今日は、BOROさんの誕生日です。
今日はBOROさん(1954年生まれ)の誕生日です。
おめでとうございます。兵庫県出身です。
BOROの詳細はこちらで・・・どうぞ!!
今日の紹介曲:『大阪で生まれた女』-BORO
懐かしい歌声です。44年も前なんですなぁ!
BOROさんもちゃんと年を取ってくれています。素敵じゃないですか!僕の4つ上です。
さて次の動画が、いわゆるフルバージョン版です。レコード盤は6番までですが、フルバージョンでは18番まであります(>_<)
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60~ |
曲のリリース | 1979 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
初めて聴いたのは大学生の時ですね。洋楽中心で、邦楽を(ついでに)聴くってスタンスでした。
そんな中、この曲が出てきて関西らしい泥臭さを感じたのを覚えています。解説記事にも出てきますが、ブルースっぽいのがよくわかりますね。独特な雰囲気を醸し出していた曲です。一度聴くと忘れられない曲でした。
彼の歌は2曲しか知りません。もう一曲は「見返り美人」この言葉は、切手収集家には垂涎ワードですね。この「見返り美人」も一聴の価値ありです!!!
正直いって、僕は東京にも、大阪にも住んでいたことがありますが、あえて言うなら東京の洗練された孤独感の方があっています。関西はやはり、ぐいぐい来る感じでちょっと引いていた覚えがあります(;_;)/~~~ごめんなさい!
BOROの「大阪で生まれた女」は、1979年にリリースされたフォークロックの名曲です。BOROが作詞・作曲を手がけ、関西圏を中心に多くの支持を得ました。
この楽曲の特徴は、元々18番まで歌詞があったことです。しかし、レコード化に際し、6番までに縮小されました。後に、BORO自身がフルバージョンを披露しています。(3番目の動画)
短縮されたバージョンでも十分に楽曲の魅力を味わえますが、18番すべてが揃うことで、さらに深いストーリーが浮かび上がります。
楽曲の最大の魅力は、具体的な情景描写を通じて、大阪の街の雰囲気や、そこに生きる人々のリアルな感情を浮かび上がらせている点です。歌詞には「梅田の町」「十三の街並み」といった地名が登場し、聴き手に鮮明なイメージを喚起します。
BOROの音楽的ルーツと影響

BOROはフォーク、ブルース、演歌など多様な音楽スタイルに影響を受けました。彼の音楽は吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫といった関西フォークの流れを汲みつつも、よりブルージーで哀愁漂うサウンドを持っています。これにより、大阪の雑多な雰囲気を表現する独自のスタイルを築きました。
また、BOROの音楽には、演歌の持つ情緒的な表現も感じられます。特に、失恋や別れといったテーマを扱う際には、演歌的な哀愁がにじみ出ています。この影響は、彼が育った大阪の文化とも深く関わっており、庶民の暮らしや情景をリアルに描く要素が詰め込まれています。
大阪の音楽文化との関連性
1970年代の大阪は、フォークソングが盛り上がりを見せていた時期でした。西成や梅田を中心にライブハウスが点在し、多くの若者が音楽を通じて社会や人生を語り合っていました。「大阪で生まれた女」は、そんな時代の空気を反映した楽曲でもあります。
また、大阪の街が持つ「人情の街」としての側面も、この楽曲の重要なテーマの一つです。大阪では、日常の何気ない会話の中に人情味があふれ、街の至る所で誰かの人生が交差します。この曲は、そんな大阪の街に生きる人々の心情を切り取ったものといえるでしょう。
歌詞の深い解釈と裏テーマ
この曲の歌詞は、単なる男女の別れを超えて、人生の岐路や都市と地方のギャップを描いています。「大阪で生まれた」というフレーズは、都市に生きる人間のアイデンティティを象徴しており、その中で自分の居場所を模索する姿が浮かび上がります。
また、歌詞の視点を考察すると、主人公の心情が微妙に変化していることがわかります。最初は過去の恋愛を振り返るような懐かしさを漂わせていますが、次第に故郷や過去の自分への未練が滲み出てきます。このように、歌詞の流れの中に主人公の心理的な揺れ動きを読み取ることができる点も、この曲の奥深さを生み出しています。

楽曲の成功とその後の展開
リリース後、「大阪で生まれた女」は多くの人々に愛され、BOROの代表曲となりました。特にラジオでの頻繁なオンエアがきっかけとなり、全国的なヒットへと繋がりました。BORO自身もこの曲の成功を機に、幅広い音楽活動を展開していきます。
「大阪で生まれた女」が影響を与えた楽曲
この楽曲は、後の関西系アーティストにも影響を与えました。たとえば、長渕剛や浜田省吾といったシンガーソングライターにも、そのリアリティのある歌詞とメロディの影響が見られます。特に、都会で生きることの厳しさや、人間の孤独を描いた楽曲が増えていく中で、この曲のテーマは共鳴するものがあったと考えられます。
社会的影響とリスナーの声
発売当時のリスナーはもちろん、現代の若者にもこの楽曲は響いています。SNSでは「この歌を聴くと大阪の風景が目に浮かぶ」「故郷を思い出す」といった声が多く、時代を超えた共感を得ています。
また、この曲はカラオケでも根強い人気を誇り、特に関西地方では多くの人が「懐かしの名曲」として歌い継いでいます。そのため、世代を超えた交流の場でもこの楽曲が流れることがあり、楽曲の持つ影響力の強さを物語っています。
近年のカバーやリバイバル
近年では、多くのアーティストが『大阪で生まれた女』をカバーしています。たとえば、福山雅治さんが自身の番組でこの曲を披露し、坂本冬美さんや萩原健一さんなどもカバーしています。これらのカバーにより、新たな世代にも楽曲が浸透しています。
また、近年のフォークリバイバルの流れの中で、昭和の名曲が再評価される機会が増えており、「大阪で生まれた女」もその一つとして注目を集めています。SpotifyやApple Musicといった音楽配信サービスでも、多くのリスナーに聴かれ続けています。
楽曲の制作背景とスタジオワーク
この楽曲がどのように制作されたのか、その背景を探ることも興味深い点です。BOROは当時、どのような思いでこの曲を作ったのか。レコーディング時にはどのような工夫が凝らされたのか。使用された楽器やアレンジの手法など、音楽的な観点からも分析すると、よりこの曲の魅力が浮かび上がります。
こうした観点から見ると、「大阪で生まれた女」は単なるヒット曲の枠を超え、大阪という都市そのものを象徴する楽曲といえます。時代を超えて多くの人々の心を捉え続ける理由は、その普遍的なテーマと、リアルな情景描写、時代背景との見事な融合にあるのでしょう。
これからも「大阪で生まれた女」は、さまざまな人生の場面で聴かれ続けることでしょう。リアリティのある歌詞と、哀愁を帯びたメロディが、聴く人の心に寄り添い続けるに違いありません。

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