今日は、小泉今日子さんの誕生日です。
今日(2025.2.4)は小泉今日子さん(1966年生まれ)の59才の誕生日です。
おめでとうございます。
キョンキョンも来年還暦ですか!!改めて月日の経つのはなんと早いことですなぁ!
今日の紹介曲:『木枯らしに抱かれて』-小泉今日子
次の動画は、当時の本当に初々しいキョンキョンです。
次は、作詞作曲をした高見沢さんが歌う動画です。やはり、歌謡曲っぽくはないです!
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60~ |
曲のリリース | 1987 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
初めて聴いたのは、売れ出してすぐでしょうね。
別にキョンキョンファンでもなければ、歌謡曲ファンでもない僕も、この曲は一度聴いただけで、感じるものがありました。後に作詞作曲がアルフィーの高見沢さんと訊いて、なるほどと頷いたものです。
やっぱ単なる歌謡曲とは一線画す感覚がありました。(ホントかよ!?)
でもほんとに大好きな曲でした。
小泉今日子『木枯らしに抱かれて』——冬の風に吹かれた昭和ロマンス
「木枯らし」という言葉を聞くと、日本人なら誰しもが肌を刺すような冷たい風や、心に沁みる寂しさを思い浮かべるのではないでしょうか。そんな冬の情景をそのまま音楽に乗せたのが、小泉今日子の名曲『木枯らしに抱かれて』です。
1986年にリリースされたこの楽曲は、フジテレビ系アニメ『愛少女ポリアンナ物語』のエンディングテーマとしても使用され、多くの人々の耳に残る一曲となりました。作詞・作曲を担当したのは、日本のロック界のレジェンド 高見沢俊彦(THE ALFEE) です。この楽曲は、アイドルとして人気絶頂だった小泉今日子(キョンキョン)にとって、新たな音楽的な一歩を象徴する作品となりました。
それでは、『木枯らしに抱かれて』の魅力を、昭和の恋愛風景を交えながら、少しユーモラスに掘り下げていきましょう。
昭和の恋はスマートではないけれど、エモーショナル

現代の恋愛は、LINEで気軽にメッセージを送り、SNSで相手の近況をチェックし、何なら既読スルーひとつで心が揺れます。しかし、昭和の恋愛はそう簡単にはいきませんでした。好きな人に会いたければ、公衆電話に10円玉を入れ、相手が家にいることを祈るしかありませんでした。しかも、運悪く相手の母親が電話に出てしまい、「どちら様?」と聞かれた瞬間に慌てて切るという、あの絶望感は今となっては味わえないものです。
そんな昭和の恋愛の情景が、『木枯らしに抱かれて』の歌詞にも色濃く反映されています。「風の街に ひとりでいても 寂しくなんかないと」という趣旨の歌詞は、まるで当時の女性たちが、失恋しても「私は大丈夫」と強がっていた姿そのものです。しかし、本当は寂しくて、木枯らしが吹くたびに過去の恋を思い出す。そんな「強がりと本音のせめぎ合い」こそ、昭和ロマンスの美学だったのではないでしょうか。
高見沢俊彦×小泉今日子——ロックとアイドルの融合
THE ALFEEの高見沢俊彦といえば、日本を代表するギタリストであり、数多くの楽曲提供を手掛けてきたアーティストです。『木枯らしに抱かれて』もまた、高見沢が作詞・作曲を手がけた楽曲のひとつです。
この曲がユニークなのは、ロック色の強い楽曲ながら、小泉今日子というアイドルが歌うことで、絶妙なポップ感と女性らしい切なさが加わっている点です。高見沢らしいメロディアスな展開とドラマティックなアレンジが、小泉今日子の軽やかで少しハスキーな歌声と絶妙にマッチしています。
アイドルが歌うバラードには、どうしても「可愛らしさ」や「儚さ」が求められがちです。しかし、『木枯らしに抱かれて』にはそれだけではなく、どこか 芯の強い女性像 も浮かび上がります。それが、小泉今日子というアーティストの個性とも相まって、単なる失恋ソングを超えた魅力を生み出しているのです。
昭和ポップスのサウンドが生むノスタルジー
80年代のポップスには、独特の「温かみ」があります。デジタルシンセの透明感ある音色と生楽器の絶妙なバランスが、ノスタルジックな雰囲気を作り出します。『木枯らしに抱かれて』も例外ではなく、イントロのシンセサイザーの響きと、ギターの柔らかな旋律が、まるで冬の風のように心に染み渡ります。
特にサビの「木枯らしに抱かれて」というフレーズに向かって盛り上がるメロディーは、木枯らしが吹き荒れるような切なさを感じさせます。しかし、それが決して悲観的ではなく、どこか前向きな雰囲気を持っているのは、小泉今日子の歌声の影響が大きいでしょう。
歌詞が映し出す昭和の恋愛ドラマ
「風の街に ひとりでいても 寂しくなんかないと」
この歌詞を見て、「いや、絶対寂しいでしょう!」とツッコみたくなる人もいるかもしれません。しかし、それこそが昭和の恋愛の奥ゆかしさなのです。昔の女性たちは、泣きながらも「私は大丈夫」と言い張りました。そして、誰もいない部屋でレコードをかけながら静かに涙を流す——そんなドラマチックな風景が目に浮かびます。
昭和の恋愛ドラマに欠かせないのは、「電話ボックス」「公衆電話」「改札口での別れ」といったシチュエーションです。『木枯らしに抱かれて』には、こうした昭和の風情が漂っています。まるで映画のラストシーンのような情景を思い浮かべながら聴くのが、この曲の楽しみ方のひとつなのかもしれません。
現代における『木枯らしに抱かれて』の魅力
昭和のポップスが再評価される中、『木枯らしに抱かれて』も再び注目を浴びています。特に、YouTubeやストリーミングサービスで簡単に聴けるようになったことで、若い世代にも響く楽曲になっています。
最近の失恋ソングは、「泣いて忘れる」か「次の恋に進もう!」という前向きなものが多いです。しかし、この曲は「本当は寂しいけど、大丈夫なふりをする」という絶妙な感情を描いています。この “曖昧な感情の表現” こそが、現代のリスナーにも共感を呼ぶポイントなのかもしれません。
まとめ——冬の風に吹かれながら聴く名曲
『木枯らしに抱かれて』は、単なる失恋ソングではなく、昭和の恋愛の美学と、強がる女性の健気な姿を映し出しています。そして、それを歌う小泉今日子の声が、より一層のリアリティを与えています。
冬の冷たい風が吹く季節にこの曲を聴くと、昭和の街角の風景が頭に浮かぶかもしれません。改札口で別れを惜しむ恋人たち、公衆電話の前で涙をこらえる女性、ひとり歩く寒い夜道——そんな情景が、木枯らしのように心に染み渡ります。
失恋しても、木枯らしに吹かれながら歩き続ける。それが昭和のロマンスです。
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