【5月9日】はビリー・ジョエルの誕生日:『ストレンジャー』をご紹介!

🎹今日はビリージョエル(Billy Joel)の誕生日

ビリージョエル(Billy Joel)は1949年5月9日、アメリカ・ニューヨーク生まれ。
「ピアノ・マン」の異名を持つシンガーソングライターで、1970年代から80年代にかけて世界的なヒットを連発し、グラミー賞を複数回受賞。代表曲に「Piano Man」「Just the Way You Are」「Uptown Girl」などがあり、叙情性と親しみやすさを兼ね備えたメロディが魅力です。全米トップ40入り楽曲を30曲以上持ち、今なお多くの世代に愛され続けています。

まずはYoutubeの公式動画をご覧ください。

🎵 クレジット
曲名:The Stranger
アーティスト:ビリー・ジョエル(Billy Joel)
作詞・作曲:ビリー・ジョエル
プロデューサー:フィル・ラモーン(Phil Ramone)
エンジニア:ジム・ボイヤー(Jim Boyer)
収録アルバム:『The Stranger』(1977年)
録音スタジオ:A&R Recording, Inc.(ニューヨーク)
ジャンル:ファンク・ロック
レーベル:Columbia Records

「The Stranger」は、ビリー・ジョエルが人間の内面に潜む“もう一人の自分”をテーマに描いた楽曲です。口笛のイントロとジャジーな展開が特徴で、彼の音楽的多面性を象徴する名曲となっています。

🎵 クレジット(ライブバージョン)
曲名:The Stranger
アーティスト:ビリー・ジョエル(Billy Joel)
作詞・作曲:ビリー・ジョエル
プロデューサー:フィル・ラモーン(Phil Ramone)
録音日:1977年6月3日
録音場所:カーネギー・ホール(ニューヨーク)
録音エンジニア:デヴィッド・ヒューイット(Record Plant NY Remote Truck)

このライブ映像は、アルバム『The Stranger』のリリース前に行われた貴重なパフォーマンスで、ビリー・ジョエルのエネルギッシュな演奏とバンドの一体感が際立っています。

2008年にリリースされた『The Stranger』30周年記念エディションのDVDにも収録されており、ファン必見の映像です。

僕がこの曲を初めて聴いたのは

My Age 小学校中学校高校大学20代30代40代50代60才~
曲のリリース年1978
僕が聴いた時期

僕がこの曲を始めて聴いたのはリリース時の、大学生2年生の頃です。後ほど解説してますが、ソニーのラジカセのCMで聴き、とても惹かれたを覚えています。

そして、その日がやってきます。
ビリー・ジョエルの1979年の日本公演(武道館ライブ)です。 日本公演スケジュールは
5月21日(月):日本武道館(東京)
5月22日(火):日本武道館(東京)の2日間ありましたが、どちらに行ったのかは覚えていません。(これらの公演は、アルバム『52nd Street』の成功を受けて行われたツアーの一環であり、ビリー・ジョエルにとって2度目の日本公演となりました。)

覚えているのはステージにピアノが3台か4台ほどあり、ビリー・ジョエルがピアノからピアノへと飛び回っては、楽曲を披露してくれたことです。あれからもう46年が経過しました。これも全て東京へ行かせてもらった親に感謝です。

🎧 ソニーのラジカセ「ZILBA-P」のCM(1978年)

1978年、ソニーのラジカセ「ZILBA-P」のCMソングとして「The Stranger」が起用されました

このCMの影響で、同曲は日本で大ヒットし、オリコン総合チャートで最高2位を記録。洋楽としては異例の50万枚以上のセールスを達成しました。

運命の夜に響いた謎めく旋律──「The Stranger」が放つ不思議な魅力

1977年9月29日にリリースされたアルバム『The Stranger』のタイトルトラックとして誕生した「The Stranger」は、内面の葛藤と人間関係の複雑さを浮かび上がらせる楽曲です。ピアノ主体の静謐なイントロから、ドラマチックなストリングスやホーンが加わるサビへの展開まで、聴き手を吸い込む構成が特徴的です。

