【4月19日】は、廣瀬 洋一の誕生日-『夜明けのスキャット』を紹介します!
【4月19日】は、廣瀬 洋一の誕生日
廣瀬洋一(ヒーセ)は、1963年4月19日生まれ。THE YELLOW MONKEYのベーシストとして知られる廣瀬洋一は、バンドの骨太なグルーヴを支える存在です。ステージでは華やかな衣装とパフォーマンスで観客を魅了し、ビジュアル面でも強烈な印象を残しました。バンド解散後もソロやセッション活動を精力的に展開し、再結成後も変わらぬ存在感を放ち続けています。
まずは、この名曲を動画でチェック!
THE YELLOW MONKEY – 夜明けのスキャット(Official Music Video)
🎥 動画提供:THE YELLOW MONKEY Official(YouTubeチャンネル)
🎵 楽曲:夜明けのスキャット(カバー)
© 著作権:作詞 山上路夫/作曲 いずみたく/編曲 THE YELLOW MONKEY
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60~ |
曲のリリース | 1997 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの曲を初めて聴いたのは、1970年前後ですね。由紀さおりさんのこの曲が、よくテレビで流れていました。・・・これは原曲の話ですね。
イエモンの同曲のカバーを聴いたのは40歳前後だと思いますが、具体的な記憶とは結び付いていません。ただ、なんか彼らとこの「夜明けのスキャット」が最初イメージが結びつかなったのは覚えています。
でも独特の味がありますよね!そもそもの楽曲が素晴らしかったのが一番の原因でしょうが、こんな感じのイエモン風にアレンジできたのも才能なんでしょう!!
時空を超える音の魔法――歌謡曲とロックが織りなす永遠の対話
はじめに――異なる時代が交錯する奇跡のカバー
由紀さおりの「夜明けのスキャット」が世に出たのは1969年3月10日。作詞・山上路夫、作曲・いずみたくという黄金コンビによって生み出されたこの作品は、発売から8週連続でオリコンチャート1位を記録し、累計109万枚を売り上げる空前のヒットとなりました。
その26年後、1995年3月1日。日本のロックバンド、THE YELLOW MONKEYが6枚目のシングル「嘆くなり我が夜のFantasy」のカップリング曲として、あの名曲をカバーします。グラムロックを基調としたサウンドで人気を集めていたイエモンが、由緒ある歌謡曲に新たな命を吹き込む――それは単なる懐古趣味にとどまらず、音楽の持つ時間的な深みと文化的な継承を象徴する出来事でした。

原曲の魅力と誕生の裏側
スキャットから始まった挑戦的作品
「夜明けのスキャット」は、もともとTBSラジオの深夜番組「夜のバラード」のテーマ曲として作られました。いずみたくが旋律を、由紀さおりがスキャットを即興的につけた短い楽曲だったものに、後から山上路夫が詞を乗せ、完成版が誕生したのです。
「愛し合うその時に 言葉などいらない」――当時の価値観からすれば大胆で官能的にも受け取れるこのフレーズと、ルルルル…と続くスキャットのメロディが、聴く者の心に直接語りかけるような印象を残しました。日本歌謡界の中でも特異な存在感を放つこの作品は、1969年の紅白歌合戦出場という快挙にもつながりました。

創作の葛藤と達成感
興味深い逸話として、山上路夫の詞は、いずみたくから何度も書き直しを求められたそうです。締切ギリギリまで試行錯誤を重ねた末にようやく完成。スキャットという言葉にならない旋律と、情熱的な詩が奇跡的に融合し、時代を超える名曲となったのです。
THE YELLOW MONKEYの視点から見るカバーの意味
吉井和哉の歌唱に宿る意図と感情
THE YELLOW MONKEYのボーカル、吉井和哉は、幼少期から日本の歌謡曲に強く影響を受けてきたと語っています。その彼が「夜明けのスキャット」に挑んだことは、音楽的敬意だけでなく、自身の原点回帰でもあったのでしょう。
オリジナルの可憐な透明感とは異なり、吉井の歌声は男性的な深みと情熱を含んでいます。とくに冒頭のスキャット部分では、力強さの中に切なさをにじませ、歌詞の持つ意味を新しい視点から浮かび上がらせています。

ロックアレンジがもたらした解釈の広がり
THE YELLOW MONKEY版は、ギターとリズムを強調しつつ、原曲の叙情性を壊すことなく、現代的なサウンドに昇華させています。これは、原曲に対する敬意と、バンドとしての独自性の共存を示す好例です。
時代を越えて受け継がれる音楽の意味
二つの時代が背負っていた社会的背景
1969年は高度経済成長の真っただ中、未来への希望と不安が交錯する時代。一方、1995年は阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件といった未曾有の出来事が日本社会を揺さぶった年でした。
こうした異なる背景の中で「夜明けのスキャット」が鳴らされることの意味は深いものがあります。人々が不安を抱える時代にこそ、言葉にならない感情を表現する音楽が求められる――その象徴が、この曲であったのかもしれません。
「夜明けのスキャット」の文化的再評価
J-POPのアイデンティティ探求としての選曲
1990年代半ばは、J-POPが洋楽志向から日本的感性への回帰を模索していた時代でもありました。そうした流れの中で、歌謡曲の再評価が進み、「古さ」を新しい価値としてとらえる動きが広がっていきます。
その文脈において、THE YELLOW MONKEYによるこのカバーは、単なるオマージュではなく、過去と未来をつなぐ意志表明であり、日本の音楽文化の連続性を可視化する役割を果たしていました。
幻のコラボと映像作品の再評価
2025年3月、リリース30周年を記念して、当時制作されたミュージックビデオがついに公式公開されました。独特の映像美とバンドの世界観が融合したこの作品は、30年の時を経て新たな注目を集めています。
なお、2016年のサマーソニック東京公演における由紀さおりとの共演については、現時点で公式な記録は確認されていないため、都市伝説的なエピソードとして扱うのが妥当でしょう。
終章――時代を超えて響く真実
「夜明けのスキャット」は、単なるヒット曲でもなければ、一過性のカバーソングでもありません。それは、異なる世代、異なる文脈、異なる感情を結びつける「音楽という言語」の力を証明する作品です。
歌謡曲とロック。女性ボーカルと男性ボーカル。1969年と1995年――そのすべてを横断する形で、ひとつの楽曲が生まれ変わり、なお生き続けていることに、私たちは驚きと尊敬を抱かずにはいられません。
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