【6月30日】は、田中 昌之の誕生日-『大都会』(クリスタルキング)魂の慟哭をもう一度!

【6月30日】という日に思い出したい、“あの声”の衝撃

1979年11月21日、テレビの向こうで、細身の青年が顔を紅潮させながら天を突くようなシャウトを響かせていました。
その声は凄まじく、圧倒的で、なによりも「本気」でした。クリスタルキングのデビューシングル『大都会』が、日本の音楽シーンに鮮烈な足跡を刻んだ瞬間です。

この唯一無二のハイトーンボイスを放っていたのが田中昌之です。彼の誕生日である6月30日にあらためて、この“音楽の奇跡”とも呼べる一曲を丁寧に紐解いてみたいと思います。
そこには、音楽が“物語”として力を持っていた時代の熱量と哀しみが、今なお色濃く息づいています。

まずはYoutube動画の公式動画からどうぞ!!

【クレジット】
楽曲名:大都会
アーティスト:クリスタルキング(CRYSTAL KING)
提供元:NexTone Inc.(日本の音楽著作権管理会社)
チャンネル:クリスタルキング - トピック(YouTube自動生成の公式音源配信チャンネル)
リリース日:2001年12月19日(デジタル配信基準)

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫

My Age 小学校中学校高校大学20代30代40代50代60才~
曲のリリース年1979
僕が聴いた時期

僕がこの曲を初めて聴いたのは、大学3年生の頃ですね。

間違いなく、テレビの歌番組です。正直ほんとうに驚きの声でした。当時聴いた人は、誰もが瞬殺されたでしょう。毎週毎週ベストテン番組が待ち遠しかった記憶がありますね。

ブログで色んな曲を紹介するにあたり、「衝撃的」なんて言葉を平気で使用していますが、間違いなく「大都会」がこの言葉の最も似合う楽曲だったと思います。(;´∀`)


『大都会』とは何か――ジャンルを超えた“声の塊”

リリースは1979年。ただの「デビュー」ではありませんでした

『大都会』は、クリスタルキングのメジャーデビュー曲として1979年11月21日にリリースされました。ヤマハ主催のポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)でグランプリを受賞し、続く世界歌謡祭でもグランプリを獲得するという快挙を成し遂げました。

この一曲は、160万枚を超える大ヒットを記録し、瞬く間に社会現象となります。

しかし、『大都会』が語り継がれる理由は、それが単なるヒット曲だからではありません。この楽曲には、当時の時代の空気、都市に生きる若者たちの孤独と希望、そして“声”という表現の極致が凝縮されていたのです。


1979年という時代――光と闇の狭間に鳴り響いた予言

高度経済成長の終焉と、新しい時代への胎動

1979年は、日本が高度経済成長を終え、「中流意識」「安定志向」が社会に広がっていた時代です。その一方で、若者たちはどこか心に空白を感じていました。

この年には、ソニーが初代ウォークマンを発売し、音楽が“持ち運ぶもの”へと変わりました。また、街中ではスペースインベーダーが大ブームとなり、ゲームセンターに人が溢れていました。

そんな都市生活のなかで、心の隙間に風を吹き込むように、『大都会』の歌詞は響きました。

「果てしない夢を追い続け」
「裏切りの言葉に 故郷を離れた」

夢を追い上京する若者の決意と、それに付きまとう不安と孤独。それは、当時の多くの人の“自画像”でもあったのです。僕は当時上京してた若者の独りでしたが、就職のことはまったく気にしていませんした。なんともとぼけた大学3年生でした!!


