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➡エリック・クラプトン物語 ― 栄光と試練のギターレジェンド!
🎸【エリック・クラプトン編】第10位『I Looked Away』です。
第10位は大好きなLaylaアルバムから『I Looked Away』です。
そのアルバムのA面最初の楽曲です。
Laylaアルバムは、どれほど繰り返し聞いたかわかりません。ということは、それだけこの『I Looked Away』も聴いたということになります。僕の中では、Laylaアルバムだけは、楽曲ごとでなく全体で一つの作品の扱いになっています。
超約
愛する女性の気持ちを受け止められず、目をそらした瞬間に彼女を失った男の後悔を描く歌。
「他の男の恋人」と知りながら愛し続ける罪と苦しみを抱え、孤独の中で自分の弱さを見つめる。
派手さはないが、静かな痛みと誠実な悔恨がアルバム全体の“始まり”を告げる。
『Layla』へと続く感情の原点を映す、クラプトンの最も素直な告白の一篇です。
🎥まずはいつものように、Youtubeの公式動画をご覧ください。
🎬 公式動画クレジット(公式音源) Provided to YouTube by Universal Music Group 「I Looked Away」/Derek & The Dominos 収録アルバム:Layla And Other Assorted Love Songs(1970年) ℗ 1970 Universal International Music B.V. 💡 2行解説 デレク・アンド・ザ・ドミノスによるアルバム冒頭曲で、静かな後悔と切ない愛の始まりを描いた名曲。 『Layla』へと続く物語の“第一章”として、クラプトンの心の揺らぎを最も素直に映した一曲です。
リリースと基本情報
『I Looked Away』は、デレク・アンド・ザ・ドミノスの唯一のスタジオ作『Layla and Other Assorted Love Songs』(1970年)に収録されたオープニング・トラックです。作詞作曲はエリック・クラプトンとボビー・ウィットロック。シングル・ヒットを狙った曲ではありませんが、アルバム全体の物語を始動させる“最初の一歩”として配置され、聴き手に作品世界の方向性を提示します。クラプトンの略歴や「レイラ」神話はここでは最小限にとどめ、曲そのものに焦点を当てます。

入口を作る曲――アルバムのプロローグとして
同作は濃密なブルースとロックの大作が並びますが、その扉を開くのは意外にも静かなこの曲です。分厚いギターの競演で押し切るのではなく、語り手の心情を淡々と差し出すことで、聴く側の注意を“出来事”よりも“動機”へ向けます。作品世界に入るための温度設定を整え、物語を受け止める耳をつくる――その役目をこの曲が担っています。
「見ないふり」が招いた別れ
タイトルの“I Looked Away(目をそらした)”という一点に、語り手の失敗と責任が集約されています。
“But I looked away”(だけど、ぼくは目をそらしてしまった)
という短い反復は、行動の小ささと結果の大きさの落差を際立たせます。彼は相手の真剣さを理解しきれず、確かめるべき瞬間に踏み出さなかった。その“逡巡”が、今日の別れへ直結した――歌の核はここにあります。

破られた誓いと、時間の錯覚
歌詞は、昨日のように近い過去と、取り返しのつかない現在を対置します。
“It seemed like only yesterday / She made a vow that she’d never walk away”
(まるで昨日のことのように、彼女は“離れない”と誓った)
誓いが破れたことそのものよりも、“昨日のようだ”という感覚に重みがあります。人は幸福だった瞬間を現在形で思い出すからこそ、喪失の衝撃が増幅される――その心理の描き方が巧みです。

“禁じられた恋”を言い訳にしない語り口
終盤には次のような決定的な一節が置かれます。
“To love another man’s woman, baby / I guess I’ll keep on sinning”
(他の男の恋人を愛してしまう――たぶん、ぼくはこの“罪”を背負い続ける)
ここで語り手は状況の倫理的な問題点を自覚しています。にもかかわらず、自己正当化に逃げず、結果責任を引き受ける。こうした“低い声量の誠実さ”が、のちの『Layla』へつながる切迫を下支えします。

