🎸僕の勝手なBest10【ミッシェル・ポルナレフ編】- 第3位『悲しみのマリー』をご紹介!

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🎸【ミッシェル・ポルナレフ編】第3位『悲しみのマリー』!

僕の勝手なBest10【ミッシェル・ポルナレフ編】も、残すところあと3曲となりました。
第3位は、『悲しみのマリー』です。

華やかなヒット曲の印象が強いミッシェル・ポルナレフですが、その作品群には深い影を帯びたものもあります。『悲しみのマリー(J’ai du chagrin, Marie)』はその代表であり、短い演奏時間の中に喪失の重さを閉じ込めています。明るさと陰影を同時に抱え込む彼の二面性を理解するうえで、欠かすことのできない楽曲です。

🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。

🎬 公式動画クレジット(公式音源)
曲名:J’ai du chagrin Marie
アーティスト: Michel Polnareff

℗ 1968 Semi / Meridian
収録アルバム:Nos Maux Mots D’Amour
作詞作曲:Jean-Loup Dabadie, Michel Polnareff
YouTube公開日:2018年11月24日(提供:Universal Music Group)
📖 2行解説
1968年のアルバム収録曲で、ポルナレフと作詞家ジャン=ルー・ダバディのコラボによる抒情的バラード。
繊細なメロディと歌詞の響きが、時代を超えてリスナーに切なさを伝える一曲です。

リリースと流通

発売の経緯

この曲は1968年11月、フランスのDisc’AZレーベルから発売されたEP『Pourquoi faut-il se dire adieu?(なぜ僕たちはさよならを言わなければならないのか?)』に収録されました。収録曲はA面に「Pourquoi faut-il se dire adieu?」と「Ring-a-ding(リンガディン)」、B面に「J’ai du chagrin, Marie(悲しみのマリー)」と「L’affreux Jojo(いじわるなジョジョ)」という4曲構成です。つまり本作はB面曲として位置づけられていました。

各国での展開

同年、ドイツなど複数の国では7インチシングルとしても発売され、その場合は『悲しみのマリー』がA面に置かれることもありました。さらに1974年、日本でも「J’ai du chagrin, Marie(My Friend/悲しみのマリー)」のタイトルでシングルがリリースされます。作詞はジャン=ルー・ダバディ、作曲はポルナレフ、編曲はジャン・クロードリック。スタッフを含めて当時のフランス音楽界の精鋭が集結した録音でした。


セールスとチャート

ベルギーでの健闘

売上の正確なデータは残されていませんが、ベルギー・ワロン地域のチャートで最高16位を記録し、10週間にわたりランクインしました。フランス本国では大ヒットに至らなかったものの、近隣諸国で一定の成果を上げたことがわかります。

日本での順位

日本での再発時にはオリコン週間ランキングで76位に入ったとされます。洋楽全般の枠では大きな成功とはいえませんが、当時のポルナレフの知名度やファン層を考えると健闘した結果でした。むしろ静かな反響が、この曲の性質をよく表しているともいえるでしょう。


歌詞の世界

二言語の交錯

歌詞はフランス語を基調にしつつ、ところどころで英語が挿入されます。「C’est dimanche, j’ai du chagrin(今日は日曜、でも僕は悲しい)」に続いて「I’m so sad ’cause I lost my friend(友を失って、とても悲しい)」が現れるように、言語を跨いで悲しみが表現されるのです。フランス語の叙情性と英語の直截さが交互に響き、むき出しの感情が生々しく伝わります。

失われた存在の輪郭

「Ce matin, il s’est endormi(今朝、彼は眠りについた)」「My friend ne jouera plus jamais(友はもう遊ばない)」「Il a emporté ses jouets(彼はおもちゃを持って行ってしまった)」といった描写から、失われた存在が幼い子どもであることが強く示唆されます。具体的な「おもちゃ」や「遊ぶ」という語彙は、聴き手の想像を鮮明に方向づけます。

マリーという名の意味

呼びかけられる「マリー」が誰なのかは明らかにされません。実在の女性の可能性、聖母マリアの象徴としての可能性、あるいは心の中で生み出された救いの幻影かもしれません。いずれにせよ、悲嘆に暮れる語り手が支えを求める対象として存在していることは確かです。


音楽的構成

ピアノと声の出発点

楽曲はピアノの分散和音から静かに始まります。歌声は抑制され、感情を押し殺したような響きで、日曜の朝の重い空気を思わせます。

ストリングスによる膨張

中盤に入るとストリングスが加わり、サウンドは厚みを増していきます。それに合わせて歌声も徐々に力を帯び、内に秘められていた感情が表に出てくるのがわかります。

悲しみの爆発

終盤では声が高まり、ついには「Marieee…」というファルセットが叫びに変わります。抑え込んでいた感情が一気に溢れ出す瞬間であり、聴き手もその奔流に飲み込まれてしまいます。録音は声を前面に配置し、残響は抑えめに処理されているため、言葉の切実さがより鮮明に届きます。


