【6月25日】は、ジョージ・マイケルの誕生日:『ラスト・クリスマス』-(ワム)をご紹介!

今日6月25日は、ジョージ・マイケルの誕生日!

🎉6月25日はジョージ・マイケルの誕生日!🎉1963年6月25日、イングランド・ロンドン北部のイースト・フィンチリー(East Finchley)で生まれました。 彼はギリシャ系キプロス人の父とイギリス人の母のもとに生まれ、本名は Georgios Kyriacos Panayiotou(ジョージオス・キリアコス・パナイオトゥー) です。

1980年代のポップシーンを席巻したデュオ「Wham!(ワム!)」の中心人物であり、ソロでも世界的成功を収めたシンガーソングライター。 代表曲「Last Christmas」「Careless Whisper」「Faith」などは今なお世界中で愛され続けています。

甘いルックスと圧倒的な歌唱力で、80年代のアイコン的存在となりました。ソウルやファンクの影響を受けた洗練された音楽性も高く評価されています。LGBTQ+コミュニティへの支援やチャリティ活動にも熱心に取り組んだ人物です。
2016年12月25日、惜しまれつつも53歳で逝去。“音楽と誇りを貫いた”彼の人生は、今も多くの人の心に響き続けています。

今日の紹介曲:『Last Christmas』(Wham! )の深層世界!

まずはYoutube動画の(公式動画)からどうぞ!!

🎧 公式動画クレジット
🎄 Wham! - Last Christmas (Official Video)
📅 公開日:2009年10月26日
📺 視聴回数:10億回以上
👥 チャンネル登録者数:200万人(WHAM!公式チャンネル)
ショート解説
この動画は、1984年にリリースされたWham!の代表的なクリスマスソング「Last Christmas」の公式ミュージックビデオです。ジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーによる繊細な演技と雪山のロケーションが印象的な映像で、毎年冬になると再生回数が急増する“クリスマス定番曲”として知られています。

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
 小学校中学校高校大学20代30代40代50代60代
曲のリリース     1984   
聴いた時期     ●   

僕がこの曲を初めて聴いたのは社会人4年目の25~26歳頃ですかね?

今や誰が歌っているかは知らなくても、誰もが知っているクリスマス定番曲になりましたね!

解説にも書きましたが、40年以上も前の曲なのに、今でもクリスマスになると耳にしない方が不思議なくらいのクリスマスソングの名曲中の名曲。作詞作曲も、ジョージ・マイケル。鬼才が故の短命か? でもこの曲は長く生き続けるでしょうね。

今日は6月25日で、梅雨の真っただ中。季節外れのクリスマスソングですが、すぐにその季節になりますよ。毎日を大切にしていきましょう・・・・(^_-)


『ラスト・クリスマス』という現象

毎年冬になると甦る風景

キラキラとしたイントロが街に響き、あの歌声が流れ始めると、季節は確かに冬を迎えたと実感する。そんな冬の風物詩と化したのが、1984年に発表されたWham!の『ラスト・クリスマス』です。

約40年の時を経てもなお、クリスマスシーズンになると世界中のチャートに再登場するこの曲は、単なるポップソングの域を超えた「文化現象」と言っても過言ではありません。

リリース当時と“チャート1位”の逸話

この楽曲がリリースされたのは1984年12月3日。
しかし、当時の全英チャートで1位を獲得することはできませんでした。
その理由は、同じタイミングで発表されたチャリティーソング『Do They Know It’s Christmas?』(Band Aid)に阻まれたからです。

皮肉なことに、ジョージ・マイケルはこのバンド・エイドにも主要ボーカルの一人として参加しており、自ら関わった楽曲によって1位の座を逃したという、音楽史に残るエピソードが生まれました。

それでも『ラスト・クリスマス』は売上を記録し続け、最終的には2021年1月、リリースから実に36年を経て、ついに全英シングルチャート1位を獲得します。
これは“最も遅れて1位になった名曲”として、多くの人々に祝福されました。


歌詞に滲む切なさと前向きさ

誰もが知るフレーズに込めたメッセージ

“Last Christmas, I gave you my heart”(去年のクリスマス、君に僕の心を捧げた)
“But the very next day you gave it away”(でもその翌日、君はそれを手放した)

この一節に込められているのは、単なる失恋の痛みではなく、もう一度誰かを信じようとする小さな決意です。

“This year, to save me from tears”(今年はもう泣かないように)
“I’ll give it to someone special”(特別な誰かにこの心を捧げる)

