🎸【僕の勝手なBest10:アルバート・ハモンド編】第1位『カリフォルニアの青い空』をご紹介!

【アルバート・ハモンド】について詳しくはこちらから!➡Wikipedia

  1. 僕の勝手なBest10:第1位は『カリフォルニアの青い空』です。
    1. 🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。
      1. このオーディオ版動画では、アルバート・ハモンドの哀愁漂うボーカルが、楽曲の切なさを一層引き立てています。(いい声してます)
      2. アメリカンドリームの光と影を描き出しています。
      3. 最後の動画は、アルバート・ハモンドが代表作「It Never Rains in Southern California」をシンフォニック・アレンジで再解釈した公式リリックビデオです。
  2. LAの光と影を映す一曲──『It Never Rains in Southern California』に込められた挫折と希望
  3. 世界が揺れた1972年──夢と現実の交差点
    1. アメリカと世界の動き
    2. 高度成長と社会不安が交錯する日本
  4. 多彩な音楽の海で生まれたフォークポップの一滴
    1. フォークとロックの交点
    2. ハードロックとプログレッシブの胎動
  5. ジブラルタル生まれの旅人──アルバート・ハモンドの軌跡
    1. 多文化環境と初期キャリア
    2. アメリカでの飛躍と作曲家としての成功
  6. 音で語る風景──『It Never Rains…』の音楽的魅力
    1. アレンジとサウンドの特性
    2. 録音スタジオと音質の深み
  7. 歌詞に映る人生の光と影
    1. フレーズに込められた皮肉と感情
    2. 自尊と諦念のはざまで
  8. 日本での“静かな共鳴”と独自の受容
  9. ハモンドの遺産──親から子へ、時代から時代へ
  10. 結び──雨は降る、けれど希望もまた降り注ぐ
    1. (※1)ウォーターゲート事件
      1. ● 概要(何が起きたのか)
      2. ● 主な展開
      3. ● 何が問題だったのか
      4. ● 影響・その後
    2. ※2《あさま山荘事件》―僕が中学の時TV放送された日本での大事件!
      1. ◆ 概要
      2. ◆ 歴史的意義と社会への衝撃
      3. ◆ 音楽や文化への影響

僕の勝手なBest10:第1位は『カリフォルニアの青い空』です。

アルバート・ハモンド編も最後の一曲です。彼を知っている人はほぼ皆この曲が1位だと考えていたことでしょう
タイトルは邦題で『カリフォルニアの青い空』(It Never Rains in Southern California)です。
予定通りというか、僕に言わせると「これしかないでしょ!!」って感じの曲です。
1972年(僕が中学2年生の時)にリリースされ、大ヒットしました。

ただ「いい曲」とひと言で片づけるにはあまりにも特別で、当時、圧倒的な存在感を放っていた一曲だと感じています。おそらく、前後1年のあいだに聴いたすべての楽曲の中でも、間違いなくトップ3に入るほど印象的で、単なる「好き」では言い表せない深い魅力がありました。

🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。

このオーディオ版動画では、アルバート・ハモンドの哀愁漂うボーカルが、楽曲の切なさを一層引き立てています。(いい声してます)

🎵 クレジット情報
動画提供:Albert Hammond Official(YouTube公認チャンネル)
音源提供:Epic Records/Sony Music Entertainment
楽曲:Albert Hammond「It Never Rains in Southern California」
リリース年:1972年
作詞・作曲:Albert Hammond、Mike Hazlewood
URLhttps://www.youtube.com/watch?v=meDpNwem0Vomodernrecord3.ocnk.net

1972年にリリースされた「It Never Rains in Southern California」は、カリフォルニアでの夢と現実のギャップを描いた名曲です。このオーディオ版では、アルバート・ハモンドの哀愁漂うボーカルが、楽曲の切なさを一層引き立てています。

アメリカンドリームの光と影を描き出しています。

アルバート・ハモンドが自身の代表曲「It Never Rains in Southern California」を公式ライブ音源で披露した映像です。哀愁漂うメロディとリアルな歌詞が、アメリカンドリームの光と影を描き出しています。この映像が正に当時のアルバート・ハモンドそのものです。

