■【エリック・クラプトン】について、詳しくはこちらをご覧ください。・・・・
➡エリック・クラプトン物語 ― 栄光と試練のギターレジェンド!
🎸【エリック・クラプトン編】第8位『My Father’s Eyes』です。
第8位は『My Father’s Eyes』(父の目)です。
父と自分、自分と子供。メロディーとともに、歌詞の内容まで観察していくと、涙なしでは聴けなくなりそうな曲です。クラプトンの人生は、まさに波乱万丈。僕ら一般人には想像できない過去を持っていますが、それでも、僕にも父がいましたし、子供や孫がいます。そうした心の揺れは感じることができると思います。
超約
失われた父への想いと、父としての自覚が交錯する歌。
癒しを求め、喪失と再生をくり返すなかで、主人公は“父の目”に自身の存在の意味を見いだす。
かつての痛みが、次の世代へのまなざしに変わっていく。
その瞬間こそ、彼が「父の目」を必要とした理由であり、クラプトン自身の祈りの形でもある。
🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。
🎬 公式動画クレジット(公式音源)
『My Father’s Eyes』 – Eric Clapton
Provided to YouTube by The Orchard Enterprises
収録アルバム:Pilgrim(1998年3月10日リリース)
© 1998 EPC Enterprises, LLP. Under exclusive license to Surfdog Records
Producer:Eric Clapton
🎵 2行解説
クラプトンが亡き父と失った息子への想いを重ね、魂の再生を描いた名曲。
アルバム『Pilgrim』の中でも最も内省的で、祈りに満ちたバラードとして知られる。
✅ 公式クレジット(YouTube公式情報より)
『My Father’s Eyes [Unplugged…Over 30 Years Later](Official Live Video)』 – Eric Clapton
Published on: 2025年4月18日
From ERIC CLAPTON UNPLUGGED...OVER 30 YEARS LATER
Label: Bushbranch / Surfdog Records
Recorded originally at Bray Studios, Windsor, England(1992)
© Bushbranch/Surfdog Records — Enhanced Edition
🎵 2行解説
1992年の“Unplugged”セッションを再構築した30周年記念版。
アコースティックならではの深みと静けさが、父と息子をめぐる祈りの歌詞にいっそうの温度を与えている。
✅ 公式クレジット(YouTube公式情報より)
『My Father’s Eyes [Live Video Version]』 – Eric Clapton
© 2007 WMG (Warner Music Group)
収録:My Father’s Eyes [Live Video Version]
公開日:2009年10月27日
Official Artist Channel:Eric Clapton
🎵 2行解説
エリック・クラプトンがライブで披露した「My Father’s Eyes」の代表的映像。
スタジオ版よりも力強く、ギターとボーカルの緊張感が曲のテーマをいっそう際立たせている。
リリースと背景に宿る「もう一つの祈り」
『My Father’s Eyes』は1998年、アルバム『Pilgrim』に収録されました。
このアルバムは彼の長いキャリアの中でも特異な作品で、サウンドの多くをデジタルリズムとサンプラーが支えています。
グラミー賞「Best Male Pop Vocal Performance」を受賞し、世界中のファンに“新しいクラプトン像”を印象づけました。

父を知らぬ少年が、父となった瞬間
クラプトンは幼い頃、実父を知らぬまま成長しました。
そして1991年、息子コナーを事故で失う――その喪失が彼の人生を根底から変えます。
『Tears in Heaven』が「悲しみの告白」だったとすれば、『My Father’s Eyes』は「赦しと再生」への第一歩です。
“When I look in my father’s eyes.”
― その視線の先には、亡き父と息子、そして自分自身がいる。
彼にとって「父の目」は、過去と未来をつなぐ象徴でした。