制作背景と時代空気

1968年フランスの社会状況

この曲が生まれた1968年は、フランス社会が大きく揺れ動いた年でした。五月革命に代表される学生運動が起こり、社会不安が広がる一方で、新しい若者文化が急速に形成されていました。音楽もまた変化の途上にあり、従来のシャンソンからロックやフォークの要素が取り入れられていきました。

ポルナレフの二面性

ポルナレフは「La Poupée qui fait non(シェリーに口づけ)」のような軽快なポップソングでスターとなりましたが、同時に『Le bal des Laze(ラズ家の舞踏会)』や『悲しみのマリー』のように、人間の暗部や死を題材にした作品も発表していました。明と暗が同居する作風が、彼を単なるアイドルではなくアーティストとして際立たせたのです。


同時代アーティストとの比較

国内での動き

同時期、フランスの音楽界ではセルジュ・ゲンスブールが挑発的な歌詞で世間を揺さぶり、フランソワーズ・アルディが内省的で詩的な歌を続けていました。彼らの作品は社会や恋愛をさまざまな角度から捉えていましたが、『悲しみのマリー』はそれらとは異なる次元にありました。社会批評でも恋の駆け引きでもなく、純粋に「喪失の痛み」だけを凝視しているのです。

国際的な潮流

イギリスではビートルズが「Let It Be」を発表し、世界的な祈りの歌として広まっていました。アメリカではボブ・ディランがフォークの枠を超えて社会や個人の感情を歌に変えていました。そうした国際的な潮流と比べると、『悲しみのマリー』は派手さこそないものの、ひとりの人間の心の奥に沈む痛みをそのまま提示する独自の位置を占めていたといえます。


日本での受容

邦題と発表の背景

1974年、日本でシングルとして発売された際には邦題「悲しみのマリー」が与えられました。サブタイトル的に「My Friend」と表記されることもあり、洋楽ファンにとっては親しみやすい形に整えられていました。当時の日本のリスナーは「シェリーに口づけ」や「愛の休日」のような明るい曲に慣れていたため、この曲の暗いトーンは意外性を持って受け止められました。

聴衆の反応

雑誌の記事では「ポルナレフの意外な一面」と紹介されることが多く、ラジオでも深夜帯に流されることがありました。オリコン76位という順位は小さな成功に見えるかもしれませんが、洋楽の中でも重いテーマを扱った作品がここまで受け入れられたこと自体が特筆されるべき点です。熱心なファンの間では「彼の本当の姿を見た気がする」と語られ、特別な位置づけを持つ曲となっていきました。


ライブでの扱いとファンの記憶

コンサートの中で

ポルナレフのステージでは常に披露される定番曲ではありませんでした。大きな会場で観客を盛り上げるには、どうしても「シェリーに口づけ」や「愛の休日」といった軽快な曲が求められたからです。しかし、そのぶん『悲しみのマリー』はアルバムやベスト盤の中で静かに力を発揮する曲として記憶されました。

後年の再評価

1990年代以降のCD復刻では必ず収録され、解説文でも「B面に隠れた傑作」と紹介されるようになりました。2000年代に入り、YouTubeで公式・非公式の映像が広まると、英語字幕や日本語訳付きで聴く新しい世代のファンが増えました。SNSでは「シンプルな言葉が心に突き刺さる」との感想が繰り返し投稿され、再評価が進んでいます。


作詞家ジャン=ルー・ダバディの存在

この曲の歌詞を手掛けたジャン=ルー・ダバディは、映画脚本や小説でも知られる多才な人物です。彼は人間の心の襞を丁寧に描くことで評価されていました。『悲しみのマリー』の歌詞にも、彼の繊細な筆致が現れています。おもちゃや庭といった身近な言葉を使いながら、そこに失われた命の気配を重ねる技法は、文学的ともいえるものでした。ポルナレフの音楽性とダバディの詩的感性が合わさることで、単なるポップソングを超えた作品が生まれたのです。


まとめ

『悲しみのマリー(J’ai du chagrin, Marie/悲しみのマリー)』は、商業的な大成功を収めたわけではありません。しかし1968年のリリースから半世紀以上を経ても、聴く者の心に訴えかける力を持ち続けています。歌詞に登場する「マリー」という存在は、特定の誰かに限定されず、聴く人それぞれが重ねられる普遍的な象徴です。喪失の悲しみを包み隠さず歌い、救いを求める祈りへと昇華させたこの曲は、ポルナレフのキャリアにおける影の名曲であり、人々の心を揺さぶる普遍的な芸術作品といえるでしょう。


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