ボビー・ウィットロックとの共作がもたらした視点
この曲はクラプトン単独ではなく、キーボードのボビー・ウィットロックとの共作です。二人の筆致が交わることで、単純な告白歌ではなく、第三者の視野を残した“内省のバランス”が生まれました。語り手は嘆くだけでなく、行動の因果を淡々と列挙します。結果として、聴き手は感情そのものより、感情が生まれた“構造”を理解しやすくなります。
失恋の痛みを“声”で描く ― クラプトンの歌唱の質感
『I Looked Away』の最大の魅力は、ギターではなく声の震えにあります。
この時期のクラプトンは、ブルース・ギタリストとしての名声を極めながらも、ヴォーカリストとしてはまだ自信を持てずにいました。しかしこの曲では、あえて力を抜いた声で、痛みを隠すように歌っています。
発声は柔らかく、息の混じったトーンが特徴的。絶叫や装飾を避け、音程の小さな揺れの中に「あの日の後悔」を沈めています。派手な泣き節よりも、語りのような声が心に刺さるのです。
音の隙間にある“沈黙の感情”
バックの演奏は、スティーヴン・ウィンウッドらが加わる後期セッションのような厚みではなく、きわめてシンプルです。ドラムもピアノも“呼吸”するように間をあけ、ギターと声の行間に沈黙が生まれる構成。その沈黙こそ、後に『Layla』で爆発する感情の伏線として機能しています。

“Layla”への伏線としての位置づけ
『I Looked Away』をアルバム冒頭に置いたのは偶然ではありません。
この曲は、全体を貫く「叶わぬ愛」「自己の葛藤」「贖罪」の主題を先取りしています。
クラプトンが愛した女性は親友ジョージ・ハリスンの妻パティ。彼女への抑えきれない想いを作品に昇華した結果が『Layla』でしたが、『I Looked Away』はその“心の出発点”にあたります。
見ないふりができなかった愛
“I guess I’ll keep on sinnin’, loving her, Lord, to my very last day.”
(たぶん僕はこの罪を背負って生きる、彼女を愛し続ける、最期の日まで)
この一節は、単なる恋の懺悔ではなく、「愛してしまったことそのものが罪」という認識を含んでいます。
しかも、罪をやめようとせず「keep on sinning」と言い切ることで、クラプトンの愛は“理性を超えたもの”として提示される。のちに「Layla」で爆発する激情が、すでにここで芽を出しているのです。

“私的な痛み”を“普遍的な物語”へ
興味深いのは、歌詞があくまで“匿名性”を保っている点です。相手の名前も状況も語られず、誰の話かを限定しません。結果として、聴く人はそれぞれの“見逃した瞬間”を重ね合わせることができます。
クラプトン個人の愛憎劇でありながら、普遍的な後悔の物語として成立している理由がそこにあります。
バンド・サウンドの呼吸と温度
ウィットロックのピアノとデュエットの妙
ボビー・ウィットロックのピアノは、メロディをなぞるのではなく、言葉の後ろに“余韻”を添える役割を果たしています。特に2番の「It came as no surprise to me」というフレーズの後に流れる短いコードは、“驚かない”という言葉の裏にある動揺を暗示します。
クラプトンとウィットロックの声はユニゾンではなく、わずかにずらして録音されており、その微妙な位相の差が“ふたりの距離”を象徴しているようにも聞こえます。

ギターが“語りすぎない”理由
アルバム後半では怒涛のギターが支配しますが、この曲ではクラプトンはほとんど主旋律を弾きません。代わりにアコースティックに近いトーンで、コードを小さく刻む。これは「自己弁護のない語り」を際立たせるための演出です。
“ギターの神様”が“沈黙のギタリスト”になる――この構図こそ、『Layla』以前のクラプトンを語る上で見落とせない瞬間です。
聴く順番のすすめ ― “レイラ”を聴く前に
アルバム『Layla and Other Assorted Love Songs』を聴く際、いきなりタイトル曲に飛ぶ人は多いでしょう。しかし実際には、『I Looked Away』を聴くことでしか“Laylaの痛み”の文脈は理解できません。
“離れていく彼女”を見送った男が、“それでも愛を貫く”と決める――その連鎖の最初のピースがこの曲なのです。
まとめ:小さな後悔が導く壮大な物語
『I Looked Away』は、クラプトンのキャリア全体を俯瞰したとき、きわめて控えめな一曲です。
しかし、この“控えめさ”こそが核心です。愛を失った男が声を荒げるのではなく、自分の視線の一瞬を悔やむ――その静けさが、後の爆発(=『Layla』)を成立させました。

「I looked away.(ぼくは目をそらした)」という言葉は、恋愛だけでなく、人が何かを失う瞬間の普遍的な比喩として響き続けています。クラプトンがこのフレーズに込めたのは、後悔ではなく、“気づき”の物語でした。
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