📺 動画クレジット
動画提供:Albert Hammond Official(YouTube公認チャンネル)
音源提供:Sony Music Entertainment(Legacy Recordings)
楽曲:Albert Hammond「It Never Rains in Southern California」
リリース日:1972年10月21日(全米チャート登場時期)
作詞・作曲:Albert Hammond & Mike Hazlewood
URL:https://www.youtube.com/watch?v=FEMJ2AnEg6s

最後の動画は、アルバート・ハモンドが代表作「It Never Rains in Southern California」をシンフォニック・アレンジで再解釈した公式リリックビデオです。

壮大なストリングスが加わり、1970年代の哀愁漂うメロディに新たな深みが与えられています。

🎬 クレジット情報(公式)
動画タイトル:Albert Hammond - It Never Rains in Southern California (Lyric Video)
公開日:2017年1月27日
チャンネル名:Albert Hammond Official(公式認証済)
バージョン:交響アレンジによるリリックビデオ(シンフォニック版)
レーベル情報:BMG Rights Management 提供
公式URL:https://www.youtube.com/watch?v=Mplc5c02JP8

LAの光と影を映す一曲──『It Never Rains in Southern California』に込められた挫折と希望

1972年に発表されたアルバート・ハモンドの傑作『カリフォルニアの青い空It Never Rains in Southern California)』は、南カリフォルニアの燦めく陽光とは裏腹に、若き日の挫折と希望を描いた自伝的バラードです。軽快なギターイントロが夢を追う足音を刻み、サビのストリングスが皮肉と共感を呼び起こします。全米チャート5位を記録したこの曲は、今なお世界中のリスナーの心に刻まれています。


世界が揺れた1972年──夢と現実の交差点

アメリカと世界の動き

アメリカではベトナム戦争の泥沼化により国民の分断が進み、同年5月にはニクソン大統領が中国を訪問。冷戦構造に変化の兆しが現れた一方、ウォーターゲート事件(※1)が政界に疑念をもたらしました。社会の不確実性は、若者たちに音楽という心の避難所を求めさせたのです。

高度成長と社会不安が交錯する日本

同じ頃の日本では、1月に起きたあさま山荘事件(※2)が社会不安を象徴しながらも、5月には沖縄の本土復帰、2月の札幌オリンピックではスキージャンプの金メダル獲得という明るい話題がありました。経済は高度成長のまっただ中、公害問題や都市化の影も見え始め、音楽には“癒し”や“自己表現”の手段としての役割が求められつつありました。


多彩な音楽の海で生まれたフォークポップの一滴

フォークとロックの交点

1972年の音楽シーンは、フォークとロックが多様に交差する豊穣な時代でした。アメリカではジェームス・テイラーの「Don’t Let Me Be Lonely Tonight」やキャロル・キングの「Sweet Seasons」など、内省的で個人的な語り口が特徴の楽曲が人気を博しました。英国ではエルトン・ジョンの「Rocket Man」がチャートを席巻し、ロックとポップの新たな融合が模索されていました。

ハードロックとプログレッシブの胎動

一方で、ディープ・パープルの『Machine Head』がハードロックを定義づけ、ピンク・フロイドは『Dark Side of the Moon』の録音に取りかかるなど、音楽ジャンルはさらなる進化を見せていました。そんな中、ハモンドの『It Never Rains in Southern California』は、華やかなジャンルの狭間で、フォークポップの叙情性を真正面から描いた異色のヒットとなりました。


ジブラルタル生まれの旅人──アルバート・ハモンドの軌跡

多文化環境と初期キャリア

アルバート・ハモンドは1944年、イギリス領ジブラルタルに生まれました。戦時中にはロンドンに疎開し、多言語と多文化が交錯する環境で育ったことが彼の音楽的感性を形成します。60年代には「The Diamond Boys」「The Family Dogg」などで演奏活動を行い、英米のポップシーンを経験したのち、1970年にロサンゼルスへ渡ります。

