【11月18日】は、森進一さんの誕生日-『襟裳岬』を紹介!

今日は、森進一さんの誕生日です。

今日(2024.11.18)は森進一さんの 77才の誕生日(1947年生まれ)です。おめでとうございます。

今日の紹介曲:『襟裳岬』-森進一

最後は、拓郎バージョンで!!谷村新司さんとコラボをやってます。

僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫

My age小学校中学校高校大学20代30代40代50代60~
曲のリリース 1974       
僕が聴いた時期        

僕が中学三年生の冬でした。

最初聴いたときは、あれ森進一らしくない曲だなと思ったものです。そもそも彼は演歌歌手だったと思います。なので吉田拓郎が作曲した曲と知り納得しました。

どこからどう聴いても吉田拓郎ですよね。

森進一も歌はうまいと思いますが、やはり僕は拓郎の方がいいですね。森進一は、「おふくろさん」とは「女のため息」あたりの印象が強いです。

森進一の『襟裳岬』—その魅力と知られざるエピソード


『襟裳岬』(えりもみさき)は、1974年1月15日にリリースされた森進一の29枚目のシングルで、日本の音楽史において重要な位置を占める名曲です。作詞は岡本おさみ、作曲は吉田拓郎が手掛け、演歌とフォークソングの要素が見事に融合したことで新しい音楽の可能性を切り拓いた作品として知られています。

曲の魅力と聴きどころ

『襟裳岬』の最大の魅力は、北国の厳しい自然と人間の心情を鮮やかに映し出した歌詞と、耳に残る深いメロディーにあります。冒頭の「♪襟裳の春は何もない春です」というフレーズは、一見すると寂しさを感じさせる表現ですが、裏には困難な環境の中でも力強く生きる人々への敬意と、未来への希望が込められています。この対比が、多くの人々の共感を呼ぶ理由となっています。

森進一の力強くも哀愁を帯びた歌声は、この曲の感情的な深みをさらに引き立てています。特にサビ部分では、彼のボーカルが持つ独特の響きが際立ち、まるで聴く者の胸に直接訴えかけてくるかのようです。演歌の情感とフォークの素朴さが見事に調和したこの楽曲は、当時のリスナーだけでなく、現在に至るまで多くの人々に愛されています。

制作背景とエピソード

『襟裳岬』は、日本ビクターの創立50周年記念として制作されました。当初、この曲はB面として収録される予定でしたが、森進一がその歌詞とメロディーに強く惹かれ、自らの提案で両A面としてリリースされることになりました。この判断が功を奏し、結果的に大ヒット曲となったのです。

作曲を手掛けた吉田拓郎は、当時フォークソング界で注目を集める若手アーティストでした。彼が演歌歌手である森進一に楽曲を提供するのは異例のことであり、このコラボレーションは大きな話題を呼びました。吉田拓郎は「自分が歌うよりも、森さんの歌声でこの曲が持つ世界観がさらに深まる」と確信していたと言います。森進一の表現力と吉田拓郎の楽曲が融合し、新たなジャンルの可能性を切り拓いたのです。

また、作詞を手掛けた岡本おさみは、実際に北海道の襟裳岬を訪れてからこの曲の歌詞を書き上げました。地元の漁師から「ここにはなんもないんだ」と言われた一言が彼の心に深く刻まれ、それが歌詞の中核となっています。襟裳岬で感じた風の冷たさや大自然の厳しさがリアルに反映されており、そのリアリティが聴く者を引き込む理由の一つとなっています。


リリースとその影響

1974年1月15日にリリースされた『襟裳岬』は、すぐに大きな反響を呼び、オリコンチャートでは週間6位を記録しました。年間ランキングでは1974年度で31位、翌1975年度でも77位にランクインし、その人気が長期間にわたって続いたことがわかります。この曲の成功は、森進一にとっても大きな意味を持ちました。

さらに、同年の第16回日本レコード大賞と第5回日本歌謡大賞の大賞を受賞し、名実ともに日本を代表する楽曲としての地位を確立しました。また、1974年のNHK紅白歌合戦では、この曲で白組のトリを務め、観客を感動の渦に包み込みました。

文化的影響と評価

『襟裳岬』は、吉田拓郎自身もセルフカバーを行い、自身のアルバムに収録するなど、自らの代表作として再解釈を加えています。この楽曲は、演歌とフォークの融合という新しいスタイルを提示し、音楽界に新たな潮流を生み出しました。

また、北海道の襟裳岬自体の知名度向上にも大きく貢献しました。この曲のヒットを機に、襟裳岬は観光地として注目を集めるようになり、地元にはこの曲を記念した碑や関連施設が設けられ、多くのファンが訪れるスポットとなりました。

知られざるエピソード

レコーディングの際、森進一は吉田拓郎のフォーク調メロディーに馴染むのに苦労したと言われています。演歌の歌い方とは異なるニュアンスが求められ、何度も試行錯誤を重ねる中で最終的に自分のものにしていきました。その結果、フォークと演歌の持つ要素が絶妙に交わった独特の歌唱スタイルが完成しました。

さらに、森進一が「この曲は自分の新しい挑戦の象徴」として位置づけていたことも興味深いポイントです。従来の演歌から一歩踏み出し、フォークの要素を取り入れることで、より幅広いリスナー層にアプローチすることを目指していました。

また、岡本おさみが歌詞を書く際に強く意識していたのは、「風の音」や「寒さ」といった自然のリアルな要素をそのまま言葉にすることでした。そのため、歌詞からは襟裳岬の風景が目に浮かぶような情景描写が展開され、聴く者をその地に連れて行くような感覚を与えます。

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