歌詞の中を流れる“二重の喪失”
「王子を待つ」導入の寓話性
〈Sailing down behind the sun, Waiting for my prince to come.〉
太陽の裏側を航海し、王子を待つ――という幻想的な一節。
ここでの“王子”は失われた父であり、同時に天へ旅立った息子でもあります。
現実と夢の狭間で、彼は二人の“面影”を探しています。
“癒しの雨”と“贖罪”のテーマ
〈Praying for the healing rain to restore my soul again〉。
魂を癒す雨への祈りは、長年クラプトンを支配してきた罪悪感の象徴。
依存症との戦いを乗り越えた彼が、ようやく「自分を許す」段階に辿り着いたことを示しています。

音に宿る静寂の表現
電子音が描く「距離感」
『Pilgrim』の全編を通して感じられるのは、人工的な音の“冷たさ”です。
『My Father’s Eyes』でも、ドラムは打ち込み、ベースは滑らかなシンセ。
かつての生々しいギター・ブルースとは対照的です。
しかし、ここでの冷たさは“感情の欠如”ではなく、“過去との距離”を表しています。
あまりに深い悲しみをそのまま出すのではなく、静かな電子の響きの中に閉じ込める。
その抑制こそが、成熟したクラプトンの感情表現でした。

ギターよりも“声”で描いた心の風景
70年代の彼が“ギターで叫ぶ”ことで心を表現していたのに対し、この曲では声そのものが中心にあります。
息を押し殺すような低い声、ゆるやかなフェード。
それはもはや“技巧のギターリスト”ではなく、“人生を語るシンガー”の姿です。
“父の目”が意味するもの
「許し」と「継承」のまなざし
サビの〈My father’s eyes〉という反復は、単なる愛情表現ではありません。
それは“自分を見守る存在”への憧れであり、“自らが誰かを見守る役割”への決意です。
クラプトンは、自分が息子を見つめるとき、初めて「父の目」を理解したと言います。
彼にとっての救いは、天上の父ではなく、地上に残された“まなざしの記憶”でした。
内省と悟りのサイクル
歌詞の終盤では、〈Bit by bit, I’ve realized〉という表現が繰り返されます。
“少しずつ、気づく”――そのプロセスこそがこの曲の核心です。
悲しみは突然癒えるものではなく、時間と気づきの積み重ねの中で輪郭を変えていく。
それを受け入れる姿勢が、クラプトンを“ブルースの父”から“人生の語り部”へと変えました。

“涙”の先にある光
『Tears in Heaven』が“喪失の涙”を描いた作品だとすれば、『My Father’s Eyes』はその後に訪れる“静かな再生”の歌です。
二つの曲は異なるステージを表しています。
前者は悲しみを吐露する夜、後者は夜明けの祈り。
アルバム『Pilgrim』全体を通じて、クラプトンは“痛みを音楽に変える”作業を続けています。
『My Father’s Eyes』はその象徴として、沈黙と響きのあいだに希望を灯す楽曲となりました。
父を知らず、父となった男の祈り
人生の途中で失うものが多いほど、人は“誰かの目”を求めるもの。
クラプトンはその真実を、壮大なギターソロではなく、ひとつのフレーズで伝えました。
“Bit by bit, I’ve realized that he was here with me.”
少しずつ、確かに。
彼の中には“父”が生きており、彼自身もまた“息子の中で生きる父”となった。
この曲は、その連鎖の証として、今も静かに胸を打ち続けています。

制作の背景にある“長い沈黙”と再出発
『Pilgrim』という異色のアルバム
1998年の『Pilgrim』は、クラプトンのキャリアの中で最も実験的な作品といわれます。
アコースティックでもブルースでもなく、デジタルリズムと打ち込みを軸にした構築的な世界。
ギターの英雄が「音を削ぎ落とす方向」に向かったのは、自分の感情を冷静に見つめ直したいという意志の表れでした。