アメリカでの飛躍と作曲家としての成功

彼の大きな転機となったのが、A&Mスタジオで録音された『It Never Rains in Southern California』でした。タイトル曲が全米5位を記録し、彼は瞬く間にシンガーソングライターとしての地位を確立。後にはホリーズの「The Air That I Breathe」や、スターシップの「Nothing’s Gonna Stop Us Now」(1987年)など、多くの楽曲を手がけ、作曲家としても不動の地位を築きました。


音で語る風景──『It Never Rains…』の音楽的魅力

アレンジとサウンドの特性

イントロのギターリフは、あえて揺らぎを残すことで人間味を漂わせ、まるでLAの空虚な空気感そのものを音にしているかのようです。サビに入ると同時に重厚なストリングスが加わり、明るさと哀愁が交錯夢を求めた若者が現実の厳しさに直面しながらも、前を向こうとする情景が浮かびます。

録音スタジオと音質の深み

リズムは穏やかで、聴き手を歌詞の世界にじっくりと導きますA&Mスタジオならではの滑らかな音響と、ハモンドのソウルフルな歌声が絶妙に交わり、まさに1970年代らしい温かみのあるサウンドに仕上がっています。


歌詞に映る人生の光と影

フレーズに込められた皮肉と感情

「It never rains in California, but it pours, man, it pours」というフレーズは、夢の地・南カリフォルニアに集まる希望と、その裏にある過酷な現実を対比的に描いたものです。歌詞の中では、仕事も金も恋人も失った主人公が、それでも「故郷に伝えてほしい、もう少しで夢を叶えられたって」と語りかけます。

自尊と諦念のはざまで

これは単なる敗北ではなく、自分自身の努力と経験を肯定しようとする最後の尊厳の表現とも言えます。若者だけでなく、何かに挑戦し、うまくいかなかったすべての人々に、そっと寄り添う一節なのです。


日本での“静かな共鳴”と独自の受容

『It Never Rains in Southern California』は、日本では「カリフォルニアの青い空」という邦題で紹介されました。原題の皮肉や深さは薄まりつつも、当時のフォークブームや都会志向と絶妙にマッチ。都会への憧れと現実の乖離を、音楽で埋め合わせるように聴かれました。


ハモンドの遺産──親から子へ、時代から時代へ

アルバート・ハモンドの音楽的遺産は、単なる懐メロにとどまりません。『The Air That I Breathe』や『Down by the River』などの楽曲にも共通するのは、夢と孤独、移動と距離といった現代的なテーマ。彼の作品群は、ポップスでありながら深い文学性を備えているのです。

そして、彼の息子であるアルバート・ハモンド・Jr.は、The Strokesのギタリストとして、2000年代のガレージロック・リバイバルを牽引しました。父の音楽に影響を受けながらも、自らのスタイルを築き上げたその姿には、音楽の遺伝子が確かに受け継がれていることが感じられます。


結び──雨は降る、けれど希望もまた降り注ぐ

『It Never Rains in Southern California』は、アルバート・ハモンドという稀有な作家の内面と時代背景を凝縮した名曲です。単なるラブソングや流行曲として聴くには惜しく、その背後には移民、夢、孤独、再生といった普遍的なテーマが息づいています。

静かな夜、雨音に耳を傾けながらこの曲を聴くとき、きっとあなたの心のどこかにも、忘れかけていた希望の灯がともることでしょう。

『It Never Rains in Southern California』(カリフォルニアの青い空):意訳

夢を追って西へと旅立った若者がいた。
テレビや映画の華やかな世界──その眩しさに惹かれ、決意もそこそこに飛行機に飛び乗った。
だが現実は、想像とはかけ離れていた。
オーディションに落ち、チャンスはことごとくすり抜け、気づけば職も家も尊厳さえも失っていた。

自分がこんなにも孤独で惨めになれるとは、かつて想像もしなかった。
人は言う──「南カリフォルニアに雨は降らない」と。

だけど彼は知った、それがどれだけ皮肉な幻想だったか。
実際には、心を濡らすような激しい雨が、静かに、確かに、降り続けていた。
「どうか家族には、僕がほとんど成功しかけたって伝えてくれ」

