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🎸僕の勝手なBest15【松山千春】編- 第13位『今日限り』
第13位は、『今日限り』です。
直近50年近くの中で、曲の一小節を繰り返し口ずさんだのは、おそらくこの曲が一番でしょう。解説にもありますが、「言い訳ばかりの毎日に さよならしたいね今日限り」、「強がりばかりの毎日に さよならしたいね今日限り」という歌詞は、自堕落な自分に言い聞かせるように何度も何度も口にしてきました。

僕の応援歌と言っても良い一曲で、大好きな楽曲です。
🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。
🎬 公式動画クレジット
提供元:ポニーキャニオン(Pony Canyon)
チャンネル:松山千春 - トピック
タイトル:「今日限り」
🗓️ YouTube公開日:2018年7月24日
📌 収録作品:『君のために作った歌』
📝 2行解説
松山千春が初期に書き下ろした、切実でまっすぐなラブソング。
深い思いを「今日限り」という決意の言葉に込めた、静かな名曲です。
見逃されがちな名曲の魅力
いつの間にか心に残っていた曲
「今日限り」は、1977年にリリースされた松山千春のファーストアルバム『君のために作った歌』にひっそりと収録された一曲です。
シングルにはなっていないし、チャートに登場するような派手さもありません。
でも、聴いた人の中には「あの曲、なんだか忘れられないんだよね」と感じてる方も多いのではないでしょうか。
耳に残るというより、心にスッと入り込んできて、知らないうちに居座ってる。
そんなタイプの、じんわり染みる名曲です。
松山千春にとっての『今日限り』
アルバム全体を下から支える“静かな芯”
当時の松山千春には、いまどきの都会的なカッコよさというよりも、北海道の風景がにじむ“生活者のリアルな視点”がありました。(今でもそうですよね!)
そして『今日限り』には、そうした初期の千春らしさが、ものすごく自然ににじみ出ているんです。

くり返される言葉にこめた想い
「今日限り」が何度も出てくるのには理由がある
この曲で何度も繰り返される「今日限り」というフレーズ。ただの口ぐせや繰り返しじゃありません。
そこには、毎日のなかで抱えたモヤモヤとか、ちょっと無理してる自分とか、誰かに合わせすぎて疲れてる気持ちが、じわっとにじんでるんです。
「言い訳ばっかの毎日」「強がってばっかの毎日」──
そんな日々に、自分の中でちょっと区切りをつけたい。
この繰り返しには、ぼそっとつぶやいたような“本音の決意”がこめられてるようにも感じられます。

音と言葉のミニマルな世界
そぎ落としたサウンドが、言葉を際立たせる
この曲のアレンジはとってもシンプル。アコースティックギターと松山千春の声、それだけでほぼ成り立っています。

ピアノもストリングスも出てこない。装飾を加えない音作りがされています。
だからこそひとつひとつの言葉がくっきりと浮かび上がってくる。
これは1970年代のフォークならではの潔さとも言えるでしょう。
テンポの心地よさが、心の動きを引き出す
曲のテンポは、ゆったりしてるけどだらけてはいません。
一行ずつ、言葉がまるで目の前に置かれるように流れていきます。
とくに印象的なのは、曲の終わり方。
フェードアウトせず、はっきりと「ここで終わる」とわかる締めくくりになっているんです。
この終わり方がまた、“今日限り”というテーマにぴったり。しっかり区切りをつけることで、次に進む準備ができる。そんな静かな覚悟が見えてきます。
『今日限り』が映し出す心の風景
変わりたいけど、簡単には変われない
この曲が描いているのは、「変わりたいけど、すぐには無理」っていう心のもどかしさ。
だからこそ、“とりあえず今日はここまで”という一歩がとてもリアルなんです。

「終わらせたい」と「変わりたい」が同時に存在していて、どちらも否定されない。
その中間で揺れている感じが、なんとも人間らしい。
繰り返すことで、見えてくる変化
冒頭と終盤で似たような言葉が登場する構成は、「1日」の流れを象徴しているようにも見えます。
朝に思ったことが、夜には少しだけ違って聞こえる。
でもそれはブレたわけじゃなくて、“心が少し動いた証拠”なんですよね。
『今日限り』は、そういう小さな変化を丁寧に描いた曲なんです。
時代を越えて響く「今日限り」
同じアルバムの他曲とのちがい
『君のために作った歌』には、『旅立ち』やタイトル曲のように、明日へ向かう勢いや希望を感じさせる曲も収録されています。
でも『今日限り』は、ちょっと立ち止まって、自分の内側をじっくり見つめるような曲。
たとえば『旅立ち』が「行け!」と背中を押してくれる曲だとしたら、
『今日限り』は「無理すんなよ」と隣に座ってくれる曲──
そんなイメージに近いかもしれません。
1977年という時代に生まれた“内省のうた”
この曲がリリースされたのは1977年。日本が高度経済成長の熱から少し冷めて、個人の生き方や心の中に目を向け始めたタイミングでした。
松山千春は、そんな時代に北海道という“中央じゃない場所”から登場したシンガー。
だからこそ、「すぐには変われないけど、変わりたい」っていうリアルな感情を、飾らず歌えたんだと思います。

この曲に漂う“静かなリアリティ”は、まさにその時代と千春の立ち位置が重なって生まれたものなんじゃないでしょうか。
現代に生きる私たちにとっての『今日限り』
区切ることに意味がある時代へ
今の私たちは、SNSや仕事、家庭でいろんな顔を持ちながら生きています。
だからこそ、「今日だけでいいから、もうちょっと素直でいたい」と思える瞬間があるんじゃないでしょうか。
完全に変わらなくてもいい。
完璧にやめられなくてもいい。
でも、“今日くらいは”ちょっとだけ本音でいたい。
そんな気持ちに、理解を示してくれるのがこの曲の魅力だと思います。

“終わらせる”ことで“始まる”
「いったん区切ってみる」ことも、「がんばる」を手放すことも、ちゃんと勇気のいること。
でも、この曲を聴くと、不思議と「それでいいんだ」と思えるんです。
松山千春は、派手な言葉や演出ではなく、ほんの一言で人の心に届く歌を歌える人。
『今日限り』は、その魅力がギュッと詰まった1曲です。
松山千春が『今日限り』に込めたもの
実は松山千春本人がこの曲について多くを語った記録は残っていません。
インタビューやエッセイでこの曲に触れている場面も少ないのが現実です。
けれど、それがかえってこの曲の「私的な性格」を物語っているようにも思えます。
千春はかつて、「自分の曲は自分のものじゃない。聴いた人が、それぞれの人生の中で育てていくものだ」と話していたことがあります。

『今日限り』のように内向きな楽曲は、まさにその言葉にぴったり。
一人ひとりの心のなかでそっと再解釈されながら、長く聴かれ続けているのです。
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