アルバムの中心にある『My Father’s Eyes』は、彼が人生の喪失を整理し、もう一度前に進むための鍵でした。クラプトンは当時、「悲しみのあとに希望を描くには時間が必要だった」と語っています。
“沈黙”の7年間がもたらした変化
『Unplugged』(1992)で心の傷をさらけ出したのち、クラプトンは音楽活動を一時的に減らし、依存症の治療や家族との再出発に専念しました。
その結果として生まれた『Pilgrim』は、過去と現在をつなぐ“人生の報告書”のような作品でした。
ステージでの表情 ― 痛みから受容へ
初期のライブに見られる緊張感
1998年のツアーで披露された『My Father’s Eyes』は、スタジオ版よりも深い感情を帯びていました。
演奏の冒頭、アルペジオが響くと観客は息をひそめ、クラプトンはほとんど表情を変えずに歌い出します。
彼は悲しみを誇張せず、静かに曲の中に沈んでいく。
それは“乗り越える”ではなく、“受け止める”という姿勢でした。
ステージ映像では、彼がときおり上を見上げる瞬間があります。
その視線の行方は、父でもあり、息子でもあり、もう一人の自分でもあります。

後年の封印 ― 終わった痛みと生きる記憶
2003年を境に、クラプトンはこの曲をセットリストから外しました。
彼は理由を語らなかったものの、ファンの間では「もう痛みを再現する必要がなくなった」と理解されています。悲しみが消えたわけではない。
ただ、それを“作品”としてではなく、“生きた時間”として胸の中に置くようになったのです。
映像に映る「光」と「視線」の物語
『My Father’s Eyes』は、これまでにいくつかの映像版が発表・共有されています。
そのいずれもが、派手な演出ではなく、穏やかな色調や人物の表情を通して“父を想うまなざし”を表現している点で共通しています。
クラプトンはカメラの前で誇張を排し、淡々と歌う姿を見せます。
そこに映るのは、喪失を背負いながらも前を向こうとするひとりの父親の姿です。

映像の細部は複数存在しますが、曲そのものが持つ「視線」という主題――
つまり、“誰かを見つめ、同時に自分を見つめる”という循環が、どのバージョンにも流れています。
その意味で『My Father’s Eyes』は、聴覚だけでなく“見ること”によっても語られる作品だといえます。
コーラスが示す“時間の重なり”
サビでは、自分の声を多重に重ねています。
過去の父、自分、そして息子。
三世代の記憶が音の層となって響き、まるで時間の縦糸がゆっくりと織られていくようです。
感情を押し込めた構成でありながら、その奥に確かな温度が宿っています。

受け継がれた共鳴 ― 聴く者の人生へ
聴き手に映る“もう一つの父”
『Tears in Heaven』と並び、ファンの間ではこの曲を「クラプトンの最も個人的な作品」と評する声が多くあります。
華やかな技巧ではなく、人生の重みを静かに映し出す曲。
それが聴く者に“自分の記憶”を呼び起こします。
父を亡くした人、子を失った人、家族を遠くに置いた人――
それぞれの心にある“空席”が、この曲を通して少しずつ形を変えていくのです。
評価の変遷と現在の位置づけ
発売当時、英米の批評家は『Pilgrim』を冷淡に受け止めました。
しかし時が経つにつれ、『My Father’s Eyes』の精神性が見直され、「クラプトンが人間として最も誠実だった瞬間」と評されるようになりました。
派手なギターソロではなく、彼の声そのものが真実を語っていると評価されたのです。

結び ― “父の目”を探す旅の終着点
『My Father’s Eyes』は、失われたものを悲しむ歌ではありません。
それは、愛や命がどのように受け継がれていくかを描く歌です。
クラプトンは、父の目を知らずに生き、息子を失い、そしてようやく気づきました。
“Bit by bit, I’ve realized that he was here with me.”
少しずつ、確かに。
その気づきは、彼だけの物語ではなく、聴く者自身の記憶を映す鏡でもあります。
聴く者にとっても、この曲は「誰かを思い出す瞬間の歌」です。
失われた絆を悔やむのではなく、静かに確かめる――
その眼差しの中に、希望の光がわずかに差しています。
🎵 Eric Clapton – “My Father’s Eyes” (Official Music Video, 1998 / Warner Reprise)
クラプトン後期の代表作。
デジタルサウンドとアコースティックの融合が見事に調和した、祈りと再生の一曲。

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