🎹 4月27日はエース・フレーリー(Ace Frehley)の誕生日です
4月27日は、Kissのオリジナル・ギタリスト、エース・フレーリーの誕生日です。
独特のスペーシーなギタープレイと個性的なキャラクターで知られ、バンド初期のサウンドに欠かせない存在でした。
彼の繰り出すエネルギッシュなリフと、時折見せるメロディアスなソロは、今なお多くのギタリストたちに影響を与え続けています。
Kiss「Beth」の徹底考察!
まずはYoutube動画でご紹介!
動画提供:KISS公式YouTubeチャンネル
曲名:Beth
著作権:© Universal Music Group / KISS
YouTubeリンク:https://www.youtube.com/watch?v=cWFc1yUy1lM
🎬 クレジット情報(YouTube公式動画より)
動画タイトル:KISSONLINE EXCLUSIVE: "Beth" live and unplugged on the KISS KRUISE
公開日:2011年10月19日
出演・演奏:KISS
映像制作:Jill Cataldo for KISSONLINE
チャンネル名:KISS(公式アーティストチャンネル)
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・・
この曲がリリースされたのは、地獄の軍団 (1976年3月発売のアルバム)でした。
僕が高校2年生の時でしたね。しかし初めてこの曲を聴いたのは、翌年大学に入学してからのことです。
実は、同年発売の後続アルバム『地獄のロックファイアー』(Rock and Roll Over:5枚目のスタジオ・アルバム)に挿入された「ハードラック・ウーマン」(シングル発売は1977年)が大好きで、その後遡って「Beth」を聴くことになります。
ハードロックバンドであるものの、僕はこの2曲が大好きなんですね。(^_-)
KISSにおける「Beth」の存在の意味
静寂を破るように響くピアノの第一音。Kissの代表的バラード「Beth」は、1976年8月にアルバム『Destroyer』からシングルカットされ、同年10月には全米Billboard Hot 100で最高7位に到達する大ヒットとなった。
ハードロックバンドであるKissにとって、繊細なバラードがここまで成功を収めたことは意外でもあり、同時にバンドの新たな可能性を示す画期的な出来事だった。
本稿では、楽曲の誕生背景から制作秘話、メロディーや歌詞の魅力、当時の音楽シーンと日本国内情勢、後世への影響まで、多角的に掘り下げていく。
「Beth」が生まれるまで
当時のKissと『Destroyer』プロジェクト
1973年にデビューしたKissは、奇抜なメイクと派手なステージパフォーマンスを武器に急速に人気を獲得していった。1975年のライブアルバム『Alive!』の大成功により、バンドは一躍スターダムに駆け上がった。次作『Destroyer』では、さらなる飛躍を狙い、プロデューサーにボブ・エズリンを迎えた。彼は単なるハードロックの延長ではなく、よりドラマティックで構築的なサウンドを志向し、オーケストラや子供合唱団、効果音なども積極的に取り入れた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
「Beck」から「Beth」へ
「Beth」は、ピーター・クリスが在籍していたバンドChelsea時代に作られた「Beck」という楽曲を原型とする。エズリンはこの曲に着目し、ピアノとストリングスを主体にアレンジを施した。当初バンド内では「Kissらしくない」と懐疑的な声もあったが、エズリンは「この曲がアルバムに深みを与える」と強く主張し、最終的に収録が決まった。
レコーディングの詳細
セッションの舞台裏
「Beth」のレコーディングはニューヨークのRecord Plant Studiosで行われた。ピーター・クリスのボーカルはほぼ一発録りで収録され、その生々しい感情が楽曲の核となった。ピアノパートはエズリン自らが演奏し、ストリングスは小編成ながら緻密に配置されている。

メロディーと歌詞の魅力
シンプルで力強い音楽構成
「Beth」はCメジャーキーを基本に、シンプルなコード進行を軸として進む。ピアノとストリングスの繊細な重なりが、ピーター・クリスの哀愁を帯びたボーカルを支え、静かな情感を高めていく。派手な展開を避けた構成が、かえってリスナーに強く訴えかける効果を生んでいる。
歌詞に込められた孤独と愛情
ツアー中のミュージシャンが、恋人Bethに語りかけるスタイルを取る歌詞。「Beth, I hear you callin’」という一節に代表されるように、ロックスターの裏側に潜む孤独感と、愛する人への切実な想いが端的に表現されている。なお、Bethという名前は創作上のキャラクターとされ、ピーターの実際のパートナー、リディア・クリスとは直接の関係はないとされる。