アルバム自体は米ビルボード200で6週間にわたり第2位を記録し、ビリー・ジョエルにとっての商業的転換点となりました。また、日本ではシングル盤として1978年5月21日に発売され、オリコンシングルチャートで2位を獲得する大ヒットとなりました。当時、米国ではシングルとしては発売されなかったものの、アルバム収録曲としての人気が現在に至るまで色あせていません。

当時の世界と日本を揺るがした音の風景

1977年は、冷戦下の緊張とポップカルチャーの隆盛が同居する時代でした。アメリカではジミー・カーター大統領が就任し、人権や環境問題への関心が高まりました。映画『スター・ウォーズ』の大ヒットが娯楽需要を爆発的に拡大させ、音楽シーンではディスコ全盛期のスタジオ54が象徴的な存在でした。一方、世界経済はオイルショックの余波が和らぎつつあり、消費の回復基調が見え始めました。

日本では高度経済成長の余波で都市が豊かさを増し、社会の活気と課題が共存しました。1979年6月28~29日に第5回先進国首脳会議(G7東京サミット)が開催され、日本の国際的地位がいっそう向上しました。1977年当時は、新宿副都心の都市再開発が始動し、テレビドラマ『おれは男だ!』が昭和的男らしさを描いて人気を博しましたが、同時に公害問題や都市過密化も深刻化していました。そんな二面性の中で音楽は、若者の心を解放し、時には社会への問いかけを担っていたのです。

煌めくディスコと疾走するロック──1977年音楽革新の瞬間

世界を揺らしたサウンドの多様性

1977年の音楽シーンは、多様なジャンルが共存する華やかなステージでした。アメリカではビージーズの「Stayin’ Alive」がディスコを頂点に押し上げ、『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックとして社会現象を巻き起こしました。フリートウッド・マックの『Rumours』は、洗練されたロックとポップの融合でチャートを席巻しました。一方、セックス・ピストルズの「God Save the Queen」がパンク・ムーブメントを代表し、既存の価値観に挑戦しました。

日本における都市音楽の芽生え

日本ではシティポップの夜明けとして山下達郎の「RIDE ON TIME」や、松任谷由実の「ノーサイド」が洗練されたサウンドを追求し、フォークでは井上陽水の「夢の中へ」が情感豊かなメロディーで支持を集めました。ロック面では若き日のBOØWY結成年が幕を開け、後のムーブメントの胎動を感じさせました。そんな多様性の中で、「The Stranger」はロックとポップの境界を越えた感情表現で唯一無二の色彩を放ちました。

ピアノに生まれ、ブルックリンを駆け抜けた青年時代

ビリー・ジョエルは幼少期からピアノを学び、クラシックの訓練を受けながらもロックやジャズの世界に惹かれます。1964年にはザ・エコーズでデビューし、その後アッティカやザ・ハッセイズなど複数のバンドを経て1971年にソロ・デビュー作『Cold Spring Harbor』を発表しました。当時の音質問題から商業的には苦戦を強いられましたが、1973年の『Piano Man』で大ブレイクを果たし、タイトル曲「Piano Man」が彼の代名詞となりました。

1977年にはコロムビア・レコードに移籍し、アルバム『The Stranger』をリリース。プロデューサーのフィル・ラモーンと共にニューヨークのA&Rレコーディングで録音した本作は、温かみのある録音技術とアレンジが絶妙に調和しています。

心の深淵を映すサウンド──「The Stranger」の音楽的巧妙性

「The Stranger」はイントロの静かなピアノとホイッスルが神秘的なムードを演出し、徐々にストリングスとホーンが広がるドラマチックな構成が秀逸です。ビリーの歌声は繊細な感情を乗せつつ、サビでの高揚感を力強く支えます。楽曲はファンクロックの要素も含み、クラシック的な影響とポップの親しみやすさが絶妙に融合しています。ライブでの演奏では、観客との一体感を生み、内面の葛藤を共に解放する場として機能しました。

