今日は、ポール・モーリア(Paul Mauriat)の誕生日です。
今日は1925年生まれのポール・モーリアの誕生日です。
20年ほど前の、2006年に81才で亡くなっています。
フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者として大活躍しました。
特に日本ではNHKラジオ第1放送などで頻繁にオンエアされ、レイモン・ルフェーブル、フランク・プゥルセルらと並ぶイージーリスニング界の著名音楽家となっていましたね。(一部引用:Wikipedia)
今日の紹介曲:『涙のトッカータ』-(ポール・モーリア)
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60~ |
曲のリリース | 1973 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
僕がこの「涙のトッカータ」を初めて聴いたのは、リリース時の1973年。中学3年生の時です。
あの頃は、ロックやポップス、フォークソングなどにのめり込んでいる時期でしたが、なぜかポールモーリアも、そんな場面によく登場してました。イージーリスニングという言葉が懐かし過ぎます( ;∀;)
以下の解説にも書いておきましたが、彼の作品の中でもっとヒットした曲は多数あります。が・・・僕はこの曲が一押しでしたね。僕の弱点である「哀愁感」とやらが漂っていますね!!
1973年という時代は、僕らの同級生、山口百恵、桜田淳子、森昌子が鼻の中三トリオとしてデビューをした年ですし、陽水やかぐや姫、海援隊などが次々とヒット曲を出していました。そんな時代です。
そうそう、オイルショックでトイレットペーパーが店先から無くなったのもこの年でした。
「涙のトッカータ」:ポール・モーリアの隠れた輝き
ポール・モーリアといえば、「ラブ・イズ・ブルー」(1968年)の世界的ヒットで知られるフランスのイージーリスニング界の巨匠です。その名を冠した「グランド・オーケストラ」は、1960年代から80年代にかけて数多くの名曲を生み出しました。そんな彼の作品の中で、1973年にリリースされた「涙のトッカータ」(原題:「Toccata」)は、意外な魅力を秘めた一曲です。
この楽曲は、バッハ作曲の「トッカータとフーガ ニ短調」をポール・モーリアならではの華やかなアレンジで蘇らせたもの。クラシックとポップスを見事に融合させたこのアレンジは、当時のイージーリスニングシーンの中でも異彩を放ち、特に日本で親しまれました。その独特の哀愁と疾走感を備えたサウンドは、今聴いても新鮮です。
この記事では、「涙のトッカータ」の誕生の背景、旋律の魅力、演奏技法、そして時代との関係を紐解きながら、この隠れた名曲の輝きを探っていきます。
誕生の背景:クラシックとポップの架け橋
1973年当時、ポール・モーリアはすでに国際的な人気を博し、世界中でツアーを行っていました。特に日本での人気は絶大で、彼の楽曲はテレビやラジオで頻繁に流れ、コンサートも連日の大盛況。このような中で生まれたのが「涙のトッカータ」です。
クラシックの名曲を現代風にアレンジする動きは、当時のイージーリスニング界でひとつの流行となっていました。モーリアもその流れに乗り、バッハの「トッカータ」をポップなサウンドに仕立てたと考えられます。しかし、このアレンジは単なるカバーではありません。彼の代名詞ともいえる華麗なストリングスや軽快なリズムが加わることで、全く新しい楽曲として再構築されているのです。
また、興味深い点として、この曲の邦題「涙のトッカータ」には、日本独自の感性が反映されている可能性があります。原題の「Toccata」は単に「トッカータ」を意味するものですが、日本のリスナーが感じた楽曲の哀愁が「涙」という言葉に集約されたのではないでしょうか。このように、タイトルの付け方ひとつにも、音楽とリスナーの関係性が垣間見えます。
旋律の魅力:華やかさと哀愁のダンス

「涙のトッカータ」の最大の特徴は、その疾走感と哀愁のバランスにあります。原曲の重厚なオルガンの響きは、モーリア流のストリングスとブラスの華やかなアンサンブルに変換され、テンポもアップビートに。
特に冒頭部分の疾走感あるリズムは、まるで都会の夜を駆け抜けるタクシーのような躍動感を感じさせます。しかし、中盤で登場する柔らかなフルートの旋律が、ふとした寂しさを漂わせ、曲に奥行きをもたらします。「涙」という邦題が与えられたのも、この切なさを含んだメロディーゆえでしょう。
モーリアの代表曲「ラブ・イズ・ブルー」にも通じる、華やかさの裏にある哀愁。それが「涙のトッカータ」の魅力を際立たせているのです。
ポール・モーリアと日本の特別な関係
ポール・モーリアの音楽は、特に日本で長く愛され続けています。彼は何度も来日し、日本のファンと深い関係を築いていました。彼の楽曲は日本のテレビ番組やCMで頻繁に使用され、昭和の時代の雰囲気を象徴する音楽の一つとなりました。
また、日本の音楽教育にも影響を与えました。学校の音楽の授業で使用されたり、ピアノ教室で演奏されたりするなど、日本の音楽文化の一部として定着しました。
現代における「涙のトッカータ」の再評価
現在、ストリーミングサービスやYouTubeなどでこの楽曲を聴くことができ、当時のファンだけでなく、新しい世代のリスナーにも親しまれています。
また、クラシック音楽のリミックスや、レトロなサウンドを取り入れた音楽が再び注目を集める中で、「涙のトッカータ」もその流れの中で新たな価値を持つようになっています。モーリアの音楽は、単なる懐メロではなく、今でも新鮮な魅力を放ち続けているのです。
まとめ:ポール・モーリアの遺産と「涙のトッカータ」の意義
「涙のトッカータ」は、ポール・モーリアの作品群の中では派手なヒット作ではありませんが、その洗練されたアレンジと独特の哀愁が今も多くの人々の心に響き続けています。
ポール・モーリアの音楽は、今なお世界中で聴かれ続けており、日本でもその人気は根強いものがあります。彼の楽曲は、単なる背景音楽ではなく、聴く人の心に寄り添い、時にノスタルジックな気持ちを呼び起こす力を持っています。「涙のトッカータ」は、その代表的な例といえるでしょう。
もしまだこの曲を聴いたことがないなら、ぜひ一度聴いてみてください。そして、都会の夜景を眺めながら、モーリアが生み出した美しい旋律に身を委ねてみるのもいいかもしれません。ポール・モーリアの音楽は、きっとあなたの心に新たな感動を届けてくれることでしょう。
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