時代背景と日本国内の動向
アメリカの社会情勢
1976年当時、アメリカはウォーターゲート事件後の政治不信、ベトナム戦争終結後の社会的空虚感、さらには経済不況に直面していた。若者たちは現実逃避先を求め、ロックミュージックに希望を見出していた。そうした中、Kissのようなエネルギッシュなバンドだけでなく、「Beth」のような内省的な楽曲にも共感が広がった。
日本における受容と影響
一方、日本ではロッキード事件の発覚により、政界スキャンダルが連日報道されていた。社会全体に閉塞感が漂うなか、若者たちは音楽に癒しを求め、洋楽人気が高まった。Kissは1977年に初来日公演を果たし、奇抜なビジュアルだけでなく、「Beth」のような楽曲を通じても幅広い支持を得た。FMラジオでも「Beth」は頻繁に流れ、洋楽ファン以外にもその名が知られるようになった。
ピーター・クリスという存在
キャットマンとバラードのギャップ
Kissのメンバーはそれぞれキャラクターを背負っていたが、ピーター・クリスの「キャットマン」という荒々しいイメージと、「Beth」で見せた繊細なボーカルとのギャップは、リスナーに強い印象を与えた。彼の歌声は、技巧に頼らず感情をそのまま伝える力を持っていた。

「Hard Luck Woman」との関係性と比較
「Beth」の予想外の大成功を受けて、Kissは続けてバラード路線の楽曲制作にも挑戦することになる。
その成果が、1976年末にレコーディングされ、翌1977年にシングルカットされた「Hard Luck Woman」である。
ポール・スタンレーがロッド・スチュワートを意識して書き下ろしたこの曲(この意味よく分かります。ロッドスチュアートが歌っても、しっくりきそうです!)は、アコースティックギター主体のミディアムテンポ・バラードで、ピーター・クリスがリードボーカルを担当した。

「Beth」が切実な孤独を歌ったピアノバラードだったのに対し、「Hard Luck Woman」はよりフォークロック色が強く、物語性豊かなラブソングに仕上がっている。
どちらもハードロックバンドとしてのKissのイメージを広げるきっかけとなったが、特に「Hard Luck Woman」は、「Beth」で得たファン層を逃さずにさらに広げるという、バンドの戦略的な一手でもあった。
ピーター・クリスのソウルフルな声が、またしても楽曲に説得力を与え、Kissの中でも異色ながら愛されるレパートリーのひとつとなっている。
ソロキャリアへの影響
「Beth」の成功は、ピーター・クリスのソロ活動にも影響を与えた。後のソロアルバムでもバラードを重視し、感情表現豊かなスタイルを確立することになる。
後世への影響
ハードロックバンドとバラードの橋渡し
「Beth」は、ハードロックバンドがバラードをリリースしてヒットするという新たな道を切り開いた。この曲の成功に続き、エアロスミス「Dream On」、ジャーニー「Open Arms」など、アリーナ・ロック時代を代表するバラードが次々に生まれることとなった。
カバーと現代への伝承
「Beth」は1976年のリリースから半世紀近くを経た現在でも、多くのリスナーに愛され続けている。
米人気ドラマ『Glee』のキャストによるカバーバージョンが公式に発表され、また近年ではNetflix配信作品の中でも70年代ロックを取り上げたシーンで登場することがある。
まとめ
「Beth」は、Kissにとって単なるヒットソング以上の存在である。バンドの音楽的幅を拡張し、ロックバンドのイメージに繊細さを持ち込んだ歴史的な名曲だ。時代背景、日本社会とのシンクロ、後世の音楽シーンへの影響といった多角的視点からも、その価値は色あせることがない。ハードロックバンドが持つ本来の多面性を世に示したこの曲は、今なお輝き続けている。
「Beth」の全体意訳
『ベス』-(Kiss)―意訳
君の呼びかけが聞こえる。
でも、今は帰ることができない。
バンド仲間たちと演奏しているが、まだ納得のいく音にたどり着けずにいる。あと少し、あと数時間だけ待ってほしい。
きっとすぐに君のもとへ帰るから。
それでも、仲間たちの呼び声が耳を離れず、足を止められない。君は孤独を抱えている。
二人の家は、もはや温もりを失い、
僕がどこかへ出かけてばかりいることで、君はいつも一人きりだ。だけど信じてほしい。
心はずっと君のそばにいる。
僕も、早く君に会いたいと願っている。君の寂しさを思いながら、
夜通し、仲間たちと演奏し続けるしかない自分が、
どうにもできないもどかしさを抱えている。 by-Ken
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