かぐや姫の歴史
今日から、僕の勝手なBest10:【かぐや姫】編を始めます。楽曲の紹介の中で、都度「かぐや姫」の解説を織り込むのも読みにくいし、くどく感じると思いまして、今回はあらたな試みとして、最初に背景知識として、かぐや姫の歴史について語っておきます。
また、楽曲紹介時は、その曲をモチーフにした短編小説風の記事を掲載しますので、お楽しみください。では早速はじめます。
かぐや姫:結成前夜とフォークの胎動
かぐや姫は、日本のフォーク音楽史に燦然と輝くグループであり、その活動は1970年代の若者文化と深く結びついています。結成に至るまでの道のりは、リーダーの南こうせつを中心に、時代背景と個々の音楽的志向が交錯する中で始まりました。
南こうせつ(本名:南孝設、出身地:大分県大分市)は、1949年2月13日生まれ。幼少期から音楽に親しみ、高校時代にはビートルズやボブ・ディランの影響を受け、ギターを手にしていました。大学進学のため上京後、フォークソングの波に乗り、南は音楽活動を本格化させます。しかし、ソロデビューシングル「最後の世界」(1970年4月)は商業的に成功せず、彼にグループ結成の決意を促しました。大分出身の南は、故郷の自然や素朴な人情を愛し、それが後の楽曲に反映されることになります。
一方、伊勢正三(本名:伊勢正文、出身地:大分県津久見市)は、1947年8月15日生まれ。南とは同郷であり、大分県立大分舞鶴高校時代にフォークグループ「ザ・キングストン・トリオ」に憧れ、音楽の道を志します。大学ではフォークソング研究会に所属し、独自の詩的な歌詞とメロディを磨きました。伊勢の故郷・津久見市の風景は、後に「なごり雪」のモチーフとなるなど、彼の創作に大きな影響を与えています。
山田パンダ(本名:山田勉、出身地:静岡県富士市)は、1949年5月13日生まれ。特徴的な低音ボイスとベース演奏で知られ、かぐや姫に独特の深みを加えました。山田は学生時代にビートルズやサイモン&ガーファンクルを愛聴し、音楽への情熱を育みます。静岡の自然豊かな環境で育った彼の穏やかな性格は、グループの調和に寄与しました。
1960年代後半から70年代初頭、日本ではフォークブームが巻き起こっていました。吉田拓郎や井上陽水らが新しい音楽の形を模索する中、南こうせつは仲間と共に独自の道を切り開こうとします。
第一期かぐや姫:南こうせつとかぐや姫(1970年 – 1971年)
1970年6月、南こうせつは同郷の森進一郎(ドラム)と大島三平(ギター)を誘い、「南高節とかぐや姫」を結成します。この時期は、まだ試行錯誤の段階であり、同年10月に日本クラウンからデビューシングル「酔いどれかぐや姫」をリリース。コミカルな歌詞と軽快なメロディが特徴で、テレビ番組『桂三枝のさかさまショー』の出演を機に注目を集めました。オリコン100位以内にランクインするなど、まずまずのスタートを切ります。
翌1971年2月、グループ名を「南こうせつとかぐや姫」に改名し、シングル「変調田原坂」を発表。この曲も一定の支持を得ますが、商業的な大成功には至らず、同年夏に森と大島が脱退。南は新たなメンバーを探す決断を迫られます。
第二期かぐや姫:新生かぐや姫の誕生(1971年 – 1975年)

1971年8月、南こうせつは伊勢正三と山田パンダを迎え入れ、新生「かぐや姫」を結成します。このトリオが、後に日本フォーク史に名を刻む黄金期の始まりです。9月25日、シングル「青春」で再デビュー。青春の儚さや希望を歌ったこの曲は、若者たちの共感を呼び、グループの基盤を固めました。
1972年4月、ファーストアルバム『はじめまして』をリリース。「ひとりきり」「マキシーのために」など、素朴で情感豊かな楽曲が収められ、四畳半フォークと呼ばれるスタイルが確立されつつあります。同年12月にはライブアルバム『かぐや姫おんすてーじ』を発表。九段会館での熱狂的なライブ音源が収録され、ファンの間で話題に。
そして1973年、かぐや姫は飛躍の年を迎えます。9月にリリースされたシングル「神田川」が大ヒット。作詞は喜多条忠、作曲は南こうせつによるこの曲は、貧しくも愛に満ちた同棲生活を描き、当時の若者文化を象徴する楽曲となりました。オリコン1位を獲得し、160万枚を超えるミリオンセラーを記録。NHK紅白歌合戦への出演依頼も来ましたが、歌詞中の「クレパス」が商標問題で「クレヨン」に変更を求められたため、南はこれを拒否し、出場を辞退します。この決断は、彼らのアーティストとしての信念を物語っています。同年7月のアルバム『かぐや姫さあど』には、「神田川」のアルバムバージョンのほか、「アビーロードの街」「僕の胸でおやすみ」などが収録され、オリコンでも好成績を収めました。
