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僕の勝手なBest10:第4位は『風のララバイ』です。
アルバート・ハモンド編第4位は、『Your World and My World(風のララバイ)』です。
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曲名」【Your World and My World(風のララバイ)】 【アーティスト名】:アルバート・ハモンド 【音源】1981年に録音・リリースされたオリジナル音源 【発表年】2008/10/23 上記の動画は、公式チャンネルによる投稿ではありませんが、当時の音源を収録した貴重な画像付き動画です。著作権への配慮から、記事内への動画の直接埋め込みは避け、画像リンク付きでご紹介します。 ※動画の著作権は権利者に帰属します。 👇画像をクリックすると、YouTubeで動画をご覧いただけます。
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アルバート・ハモンドが風に託したもの─『風のララバイ』に宿る静かな対話
1972年、僕が中学2年生の時にアルバート・ハモンドが発表した『Your World and My World』(邦題:風のララバイ)は、時代の騒がしさとは一線を画す、静かな愛の対話を描いたバラードです。この曲は、彼の初期代表作を収録したアルバム『It Never Rains in Southern California』に収められ、日本では邦題の詩的な響きとともに洋楽ファンに受け入れられました。

変わりゆく世界と音楽の役割
1972年、世界は依然としてベトナム戦争の影響下にあり、アメリカでは徴兵拒否運動や戦争批判が続いていました。5月、ニクソン大統領がソ連を訪れ、SALT I(戦略兵器制限条約)を締結。緊張緩和の兆しが見える一方、6月にはウォーターゲート事件が勃発し、政治不信の土壌が形成され始めました。
イギリスでは「血の日曜日事件」を契機に北アイルランド問題が深刻化。IRAによる爆破事件がロンドンでも起こり、市民社会に不安が広がっていました。同年、映画『ゴッドファーザー』が公開され、暴力と家族を描いた重厚なテーマが文化的インパクトを与えました。
日本における光と影──五輪と過激派事件
国内では、2月の札幌冬季オリンピックで笠谷幸生が金メダルを獲得。ジャンプ団体での日本勢の表彰台独占は、戦後の日本に自信を与える象徴的な出来事となりました。
一方、1月には長野県軽井沢で連合赤軍によるあさま山荘事件が発生。テレビによる生中継と銃撃戦の映像は、国民に強烈な印象を与え、若者による極端な政治運動への不信を増幅させました。5月には沖縄が本土に復帰し、日本の戦後再統合の大きな一歩となりました。
感情を歌う時代──フォークとポップの交錯点
1972年の音楽は、政治的主張を帯びたフォークと、個人の感情に寄り添うポップが共存した時代でした。アメリカではニール・ヤングの『Harvest』が全米1位を記録し、カントリーとフォークの融合が注目を集めました。キャロル・キング、ジェームス・テイラーのようなアーティストが、繊細な内面を歌うスタイルを確立しました。
イギリスでも、ロッド・スチュワートの『Maggie May』や、ELOの『10538 Overture』といった楽曲がヒットし、ロックにクラシカルな要素を加える試みが新鮮な響きをもたらしました。ハモンドの『風のララバイ』は、こうした時代の中で、感情をストレートに表現するフォークポップとして静かに共鳴していたのです。
ジブラルタルからロサンゼルスへ──ハモンドの歩み
アルバート・ハモンドは1944年にジブラルタルで生まれ、ロンドンや地元での音楽活動を経て、1972年に全米ヒット『It Never Rains in Southern California』でソロデビューを果たしました。その後も多くの楽曲提供で世界的に評価されました。

静かなる対話のバラード──音楽的構造と美学
『Your World and My World』は、アコースティックギターのイントロが印象的な作品です。リズムは穏やかで、ハモンドのナチュラルなボーカルが楽曲の核心を包み込みます。サビではストリングスが加わり、優しさと広がりを演出。
アレンジは西海岸の腕利きプレイヤーたちによって支えられ、控えめなピアノとソフトなパーカッションが、歌の世界観を崩さずに奥行きを与えています。録音から半世紀を経た今でも、そのサウンドは瑞々しさを保っています。

愛と理解の象徴としての”風”
歌詞に登場する「Your world and my world are not the same」という冒頭の一節は、価値観や生活背景の違いを正直に受け止める姿勢を示しています。それでも「But we can make it one」と続けることで、違いを乗り越えて調和を目指す願いが浮かび上がります。
「The wind will carry us away」という表現は、困難の超越と自由の象徴として機能しており、日本語訳である『風のララバイ』は、この詩的比喩を巧みに捉えたタイトルと言えるでしょう。
日本での静かな受容──風景と感情の共鳴
1972年の日本では、吉田拓郎や井上陽水らによるフォークブームが進行しており、自己表現としての音楽が若者の心をつかんでいました。そうした中で『風のララバイ』は、主張よりも感情の余韻を重視する作品として、ラジオや深夜放送を通じてじわじわと浸透していきました。
あるリスナーは「田舎道を自転車で走っていた時、風とともにこの曲が耳元に流れた」と振り返ります。自然と共鳴するようなこの楽曲の空気感は、日本人の感性とも相性が良かったと言えるでしょう。

風に宿る遺産──ハモンドの音楽的影響
『風のララバイ』は大ヒットとは言えないものの、ハモンドの作家としての成熟を示す重要な一曲です。この楽曲を経て、彼は『The Free Electric Band』『Down by the River』といった意欲作へと踏み出していきます。
2020年代に入り、アルバート・ハモンドの楽曲は再評価されつつあります。特に、彼の息子であるアルバート・ハモンド・ジュニアが、ロックバンド「The Strokes」のギタリストとして成功を収め、ソロアーティストとしても活動していることから、親子二代にわたる音楽の血脈として注目されています。
風がつなぐ想い──半世紀を越えて響くメッセージ
アルバート・ハモンドの『Your World and My World(風のララバイ)』は、激動の1972年に生まれた静謐なバラードとして、今も変わらぬ響きを保っています。異なる世界に生きる人間同士が、言葉と音楽を通して繋がるというテーマは、時代や国境を越えて普遍性を持ち続けています。
夕暮れにふとこの曲を流せば、遠い記憶や誰かとの思い出が、風に乗って心に舞い戻ってくるかもしれません。その穏やかな旋律は、きっと誰かの孤独にそっと寄り添ってくれるでしょう。
『Your World and My World(風のララバイ)』:意訳
愛する人が去っていく──
その背中を、冷えた部屋の窓から見つめるしかない私。
あの人の世界は今、太陽がまぶしく輝いているけれど、
私の世界には、雨ばかりが降り続いている。心も未来も、ふたりの時間さえも、
すべてが別の道を歩み始めていたことに
私は気づかないふりをしていた。あの人には、新しい明日が待っている。
でも私の明日は、ぬぐえない寂しさと後悔に覆われている。残されたのは、涙越しに浮かぶ
かつての面影だけ。
あたたかい腕がもうここにないという現実が、
未来を曇らせる。何度も心の中で繰り返す──
「なぜこうなってしまったの?」
その答えも届かないまま、
私は「たったひとりの孤独」になってしまった。
by Ken
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