僕の勝手なBest15:【長渕剛】編-第1位『祈り』-静けさと悲しみと後悔が交差する、長渕剛の原点をご紹介!

1981年頃の長渕がギターを手にステージで歌う姿。

長渕剛」について詳しくは➡こちらのWikipediaでどうぞ!


さあ、『僕の勝手なBest15:【長渕剛】編』も最後の1曲です。

昨日第1位の選考経緯はお伝えしたので、今日は記事を書くだけでよかったです。

今回の企画、『僕の勝手なBest15:【長渕剛】編』の投稿開始に際し当然順位決めをしますが、あくまで暫定的なものであり、日々記事を更新しながら順位の入れ替えも行ってきました。そして自分で言うのもおかしいですが、まさかこの「祈り」が第1位になるとは当初考えてなかったですね。でも昨日まで最終選考に残り、みごと第1位になりました。自信を持って以下でしっかりと解説していきます。

長渕剛:僕の勝手なBest15・堂々の第1位

『僕の勝手なBest15:【長渕剛】編』、その頂点に選んだのは、1979年7月5日にシングルとしてリリースされた「祈り」です。この曲は、同年10月発表のアルバム『逆流』にも収録されています。世間的には派手なヒット曲というわけではありませんが、その静けさの中に宿る想いの強さと、人の心に深く染み込む力があることから、僕の中では第1位となりました。

4つの映像で見る「祈り」の深化

1979年のスタジオ録音。

デビュー間もない長渕剛が、スタジオで「祈り」を録音したものです。ジャケットが僕の中の長渕剛です。楽曲に込めた情熱が伝わってきます。

テレビスタジオでの歌唱

テレビ番組のスタジオで披露された「祈り」。観客を前にしたパフォーマンスとは異なる、緊張感と集中力が感じられる一幕です。

弾き語りバージョン

ギター一本で「祈り」を奏でる長渕剛の弾き語り映像。シンプルなアレンジが、楽曲の持つ深いメッセージ性を際立たせています。

歌詞違いのライブバージョン

オリジナルの歌詞から一部変更されたこのバージョンは、ライブという“今この瞬間”に寄り添うような即興性が感じられます。言葉のわずかな違いが持つニュアンスの深さを実感でき、聴くたびに異なる感情を呼び起こされる点が魅力です。

1979年という時代背景と長渕剛の立ち位置

高度経済成長を経た日本が少しずつ変化の兆しを見せ始めていた1979年。学生運動は終焉を迎え、若者たちは声高に社会を叫ぶ時代から、内面的な問いに向き合う時代へと移行していきました。

そんな中でデビュー間もない長渕剛が世に放ったのが、この「祈り」でした。自己の内面を静かに、しかし正面から見つめる姿勢は、当時の同世代の若者たちの琴線に触れ、多くの共感を集めることとなります。

楽曲構成と歌声の“静かな圧”

最小限の音数に込めた最大限の想い

「祈り」は、アコースティックギターとボーカルを中心に構成されたシンプルな楽曲です。派手な展開や盛り上がりは一切ありませんが、それこそがこの曲の本質。余白の多いアレンジだからこそ、言葉が直接的に、リスナーの心へ届くのです。

声ではなく、“語りかけ”の力

長渕剛の歌唱は、叫ぶでもなく、囁くでもなく、「語りかける」という表現が最もしっくりきます。一音一音、一語一語を丁寧に紡ぐように届けられる歌声は、感情を押し付けることなく、そっと寄り添ってくるような優しさを持っています。

歌詞に込められた“別れ”と“祈り”

やさしすぎるお前のことだから それが思いやりのつもりだったのか
俺たち いつでもひとつなんだと あれほど話し合ってきたよね

歌詞全体を通じて感じられるのは、大切な人の“死”と、その事実を受け止めきれない語り手の後悔です。直接的な描写はないものの、「深く瞳を閉じて 今 天女のように お前は一人 空へ帰る」というラストに向かうにつれ、それが“この世からの別れ”であることが明らかになっていきます。

彼女が最後に連絡をくれなかったことを悔やみながらも、その優しさを理解しようとする気持ち。自分は彼女のすべてをわかっていたと思っていたのに、何も見抜けていなかった――そんな苦悩と葛藤が静かに綴られています。

また、この歌詞には「遺された者が自分と向き合いながら、生きる意味を問い直す過程」が如実に表れています。失った存在の大きさをただ嘆くだけでなく、自分にできることは何かを考え、「祈り」というかたちでその想いを昇華しているのです。