1974年はさらなる成功の年となります。1月にグループ名を正式に「かぐや姫」に改め、シングル「赤ちょうちん」をリリース。映画とのタイアップもあり、ヒットを記録します。3月にはアルバム『三階建の詩』を発表。「22才の別れ」「なごり雪」といった伊勢正三の名曲が収められ、オリコン1位を獲得。5月のシングル「妹」も兄妹愛をテーマにした感動的な楽曲として人気を博しました。しかし、この頃からレコード会社の意向とアーティストの創作意欲の間で軋轢が生じ始めます。映画タイアップ曲が優先され、南や伊勢の意図しない形でシングルが選ばれることが増え、これが後の解散の遠因となります。
1974年9月、ライブアルバム『かぐや姫LIVE』をリリース。京都会館や大阪厚生年金会館での公演が収録され、観客との一体感が感じられる名盤として評価されました。そして1975年3月、解散を前に最後のオリジナルアルバム『かぐや姫フォーエバー』を発表。2枚組の大作で、オリコン1位を記録し、186週にわたりチャートインするロングセラーとなりました。
1975年4月12日、東京・神田共立講堂での解散コンサートをもって、かぐや姫は第一章を閉じます。この時点で、南はソロ活動、伊勢は「風」結成、山田もソロへと進みますが、彼らの音楽はファンの心に深く刻まれました。
解散後の道と再結成の兆し(1975年 – 1999年)
解散後、南こうせつは「夏の少女」(1977年)や「夢一夜」(1978年)といったソロヒットを飛ばし、1976年には吉田拓郎と共に「つま恋オールナイトコンサート」で6万人を動員。日本人初の武道館ワンマン公演も成功させます。伊勢正三は大久保一久と「風」を結成し、「22才の別れ」(1975年)で再び大ヒットを記録。「なごり雪」はイルカのカバーでさらに広く愛されました。山田パンダはソロとして地道に活動を続けます。
1978年、期間限定の再結成が行われ、アルバム『かぐや姫・今日』をリリース。オリコン1位を獲得し、全国ツアーも実施。横浜スタジアムでの公演は特に記憶に残るものとなりました。1980年には追悼コンサート、1985年には「吉田拓郎 ONE LAST NIGHT IN つま恋」で一夜限りの再結成を果たし、「なごり雪」などを披露します。
再結成と現在(1999年 – 2025年)

1999年、南こうせつがNHK紅白歌合戦にソロとして初出場したことがきっかけとなり、再結成への機運が高まりました。2000年から2001年にかけて「かぐや姫ベストドリーミン」ツアーが開催され、全国を巡る公演で往年のファンを熱狂させます。「神田川」「赤ちょうちん」「なごり雪」といったヒット曲が披露され、懐かしさと新鮮さを兼ね備えたステージは大成功を収めました。このツアーは、かぐや姫の音楽が世代を超えて愛されていることを証明するものでした。
2006年9月23日、静岡県掛川市のつま恋で開催された「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」は、再結成の集大成とも言えるイベントでした。吉田拓郎との共演で、かぐや姫のオリジナルメンバーである南こうせつ、伊勢正三、山田パンダが揃い、35,000人の観客を動員。9時間半にわたる長大なコンサートで、「神田川」「妹」「22才の別れ」など名曲の数々が演奏されました。特に「なごり雪」は、観客が一体となって歌い、会場全体が感動に包まれる瞬間となりました。この公演はDVD化され、後世に残る記録となっています。
この時期、南こうせつは大分県への愛着を強く表現し、地元での音楽活動にも力を入れていました。伊勢正三は「風」の活動を続けつつ、ソロとしても精力的に作品を発表。山田パンダは一時期音楽活動から離れていたものの、再結成を機に再び表舞台に立ち、独特の低音ボイスでファンを魅了しました。
2011年、東日本大震災の復興支援として、南こうせつが中心となりチャリティコンサートを開催。かぐや姫の楽曲が被災地への応援メッセージとして届けられ、「ひとりきり」や「僕の胸でおやすみ」といった曲が新たな意味を帯びました。こうした活動は、彼らの音楽が単なるノスタルジーではなく、現代にも通じる力を持つことを示しています。
