今日は、今陽子さんの誕生日です。
今日(2024.11.1)は今陽子さんの73才の誕生日です。おめでとうございます。
今日の紹介曲:『恋の季節』-ピンキーとキラーズ
恐らくこの動画はデビュー当時のものですね。
そして次の動画は、割と最近のようですね。今陽子さんはお化粧もあり若く見えますが、周囲のコーラス部隊は皆おじいちゃんですね( ;∀;)
僕がこの曲を初めて聴いたのは・・・♫
My age | 小学校 | 中学校 | 高校 | 大学 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60~ |
曲のリリース | 1968 | ||||||||
僕が聴いた時期 | ● |
小学校4年生の頃ですね。
当時娯楽と言えば、本や雑誌以外は、テレビとラジオしかなかったです。
テレビで連日彼女を見ていた気がします。元気溌剌!さわやかな印象が今も思い出されます。
彗星のごとく登場
1968年7月20日、ピンキーとキラーズの「恋の季節」が日本の音楽シーンに彗星のごとく登場しました。このデビューシングルは、オリコンチャートでなんと17週連続1位という驚異的な記録を打ち立て、日本初のダブルミリオンシングルとして今も語り継がれています。
この一曲で彼らが築いた伝説は、時代を超えて語り継がれています。シンプルでありながらも独特のリズム感とメロディ、そして心に残る歌詞が、日本中の人々を魅了したのです。さて、この名曲「恋の季節」には、一体どんな秘密が隠されているのでしょうか?
シンプルなメロディが生む魔法のような魅力

「恋の季節」の魅力を語るうえで外せないのが、そのシンプルかつキャッチーなメロディラインです。この曲はAメロとサビだけで構成される潔さが特徴で、余計な装飾を排したシンプルな美しさがあります。ボサノヴァのリズムを取り入れた軽やかなサウンドは、どこか異国情緒を感じさせ、当時の日本の音楽シーンにはとても新鮮でした。
このシンプルさがかえって新鮮で、多くのリスナーが「恋の季節」に夢中になりました。耳に残りやすく、思わず口ずさんでしまうようなメロディは、聴く者の心に直接響きます。当時のリスナーたちがこのシンプルさに魅了され、どこでも誰でも「恋の季節」を口ずさんでいたという話もあります。「シンプルだからこそ深い」その美学が、50年以上経った今も愛され続けている理由なのでしょう。
歌詞に秘められた「夜明けのコーヒー」のエピソード
「恋の季節」の歌詞を手掛けたのは、日本を代表する作詞家・岩谷時子。彼女が描いた歌詞の中でも「夜明けのコーヒー」というフレーズが印象的です。実は、このフレーズにはちょっとしたエピソードがあるのです。岩谷時子は、当時親交の深かった越路吹雪とある日、夜が明けるまで恋の話に花を咲かせ、その際に越路が「夜明けのコーヒーって、なんだか切ないよね」と話していたのをきっかけに、このフレーズを歌詞に盛り込んだのだとか。
「夜明けのコーヒー」という言葉には、恋愛の終わりの予感や過去の恋心への郷愁が感じられます。恋の甘さと切なさが交錯するこの表現は、女性の繊細な感情を見事に表現しており、歌詞全体に深みを与えています。このような何気ない言葉の選び方が、聴く人の心に強く訴えかけ、普遍的なメッセージとなっているのです。
サビの「恋は 私の恋は」──感情の高まりを感じる瞬間
「恋の季節」の最大の聴き所といえば、やはりサビの「恋は 私の恋は 空を染めて 燃えたよ」というフレーズでしょう。このフレーズが放つ情熱と切なさの高まりが、聴く者を一瞬で引き込み、胸を締め付けるような感覚を呼び起こします。まるで過去の恋愛が一気によみがえるかのような力があり、聴く人それぞれにとっての「恋の季節」を思い出させてくれます。
この部分の歌詞が放つエネルギーには、ただの恋愛ソングを超えた「生きる喜びと悲しみ」が感じられます。そして、バックバンドの演奏もまた、この曲をより印象的にしているポイントです。1960年代のポップススタイルが色濃く反映されたサウンドは、聴くだけで当時の日本の音楽シーンの熱気が伝わってくるような気がします。ギターやベースのリズム感が全体の軽快な雰囲気を引き立て、まさに「聴いて楽しい」一曲です。
「恋の季節」は偶然の産物だった?
実は「恋の季節」は、ピンキーとキラーズのために作られた曲ではありませんでした。この曲は元々、遠藤周作が出演していたテレビ番組『こりゃアカンワ』のコーナー「今月の歌」で使うために、作曲家いずみたくと作詞家岩谷時子によって制作されました。当初は「恋の五月」というタイトルで、倍賞美津子が歌う予定だったのです。(*_*;
しかし、運命の巡り合わせで、この曲は最終的にピンキーとキラーズのデビューシングルとして世に出ることに。もしも「恋の季節」が倍賞美津子の手でリリースされていたら、今のような伝説的なヒットにはならなかったかもしれません。偶然の中にこそ奇跡があるとは、まさにこのことです。
ピンキーとキラーズの結成秘話と名前の由来
ピンキーとキラーズは1968年に結成された音楽グループで、リーダーを務める今陽子(愛称:ピンキー)を中心に、彼女を支える男性メンバーたちで構成されています。当時ソロ歌手として活動していた今陽子ですが、なかなか成功を掴むことができず、いずみたくのアイデアで「ピンキーとキラーズ」として再スタートを切ることになりました。
「ピンキー」という名前は今陽子の愛称から、「キラーズ」は彼女を支える男性メンバーを指しています。グループ名には、「主役のピンキーをキラーズが支える」という意味が込められているのでしょう。このユニークなグループ名もまた、彼らの存在を際立たせ、音楽シーンでの成功に貢献した要因の一つと言えます。
今陽子が語る「恋の季節」への複雑な思い
意外なことに、今陽子は「恋の季節」に対して複雑な思いを抱いていたそうです。彼女は「シンプルすぎて歌いこなすのが難しい」と話していたとか。当時、今陽子はジャズ音楽からキャリアをスタートさせていたため、より複雑なメロディラインを持つ楽曲に馴染んでいたのです。彼女にとっては、シンプルなメロディを正確に歌うことが逆に難しかったようです。
実際、彼女は「涙の季節」という、よりメロディアスでジャズに近い楽曲の方が歌いやすかったと振り返っています。しかし、皮肉なことに、このシンプルな「恋の季節」がピンキーとキラーズの代表曲となり、今陽子の名前を日本中に知らしめるきっかけとなったのです。シンプルさの奥にある奥深さを、彼女自身も後年になって感じるようになったのかもしれません。
永遠に愛される「恋の季節」
「恋の季節」は昭和の日本で生まれた楽曲でありながら、そのメッセージは今でも多くの人に響き、時代を超えた普遍的な魅力を放っています。この一曲には、ピンキーとキラーズの物語や、1960年代の日本の音楽シーンの情熱が凝縮されています。
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