歌詞が映し出す自己との対話

歌詞は「Well, we all have a face that we hide away forever」という冒頭から始まり、表面的な自分と内なる「見知らぬ自分(Stranger)」との対話を象徴します。人間関係の中で隠された感情が浮上し、「And the stranger is gone, but he won’t be back again」というフレーズで変化と別れを暗示します。ビリー自身が私生活の葛藤から着想を得たと語っており、自己探求や他者との繋がりの難しさが普遍的な共感を喚起します。

東京の夜景に溶け込む洋楽の詩情

日本ではオリジナル英題のまま親しまれ、1978年以降も洋楽ファンの間で根強い人気を誇りました。当時の若者は「新宿副都心の夜景を見ながら聴くと、都会の孤独に寄り添ってくれるようだった」と語ります。高層ビルが立ち並ぶ街の灯りと、ビリー・ジョエルの低く穏やかな声が、不思議と調和していたのです。

また、「The Stranger」が持つ自己との対話というテーマは、受験戦争や就職活動、都市での孤立といった社会背景とも密接に関わっていました。ラジオ番組では「一人で部屋にいるときに聴きたい曲」「失恋ソングランキング」などにも度々登場し、恋愛や友情に揺れる10代・20代の感情を代弁する楽曲として広く支持されたのです。

80年代以降もFM放送を中心に頻繁にオンエアされ、洋楽の定番バラードとして定着。1989年にはテレビ番組『ベストヒットUSA』での特集が組まれ、再び脚光を浴びました。ビリーの音楽は英語の歌詞でありながら、日本の風景や心情に不思議なほど溶け込んでいたのです。

時代を越える静かな名曲

アルバム『The Stranger』はビリー・ジョエルにとっても、音楽史全体においても決定的な転機となりました。収録曲の「Just the Way You Are」や「Scenes from an Italian Restaurant」などと並び、表題曲「The Stranger」も彼の多面性を象徴する一曲として高く評価されています。

また、ピアノを基調としたアレンジは、現代のローファイ・ヒップホップやシンガーソングライター系の楽曲とも共通する質感を持ち、ビリー・ジョエルの音楽的な先見性を物語っています。ストーリーテリングに富んだ歌詞とメロディーが、今も変わらぬ力でリスナーの心に問いかけを投げかけているのです。

夜の静けさの中で聴く「The Stranger」は、ただの懐メロではありません。それは、自己と向き合う時間を優しく包み込む音楽であり、時代が変わってもなお、変わらぬ価値を持ち続ける“静かな名曲”なのです。

The StrangerBilly Joel・・・意訳

私たちは誰もが「顔」を持っている。

それは本当の自分であり、普段は隠し続け、誰もいなくなった時にそっと現れる。
サテンのように柔らかな時もあれば、鋼のように冷たい時もある。
それでも私たちはその仮面を試したくなる。
そして恋に落ちるたび、危険を顧みず秘密を共有しようとするが、決して明かされない心の一部がある。

あなたはなぜ驚いたのか。相手の中の「見知らぬ人」に気づけなかったのは、あなた自身がその「他人」をさらけ出せなかったからではないか。
人は皆、時には道を誤り、他人の顔をして生きるものだ。あなたも、きっとそうだったはず。

私はかつて情熱的な恋人だった。だが帰り着いたその場所には、見知らぬ顔をした女性がいた。問い詰めても答えず、私はその時、自分の中の「ストレンジャー」に撃たれたのだ。

人の心の奥に住まうその存在は、必ずしも悪ではない。
ただ、時として私たちを導き、時として破滅へも連れて行く。
善意だけでは消せない炎がある。欲望に飲まれ、ふと「見知らぬ自分」と再会する時、人は初めてその真実を知る。

by ken

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