生き残った者としての“約束”と再出発

お前がえらんだ人生も お前が歩いてきた道も
今度生まれてくる時は しあわせな日々をおくれるといいね

後半では、死を悼むだけではなく、生き残った語り手のこれからが描かれます。否定せず、押しつけず、ただそっと祈るように彼女の選択を受け入れていく。そして「お前の好きだったあの唄を 今夜は朝まで歌ってあげるよ」と語るとき、それは“歌う”ことを選んだ彼自身の決意表明にもなっています。

この部分には、“死”を受け入れるというよりも、その重さを背負ってなお歌い続けることへの覚悟がにじみ出ています。悲しみを力に変え、生者としての責任を果たそうとする強さが、静かなメロディの中に息づいています。

アルバム『逆流』の中での「祈り」の位置づけ

『逆流』には、「巡恋歌」「俺らの家まで」などの代表曲も収められていますが、「祈り」だけは異質な存在感を放っています。フォークの持つストーリーテリングの要素を徹底し、情緒のみに頼らずに構築されたこの曲は、アルバム全体の静と動の“静”を象徴しています。

また、他の収録曲が社会性や恋愛をテーマにしているのに対し、「祈り」だけは明確に“死”を扱っている点でも異色です。この一曲の存在がアルバム全体の深みと重層性を高め、リスナーにとって忘れがたい印象を残す役割を担っています。

長渕剛自身の“魂の源泉”としての位置

後年、長渕は多くのメッセージソングや社会的主張の強い楽曲を発表していきますが、その源流にはこの「祈り」のような“静かなる叫び”があったことは間違いありません。人の痛みに寄り添い、自らの痛みを歌うことに誠実であろうとする、その姿勢は、キャリア初期から一貫しています。

特に注目すべきは、長渕がこの曲をライブでも大切に扱ってきた点です。派手な演出や構成に頼らず、ただ椅子に座って弾き語る姿勢には、アーティストとしての信念と覚悟が感じられます。「祈り」は、単なる作品のひとつではなく、自身の生き方を象徴する“核”のような存在だったのではないでしょうか。

終わりに:祈りは、歌ではなく“生き方”だった

「祈り」は、ただの一曲ではなく、長渕剛というアーティストが何を大切にしているのかを体現した作品です。音楽を通じて誰かを想うこと、寄り添うこと――それが彼の本質であり、その最初の確かな一歩が、この楽曲だったと言えるでしょう。

今聴いてもなお、新たな感情が湧き上がるこの曲。年齢や立場が変わっても、人生のどこかでまたきっとこの歌に戻ってくる。そんな永遠性を秘めた作品だからこそ、「祈り」は僕の中で、揺るぎない第1位なのです。(静かにまとめてみましたが、今この瞬間は間違いなくゆるぎない第一位です。)


いかがでしたでしょうか、今回のシリーズは?

最初に記事で書いた通りの結果となりました。
ファーストアルバム『風は南から』からは、
「俺らの家まで」 「君は雨の日に」「巡恋歌」の3曲を選曲。

また、セカンドアルバム『逆流」からは、
「風は南から」「順子」「素顔」「ひざまくら」「祈り」「逆流」 の6曲を選曲。

15曲中9曲が、最初の2枚のアルバムからの選出でした。いかに僕がこの当時の長渕剛が好きだったかわかりますよね。( ;∀;) 

僕の音楽にハマり始めたのは、中学からですが、「毎日が音楽漬けの日々」は多くの人と同じように大大学時代になります。

1977年に大分県の津久見から上京し、1981年春まで暮らした世田谷のアパート。その場所での日々が今回のブログの原点です。そして、1981年4月に社会人になってからは音楽とは距離を置くことになりました。ある意味、僕の音楽への没入は1981年春までなんですね。そこが終点でもあったのです。

しかし、それまでの記憶と、その後に自然に好きになった楽曲とでこのブログは構成されていきます。
現在紹介した曲は220曲あまり。まずは500曲をマイルストーンにして、1000曲まではどんなことがあってもこのブログは続けたいです。そしてまだまだエネルギーが切れていなければ、2000曲、3000曲位まで描ければ本望ですね。(^_-)

今までで一番長い旅でしたが、楽しい旅でした。また新たな旅でお会いしましょう!

僕の勝手なBest15:【長渕剛】編はこちらからどうぞご覧ください!!

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