🎧 この記事を音声で楽しむ
🎵 日本語ナレーション
再生ボタンを押すと、この記事の内容を日本語音声で聞くことができます。
🎶 英語ナレーション
この記事の英語ナレーションを聞くことができます。
※ 先に音声を聞いてから本文を読むと、楽曲の背景や評価のポイントをより立体的に理解できます。
第9位は『ひこうき雲』です
僕がこの第9位に選んだのは、1973年に発表されたデビューアルバムの表題曲、『ひこうき雲』です。
ユーミンの全楽曲の中でも、これほどまでに「純粋」で、「完成」された一曲は他にないかもしれません。
この曲は、単なる名曲という枠を超え、聴く者の死生観を静かに、しかし根本から揺さぶる力を持っています。空を見上げるという日常の動作を、これほどまでに切なく、それでいて神聖な儀式に変えてしまった荒井由実の感性には、ただ脱帽するしかありません。

この曲が世に出た1973年、僕はまだ中学生でした。当時はこの曲の持つ「死」の深淵までは理解できていなかったかもしれません。しかし、ラジオから流れてくるあの透明なイントロは、子供心にも「何かとてつもなく美しい、触れてはいけないもの」がそこにあることを告げていました。
その後、大学時代を過ごした町の空や、現役時代にふと見上げたビル風の空。人生の岐路で一筋の白い雲を見つけたとき、このメロディが流れてくることがありました。つもそれは失われていったものたちへの、静かなレクイエムのようでもありました。
超訳
あの子はもう、この地上にはいない。白い坂道を登り切り、陽炎に包まれて空へと溶けていった。
早すぎる死を嘆く周囲の声も届かないほど高く、あの子の魂は一筋の白い雲になって、今も蒼穹を駆け抜けている。
「不幸だった」なんて誰にも言わせない。
ただ空に恋い焦がれ、高い窓から見ていた夢の先へ、あの子は迷わず羽ばたいていったのだから。
まずは公式音源でお聞きください
バロック音楽を思わせる厳かなピアノの旋律と、どこか東洋的な無常観を湛えたメロディ。装飾を削ぎ落とした、荒井由実の「剥き出しの才能」が刻まれています。
■ 日本語クレジット
曲名:ひこうき雲
アーティスト:荒井由実
作詞・作曲:荒井由実 / 編曲:荒井由実、キャラメル・ママ
リリース:1973年
■ 2行解説
夭折した少年への鎮魂歌として書かれた、ユーミンのデビューアルバムのタイトル曲。ジブリ映画『風立ちぬ』の主題歌としても再脚光を浴びた、日本のポップス史に燦然と輝く名作。
1973年の衝撃:日本の空に「ひこうき雲」が刻まれた日
「死」を美学へと昇華させた19歳の視座
1973年。当時の日本の音楽シーンは、まだ四畳半フォーク(例えば「かぐや姫」など)の泥臭い情緒が主流でした。そんな中、彗星のごとく現れた荒井由実(結婚前の名前です)が歌ったのは、あまりにも「透明な死」でした。
この曲の最大の特徴は、若くして命を落とした人物を憐れむのではなく、その魂が空へと同化していくプロセスを、まるで美しい風景のように描写した点にあります。

僕たちは大人になる過程で、多くの別れを経験します。しかし、それらは常に湿り気を帯びた「悲劇」として記憶されがちです。
ユーミンは、死を「上昇」として捉えました。白い坂道を登り、陽炎に包まれ、何も恐れずに空へ舞い上がる。その視線の高さは、地上の喧騒から遠く離れた、悟りのような静寂に満ちています。
中学時代の記憶と、後に重なる景色
19歳だった彼女が紡いだこの言葉を、中学生だった僕は背伸びをしながら聴いていました。当時は「かっこいい大人の音楽」だと思っていましたが、今振り返れば、彼女が描き出す「高い窓」は、若さゆえの万能感と、それと表裏一体の孤独を象徴していたのだと分かります。
後に僕が大学時代を過ごした東京の街角や、井の頭線の線路沿いで見た空。そこには、あの頃ラジオから流れていた『ひこうき雲』の続きがあるような気がしてなりませんでした。まだ何者でもなかった自分。将来への不安と、根拠のない希望。ユーミンの歌声は、そんな僕たちの不安定な日常を、いつでも「永遠」へと繋いでくれたのです。

キャラメル・ママとの邂逅:音像が作る「湿度のない悲しみ」
『ひこうき雲』の素晴らしさは、その編曲にもあります。細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆による伝説的バンド「キャラメル・ママ」がバックを務めたことで、この曲は永遠の命を吹き込まれました。
イントロのピアノ、そして重厚でありながら軽やかなベースライン。当時の日本の音楽にありがちだった「情緒過多」な湿り気が、ここには一切ありません。乾いた、それでいて奥深い響きが、空へと消えていくひこうき雲の軌跡を完璧に表現しています。
編曲の時代感を超えた普遍性
今の時代にこの音源を聴き返しても、全く古さを感じさせないのは驚異的です。むしろ、デジタルな音が溢れる現代において、この有機的な楽器の響きは、より一層の切実さを持って響きます。
ピアノのアルペジオが刻むリズムは、まるで空へと続く階段のようです。彼女の歌声は、決して上手さを誇示するものではなく、どこか震えるような危うさを持ちながら、まっすぐに空へと突き抜けていきます。この「声」と「音」の幸福な出会いがあったからこそ、『ひこうき雲』は単なる流行歌ではなく、日本人のDNAに刻まれる聖歌となったのです。
時代を象徴するサウンドの奥行き
1973年、あの静寂の中で鳴っていた音
この曲が収録されたアルバム『ひこうき雲』が発売された1973年は、戦後の高度経済成長が終焉を迎え、日本全体がどこか「喪失感」を抱き始めていた時期でもありました。
そんな中、ユーミンは個人的な死の体験を、これほどまでにスタイリッシュで普遍的なサウンドで世に送り出しました。松任谷正隆さんらによる都会的な洗練を極めた音像が、かえって孤独の輪郭を鮮明に浮き上がらせます。

当時の僕たちは、この曲を新しい時代の到来を告げるBGMとして聴いていたかもしれません。しかし、あれから数十年の時を経て、人生の「夕映え」の時刻を歩む今の僕にとって、この音は当時よりもずっと深く、リアリティを持って身体に染み渡ります。
編集後記:ひこうき雲の先にあるもの
第9位に『ひこうき雲』を選ばせていただきました。
皆さんは今日、空を見上げましたか?
もし、そこに一筋のひこうき雲を見つけたのなら、それはかつて私たちの側を通り過ぎていった大切な誰かからの合図かもしれません。
「不幸だった」と決めつけるのではなく、その人が精一杯に憧れ、駆け抜けた軌跡を、静かに肯定してあげること。この曲を聴くたびに、僕はそんな優しさを取り戻せるような気がしています。
次にこの曲を耳にする時、あなたの心の空にも、一点の曇りもない青空が広がっていることを願っています。


コメント