そう懇願する彼の言葉には、見栄と誇りと、何よりも悲しみが混ざっていた。
そして最後に、震えるような声で呟く──「頼む、もう一度だけ、運命にチャンスをもらえないか」と。

by Ken

(※1)ウォーターゲート事件

ウォーターゲート事件(Watergate Scandal)とは、1970年代初頭のアメリカ合衆国で発覚した政治スキャンダルであり、結果として当時の大統領「リチャード・ニクソン(Richard Nixon)」が辞任に追い込まれた、アメリカ史上最大級の政治的不祥事のひとつです。

● 概要(何が起きたのか)

1972年6月17日、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部に、不審者5人が侵入して逮捕されました。彼らは、盗聴器の設置や情報収集を目的としており、のちに共和党・ニクソン陣営との関係が明らかになります。

この事件は当初「単なる侵入事件」と見なされていましたが、新聞社ワシントン・ポストの記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによる粘り強い取材によって、事件の背後に大統領側近やホワイトハウスが関与していたことが暴かれていきました。

● 主な展開

  • 1972年6月:ウォーターゲート・ビル侵入事件発生。
  • 1973年:上院で「ウォーターゲート特別委員会」が設置され、テレビ中継される公聴会で政権関係者の証言が次々と明らかに。
  • 1973年10月:「土曜日の夜の虐殺(Saturday Night Massacre)」──ニクソンが特別検察官アーチボルド・コックスを解任、司法省幹部も次々辞任。
  • 1974年:ニクソンの「ホワイトハウス録音テープ」によって、事件隠蔽の指示が録音されていたことが判明
  • 1974年8月8日:ニクソン、大統領辞任を表明(任期中の辞任は米国史上初)
  • 1974年9月:副大統領から昇格したジェラルド・フォード大統領がニクソンに特赦を与える。

● 何が問題だったのか

ウォーターゲート事件の核心は、単なる盗聴事件ではなく、以下の点にあります:
 選挙での不正行為(スパイ行為)
 事件発覚後の組織的隠蔽
 司法妨害
 行政権の濫用(FBI・CIAへの圧力)
 メディアとの対立と報道への介入

● 影響・その後

  • 米国市民の政府への信頼が大きく失墜した。
  • 大統領権限の制限や監視の必要性が議論され、後の「情報公開法(FOIA)」強化につながる。
  • ジャーナリズムの力(特に調査報道)が評価され、ワシントン・ポストはピューリッツァー賞を受賞
  • 「ゲート(gate)」という語尾が、以後世界中で政治スキャンダルを表す比喩として使われるようになる(例:「モノゲート」「トラベルゲート」など)。

※2《あさま山荘事件》―僕が中学の時TV放送された日本での大事件!

あさま山荘事件とは、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県軽井沢町の「あさま山荘(浅間山荘)」で発生した、極左過激派組織・連合赤軍による人質立てこもり事件です。戦後日本の犯罪史や社会史において、象徴的な事件のひとつとされています。

◆ 概要

  • 日時:1972年2月19日〜28日(10日間)
  • 場所:長野県北佐久郡軽井沢町の保養所「あさま山荘」
  • 事件の主犯連合赤軍(よど号グループと赤軍派の合流組織)
  • 人質:山荘管理人の妻(1名)
  • 結末:警察(長野県警・機動隊)が10日間にわたる包囲の末、突入し制圧。犯人5人全員を逮捕。人質は無事救出。

◆ 歴史的意義と社会への衝撃

  • テレビ中継(NHKなど)が生放送で全国に報道され、最高視聴率は90%以上とされる。
  • 事件の背景には、連合赤軍内部で起きた「山岳ベース事件」(同志12名のリンチ殺害)も関係しており、極左運動の暴走と崩壊を象徴する出来事となりました。
  • 社会に「過激派=暴力的・恐怖の対象」という印象が定着し、若者の政治運動全体への不信感が高まりました。
  • また、この事件を契機に、機動隊の武装化や警察の対テロ対策の強化が本格化します。

◆ 音楽や文化への影響

  • この事件を境に、1960年代〜70年代初頭の学生運動や反体制文化に対する熱気が急速に冷めていきます。
  • 同時期、音楽の表現も政治色の強いプロテスト・ソングから、より個人の内面や日常を描いたフォーク・ニューミュージックへと移行していく潮流が見られます。

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