2015年、結成45周年を記念して「かぐや姫 メモリアルコンサート」が企画され、全国数カ所で公演が行われました。この頃にはメンバーそれぞれが60代後半に差し掛かり、体力的な制約から大規模ツアーは難しい状況でしたが、ファンとの絆を大切にする姿勢は変わりません。コンサートでは、「青春」や「アビーロードの街」など初期の楽曲も披露され、若かりし日の情熱が再現されました。
2021年、結成50周年を迎えたかぐや姫は、新型コロナウイルスの影響で大規模な公演こそ控えたものの、オンライン配信ライブを実施。南こうせつが「今だからこそ、音楽で繋がりたい」と語り、ファンとの新しい形の交流を模索しました。この配信では、「三階建の詩」や「マキシーのために」など、アルバム収録曲を中心に選曲され、過去の名盤を振り返る内容が好評を博しました。
現在(2025年2月時点)、かぐや姫としての正式な活動は休止状態にありますが、メンバーはそれぞれ音楽への情熱を失っていません。南こうせつは大分県を拠点にソロ活動を続け、地元の自然や文化をテーマにした新曲を発表。伊勢正三は詩的な世界観を追求し、2023年にソロアルバムをリリースするなど創作意欲は衰えていません。山田パンダは静岡で穏やかな生活を送りつつ、時折地元イベントで演奏を披露しています。
かぐや姫の音楽とその影響
かぐや姫の音楽は、1970年代のフォークブームを牽引し、日本のポピュラー音楽に大きな足跡を残しました。彼らの楽曲は、日常の中の小さな幸せや切なさを描き、聴く者の心に寄り添うものでした。「神田川」は貧しくも純粋な恋愛を、「なごり雪」は別れと季節の移ろいを、「22才の別れ」は青春の終わりを象徴する名曲として、今なお多くのアーティストにカバーされています。
南こうせつの明るく親しみやすい歌声、伊勢正三の繊細で詩的な感性、山田パンダの深い低音が織りなすハーモニーは、かぐや姫ならではの魅力です。出身地の影響も色濃く、大分の自然や人情が南と伊勢の楽曲に反映され、静岡の穏やかな風土が山田のキャラクターに表れています。彼らの音楽は、都会の喧騒から離れた田舎の風景や、若者の心象風景を描き、当時の若者に深い共感を呼びました。
また、かぐや姫は商業的な成功だけでなく、アーティストとしての姿勢でも注目されました。レコード会社の意向に流されず、自分たちの音楽を守り抜いた信念は、後進のミュージシャンに影響を与えました。解散後も、それぞれが独自の道を歩みながら、時折再結成でファンを喜ばせる姿は、音楽への純粋な愛情の表れと言えるでしょう。
名曲とその背景
- 「神田川」(1973年): 東京・神田川沿いの下宿生活を舞台に、貧しくも愛に満ちた日々を描いた曲。喜多条忠のリアルな歌詞と南こうせつのメロディが融合し、当時の若者の生活感を映し出しました。
- 「なごり雪」(1974年): 伊勢正三が別れの情景を春の雪に重ねて描いた名曲。イルカのカバーで広く知られ、卒業シーズンの定番となりました。
- 「22才の別れ」(1974年): 伊勢正三の代表作で、青春の終わりと新たな旅立ちを歌った切ないバラード。「風」での再録も人気です。
- 「赤ちょうちん」(1974年): 映画タイアップ曲としてヒット。昭和のノスタルジーを感じさせるメロディが特徴です。
- 「妹」(1974年): 南こうせつの兄妹愛をテーマにした楽曲で、シンプルながら心に響く作品として愛されました。
結び:永遠のかぐや姫
かぐや姫の活動は、1971年の結成から1975年の解散、そして断続的な再結成を経て、半世紀以上にわたり続いてきました。南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの3人は、それぞれの出身地である大分県と静岡県の風土を背負い、日本のフォークシーンに独自の色彩を加えました。彼らの音楽は、時代の変化を超えて、今なお多くの人々に愛されています。
2025年現在、メンバーは70代半ばを迎え、大規模な活動は難しいかもしれません。しかし、彼らが残した「神田川」「なごり雪」「ひとりきり」などの楽曲は、春の桜、夏の川辺、秋の紅葉、冬の雪景色とともに、聴く者の心に寄り添い続けます。かぐや姫は、日本の音楽史に永遠に輝く「竹取物語」のような存在として、これからも語り継がれることでしょう。
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