音楽シーンにおける『異端の衝撃』

シティポップでも、テクノでもない「何者でもない音楽」

1979年の音楽シーンは多様化が進み、YMOによるテクノポップや、ゴダイゴのクロスオーバー・サウンド、さだまさしの語り、八神純子の都会的な表現が台頭していました。

そんな中で『大都会』は、どこにも属さない異端の存在でした。
・ロックの骨格
・演歌の情念
・歌謡曲のメロディ
・シンフォニックな構成とハイトーンの爆発力

これらが融合したこの楽曲は、視聴者に「今まで聴いたことのない音楽」として強烈な印象を残しました。


構成と物語性――“サビ始まり”という攻めの美学

「静と動」のダイナミクスが聴き手の感情を揺さぶります

『大都会』は、いきなりサビから始まるという構成で、聴く者を一気に楽曲の世界へ引き込みます

「ああ果てしない 夢を追い続け」

Aメロではムッシュ吉﨑さんの低音ボーカルが都会の冷たさを描写し、Bメロでは情感が高まり、サビで田中昌之さんのハイトーンが炸裂します。
この「静」から「動」への展開は非常に劇的で、まるで短編映画を観ているかのような情緒と起伏をもたらします。


唯一無二の“声”――田中昌之が体現したもの

ハイトーンは技術ではなく、感情の剥き出しでした

田中昌之のハイトーンは、単なる音の高さではありません。それは怒りや希望、叫びや祈りといった、言葉では表現しきれない感情の爆発でした。

サビで放たれる「あーーー!」というシャウトは、“伝える”のではなく“伝わってしまう”力を持っていました。また、倍音豊かで遠くまで通る声質も、彼が持つ“声という楽器”の魅力を支えていたのです。


デュアルボーカルという異例の構造

『大都会』では、田中昌之とムッシュ吉﨑のツインボーカルが用いられています。
低音とハイトーンのコントラストが、楽曲に陰影と深みを与えました。この体制は、当時としては非常に珍しく、クリスタルキングならではの個性として高く評価されました。


ポプコンと“アマチュアの逆襲”――デビューの背景

市井のバンドが時代を動かした奇跡の瞬間

クリスタルキングは、福岡を拠点に活動していたアマチュアバンドでした。
『大都会』は1979年の第18回ポプコンでグランプリを獲得し、続く世界歌謡祭でもグランプリに輝きました。

これはプロ作家による既製品ではなく、当事者たち自身の言葉と声が評価されたという意味でも、象徴的な出来事だったのです。


その後の歩み――「一発屋」ではなかった事実

『蜃気楼』『愛をとりもどせ!!』などの名曲たち

『大都会』の印象があまりにも強烈だったため、クリスタルキングは一発屋と誤解されることがあります。
しかし、1980年の『蜃気楼』や、1984年の『愛をとりもどせ!!』(アニメ『北斗の拳』主題歌)など、ヒット曲を継続的にリリースしてきました。

ただし、『愛をとりもどせ!!』が発表された時点では田中昌之はすでにバンドを脱退しており、ツインボーカル体制ではありませんでした。


声を失っても、音楽はやまない――田中昌之さんの現在

喉の負傷と再出発

田中昌之は、脱退後に野球練習中の事故で喉を痛め、以前のようなハイトーンを出すことが困難になってしまいました。

しかし、彼は歌うことを諦めませんでした。変わった声と向き合い、新たな表現を模索しながら、今もなおステージに立ち続けています。

その姿は、まさに『大都会』の歌詞にある――

「輝く陽を受け 生きてゆくのさ」

――という言葉と完全に重なります。


『大都会』が今なお響く理由

普遍的な「叫び」は、時代を超えて生き続けます

『大都会』が今も人々の心に響くのは、懐かしさだけが理由ではありません。

  • 都会の孤独、夢と現実の落差、それでも希望を信じたい気持ち

こうした感情は、今も変わらず多くの人が抱えているテーマです。この曲は、時代や世代を越えて、そうした“叫び”に寄り添ってくれるのです。


結びにかえて――今こそ聴き直す価値がある一曲

もう一度改めて、『大都会』を聴いてみてはいかがでしょうか。
そこには、過去の都市と、現在のあなた自身が共鳴する瞬間があるはずです。そして、田中昌之の“声”は、今もなお心の奥で、確かに鳴り響いているのです。


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