songs of Surrender』で再解釈版が発表され、Spotifyでは10億回再生を突破しました。
ライブにおいても、「With or Without You」は定番曲として演奏され続け、360°ツアー(2009–2011)では世界中のファンの合唱が一体となる場面が多く記録されています。ボノの社会活動と合わせて、音楽が単なる娯楽以上の意味を持つことを、この曲は証明し続けているのです。
『With or Without You』―U2・・・意訳
彼女は与える。そして同時に奪う。
そのまなざしには石のような重さがあり、
その沈黙には棘のような痛みがある。
それでも僕は待ち続ける。
どんなに傷つこうとも、その先にある光を信じて。運命の悪戯のなかで、
僕は釘の上に横たわりながら、
彼女の沈黙と、与えられた愛に耐えている。
愛の名のもとにすべてを差し出してしまった自分が、
何を求めているのかさえ、もうわからない。「君がいても、いなくても」
その言葉は呪文のように心の奥に響き、
逃れられない矛盾を抱えて生きている。
手放すことも、手に入れることもできないまま、
空虚と依存が同居する夜を、
僕はただ彷徨っている。
by ken
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