前に進む意志、希望、そして微かな再生の物語。ジョージ・マイケルは、感傷に溺れることなく、明日を生きようとする人の背中を押すようにこのフレーズを綴ったのです。

映像化された「別れ」と「再会」

ミュージックビデオでは、雪に包まれた山荘に集まる友人たちの中に、かつての恋人と再会してしまうというシチュエーションが描かれます。
視線の交差やブローチの小道具など、細やかな演出により、歌詞の情景が映像としても深く共鳴しています。


音の設計:シンセポップの精髄

シンセとドラムマシンで描く“冬の音”

この曲のプロデュースとほぼすべての演奏をジョージ・マイケル自身が手がけたという事実は、彼の非凡さを象徴しています。

シンセサイザー(Juno-60やDX7)による繊細なパッド音、LinnDrumによるリズム、簡素ながらも印象的なベースライン。すべてが調和し、冬の冷たさと心の温かさを同時に表現する“音の物語”が形成されているのです。

ボーカルの表現力と旋律の力

抑えたAメロ、跳ねるようなサビ。静と動が交錯する構成の中で、ジョージのボーカルはまるで感情そのもののように揺れ動きます。

“A face on a lover with a fire in his heart”(情熱を秘めた恋人の顔)
“A man under cover but you tore me apart”(本性を隠していたけれど、君は僕を引き裂いた)
“Now I’ve found a real love, you’ll never fool me again”(今は本当の愛を見つけた。もう二度と君には騙されない)

単なるアイドルポップではなく、確かな楽曲構造と音楽性を備えたこの作品は、彼のキャリア初期の到達点でもあります。


1984年の日本と洋楽文化の広がり

バブル前夜、日本の音楽事情/日本での定着とその背景

1984年の日本では、アイドルポップとニューミュージックが共存しながらチャートを賑わせていました。チェッカーズ、松田聖子、中森明菜、安全地帯……そんな中に『ラスト・クリスマス』のような洋楽が入り込んできたのです。

シンセサウンドが広がり始めていた時代背景と合致し、日本のリスナーにとってもこの曲は非常に馴染みやすく、親しみやすい音楽として受け入れられました。

冬になると自動的にラジオから流れる定番曲。
この曲は「英語が分からなくても感じられる」情緒を持ち、日本人特有の感受性にも合致していたと言えるでしょう。


人物像としてのジョージ・マイケル

音楽と誠実に向き合った生き方

Wham!時代の華やかさから一転、ソロアーティストとなってからのジョージは、自らの内面や社会的立場とも向き合いながら音楽を作り続けました。

セクシュアリティを公表した後も、LGBTQ+支援やチャリティー活動を通じて多くの人に希望を与えたその姿勢は、アーティストとしてだけでなく“人間ジョージ・マイケル”としても深く敬愛されています。

2016年12月25日──“本当の”ラスト・クリスマス

奇しくもクリスマスの日に、彼は静かにこの世を去りました。
『ラスト・クリスマス』というタイトルが、まさか彼の人生とリンクするとは誰が予想したでしょう。その日以降、この曲は単なる季節の定番ではなく、ジョージ・マイケルを偲ぶ永遠の名曲となりました。


終わりに:今も生きる“贈り物”

『ラスト・クリスマス』それは、誰かに裏切られても、また誰かを信じたいと願う心。
そして、痛みの先にある小さな光を見つめる人々への“音楽のメッセージ”です。

ジョージ・マイケルの誕生日に、彼が残したこの名曲にあらためて感謝を捧げます。

🎂 Happy Birthday, George. Thank you for the music.


『ラスト・クリスマス』意訳

去年のクリスマス、僕は心を君にあげた。
だけどその翌日、君は何のためらいもなくそれを捨てた。
だから今年こそ、この心はちゃんと受けとめてくれる人に渡すよ。

もう過ちはくり返したくない。君を避けても、街ですれ違えば胸が痛む。
「愛してる」って、本気で言ったんだ。プレゼントに僕の想いをこめたんだ。

でも今ならわかるよ。あれはただの僕の一方通行だったんだね。
もし君がまた、あの笑顔で近づいてきたとしても、僕はもう迷わない。

今年は、僕を大事にしてくれる人に、この心をそっと渡そう。

by Ken

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